ITバブルによる狂乱相場が発生、2000年春をピークに崩壊
1990年代後半の日本経済は、金融機関の破綻が相次ぎ「金融恐慌」という言葉も飛び交う、悲壮感漂う状況に陥った。しかし、日経平均株価は1998年(平成10年)10月の1万2787円安値を底に反騰局面に突入します。
特に、90年代末には米国発のインターネット株人気が日本にも上陸。株式市場は一転活気づき、2000年(平成11年)にかけては「ITバブル」と呼ばれる熱狂相場が発生しました。例えば、ソフトバンクグループ<9984.T>の株価は1998年年初の安値から2000年春の高値まで一時、数十倍に急騰しました。IT関連株が狂乱状態となるなか、ベンチャー企業が株式上場できる環境が整えられていきました。1999年12月には新市場の「東証マザーズ」が誕生します。また、2000年6月に「ナスダックジャパン」が発足しました。
しかし、IT関連株の人気は2000年4月にピークを打ち、バブルは崩壊していきます。この時、光通信<9435.T>は同年3月末から伝説の20日連続ストップ安を記録しています。
再び金融不安に突入、りそな銀国有化で不良債権問題に終止符
日経平均株価は2000年4月に2万833円で天井を打ちましたが、同月に実施された日経平均30銘柄入れ替えも株価急落に拍車をかける格好となりました。
その後、東京株式市場は一本調子の下落となり、再び、底値を探る展開となります。
2001年(平成12年)9月には米国で同時多発テロが発生し、日経平均株価は1万円を割り込みました。そして株価の下落とともに、大手銀行の保有株含み損への懸念が強まり、市場には再び、金融不安が高まります。政府による大手銀行の不良債権処理対策も迷走を続け、日経平均株価は2003年(平成14年)4月に7607円まで売り込まれていきました。
しかし、同年の5月に政府は大手銀行のりそなグループに2兆円規模の公的資金を注入し、国が大株主となることで実施的に国有化することを発表しました。この「りそな国有化」は、日本の不良債権問題の歴史的な転換点となり、バブル崩壊後、日本を苦しめ続けてきた銀行不良債権問題は終止符を打ち、その後、株価も反騰基調を強めることになります。
07年に1万8000円台まで上昇後、リーマン・ショックで再暴落へ
りそな銀行の国有化を契機に、日経平均株価は2003年7月に1万円を回復します。04年(平成15年)4月には1万2000円を奪回しました。2005年(平成16年)、2006年(平成17年)も一段の上昇を続けましたが、この間、米国では住宅市場が活況を呈し、好景気に沸いていました。
また中国景気も拡大基調を強めていました。そんななか、2006年1月にはライブドアが証券取引法違反の疑いで家宅捜査されたことが嫌気され中小型株が急落する「ライブドアショック」が発生しました。
もっとも、このライブドア事件後も日経平均株価は上昇を続け、2007年(平成18年)7月の1万8261円まで上昇しました。
しかし、この頃には米国では信用力の低い個人や低所得者に向けて高金利住宅ローンを貸し付けるサブプライムローン問題が表面化しました。
大手保険会社のAIGや証券会社のベアスターズが経営破綻するなど、先行きに暗雲が垂れ込めていました。このなか、日経平均株価は下落基調を強めました。
そして、2008年(平成18年)9月にはついに米国の大手証券リーマン・ブラザーズが破綻します。「リーマン・ショック」が発生し、世界の株価がつるべ落としの下落を演じるなか、日経平均株価は同年10月に6994円とバブル崩壊後の最安値に売り込まれることになります。