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事実か創作か、文学かジャーナリズムか

★「日本ノンフィクション史 
     ~ルポルタージュからアカデミック・ジャーナリズムまで~」
  武田徹著 中公新書 2017.3.25.発行

ノンフィクションの歴史を辿りながら、
いろいろな問題点や、なぜ作家はそう書いたのか、
教えてくれる書籍。

また、この書籍に導かれてノンフィクションの歴史を俯瞰してみると、
ノンフィクションにも色々な書き方があるとわかる。

大宅壮一の軌跡をメインにしながら、
丸谷才一が当時感じていたコメントなどに惹かれた。

なかなかどうして、読み応えがあり内容も深いので、
何度でも読み直したくなる内容に思われる。

それにしても、
フィクションにしろノンフィクションにしろ、
その構造を知れば知るほど、
書くという行為が難しいものに感じる。

この書籍には、「なんとなくクリスタル」にも触れられていて、
注釈だらけの作品に対しての評論部分がオモロイ。

そういえば、丸谷才一が訳した「ユリシーズ」も、
異様なほど注釈が多いのだが、
「なんとなくクリスタル」と何か関係があるのだろうか?

     *

数学者ガロアの生涯を描いた「神々のめでし人」という作品を、
レオポルド・インフェルトというポーランドの理論物理学者が書いたという。

この作品がユニークなのは、
巻末にどの部分が実話で、どの部分が創作なのか、
事細かに記録されている点だという。

これがあることにより、
後日、内容の検証作業が可能になるのでオモロイと著者は言っていた。

ところが1960年に発行された筑摩書房の「世界ノンフィクション全集」にある
「神々のめでし人」では、その肝心な巻末部分が省略されており、
著者は残念なあまりに、書籍の中で悶絶しているのであった。







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