元祖SHINSHINさんのブログ
古事記→万葉集のあいだに消失した、日本語の発音
(略)もっとも古事記に「モ」の発音の別が存在する一方、
万葉集の表記において確認できていないことから何らかの理由で、
平安期以降、急速に日本語の種類が減っていったものと思われる。
つまり万葉集には、同じ文字で表記されていながら、
元来は異なる発音で詠まれていた歌があるということだ。
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★「入門 心に響く日本語」
洋泉社MOOK 880円+税
「第一部 やまとうた 日本最古の和歌集『万葉集』」P.11より抜粋
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(略)具体的にいうと、古代の日本語には2種類の「オ」母音があり、
現在の「コ・ソ・ト・ノ・モ・ヨ・ロ」はそれぞれ発音が2つずつあったといわれる。
そのほかにも、イ列の「キ・ヒ・ミ」、エ列の「メ・ヘ・ケ」にも、
それぞれ2種類の発音があり、それぞれの濁音も同様であったとされる。
すなわち現在では濁音を除くと日本語は46の音節があるが、
古代日本語にはそれより13多い59の音節があったことになる。
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★同書 「小特集1 日本語はどこに起源をもつ言葉なのか」P.39~40より抜粋
最初の引用はよく読むと、意味不明なのだけど。
前後の文章あわせても、やはり意味不明なのだ。
この小誌には、説明不足なのか文章ロジック自体が破綻しているのか、
意味不明な文章がけっこう多い。
読んでみればわかる。
学者というものは、全員が説明上手とは限らない。
学生の頃を思い出す。
校正はいったい、どーなってんだ!とか思ったりする。
それにしてもいったい、消えてしまった日本語の音節とは、どんな発音だったのだろう?
肝心な部分が、この小誌には抜けているのだ。
合成音声で、万葉集の和歌を比較朗読する企画とかオモロイかもしれない。
斎藤孝先生がメイン、「エネーッチケ~」あたりでどうだろう?
あ~、誤字訂正です。
*所説 → 諸説
*藤原比不等 → 藤原不比等
コメントの修正って、なんでできないんだろ~。
一般的には、出雲にあった豪族が、
伊勢神宮系統の豪族に戦いで破れた図式と想像しますよね。
それを神話として勝者がまとめた話と考えるのは、無難です。
が、昔から所説あるようで喧々諤々な模様。
★「葬られた王朝 ~古代出雲の謎を解く~」
梅原猛著 新潮社 2,200円+税 2010.4.25.初版
この中で、本居宣長説など検証されていました。
梅原氏は、特に古事記が時の権力者・藤原比不等によって
大きく着色されたと目しているようです。
出雲大社を大きく強く存続させる必要に駆られて。
冒頭のように、
伊勢神宮に刃を向けたとなっては、後に存続の危機。
そのための着色だというのです。
戦ったのではなく、国を譲ったという形で。
信じる信じないは、あなた次第です・・・。
元祖SHINSHINさん
出雲という名が出ているので、追加ですが。
大国主の国譲りは暗示的であって謎を秘めているように思いますし、興味がありますね。
ええ、オモロイ話ですね。
渡来絡みで、日本語起源説には3仮説などがあるそうですが、
確定されてはいないそうです。
アルタイ諸語説、南島語族説、複合語説。
これとは別件ですが、
松本清張の「砂の器」には
「カメダ」という言葉がミステリーのネタとなっており、
それに絡めて日本語の方言について学説が紹介されています。
この場合には、奈良地方に大和が存在すると仮定すると、
そこを中心にして人々が地方へ分散していく、
そうした過程を経て、
東北弁と出雲地方の方言が似ているのではないかと。
まぁ、そんな話だったかと。
決定的な証拠を積み重ねてものごとを証明していく学者と違って、
小説家の場合には、ありえると思われる推測の積み重ねで
物語を書いていくので、
こういう話でもネタになるのですね。
これがさらに真実みのある取材などで証明力が高まり形成されてくると、
ジャーナリストなどと言われるのでしょう。
オイラは学生の頃、
仮説を立てるのだけは一人前以上だったので、
よく「お前は小説家か?」と馬鹿にされていました。
証明してからものを言えということです。
そういうかったるい世界に行かないでヨカッタと思っています。
おもしろいですね。
万葉集というと奈良。
渡来が活発だった時期のようですし。