世界経済のアキレス腱が中国であり、中国のアキレス腱が外貨事情と為替動向にあることは、9月以降のレポートで論述した。とすれば、直近の人民元の安定化は、中国と世界経済にとって、一安心できる事柄と言えるだろう。
人民元不安の鎮静化で国際金融市場は安定へ
図表1に見るごとく、8月11日の人民元切り下げ以降急拡大していた人民元香港相場(オフショアレート)と中国国内相場(オンショアレート)の格差が急収縮している。中国政府による人民元相場死守の意図が、如実に市場に現われたものとみられる。特に9月以降、外貨予約取引(売り取引のみ)の制限、個人の外貨転換の制限など資本規制が強化され、投機的な人民元売りが著しく抑制されたとみられる。リマで開催されたG20において中国は、人民元下落は中国のファンダメンタルズに合致しない、と主張した。また10月8日中央銀行は人民元のクロスボーダー決済システム(第一期)を始動させた。同時に急減してきた外貨準備高の減少ペースが鈍化した(外貨準備高前月比減少額は、7月424億ドル、8月939億ドル、9月433億ドルへと縮小している)。これらは市場に混乱を与えた人民元問題が小康状態の局面に差し掛かったことを示している。当面、中国の外貨事情の悪化から人民元の暴落、世界金融危機に至る悪連鎖は遮断されたと言えるだろう。
これは国際金融市場においてはグッド・ニュースである。第一に、懸念されていた中国発デフレの輸出が大きく抑制されることになる。著しい過剰能力に悩む中国が輸出価格をダンピングする可能性が小さくなった。第二に、中国からの一気の資本流出、通貨と資産価格下落が国際金融不安を高める可能性もなくなった。
時間買った中国、資本取引規制で人民元価値を維持
とは言え、それが中国経済の安定化と長期的な持続的成長をもたらすかは、疑問であろう。中国経済は著しい減速場面にあり、①需要のてこ入れ、②資産価格・特に不動産価格の下落回避、③輸出競争力回復(通貨安または賃下げによる)、は喫緊の課題である。そのためには、金融緩和と通貨切り下げが通常採用される対策となる。しかし、人民元切り下げが政策オプションから外れたことが一連の政策で明らかになったのである。国家威信に重点を置く習近平政権は、通貨価値の毀損は容認できないのであろう。
人民元の価値を維持する政策は国際金融にとってはプラスであっても、中国経済にとっては、グッド・ニュースであるとは限らない。それは国際金融のトリレンマ、つまり①自由な金融政策、②自由な資本移動、③為替相場の安定、の3つを同時に満たすことはできない、という仮説によって整理できる。
かつてジョージ・ソロスが英ポンド売りを仕掛け、ポンドのEMS(欧州通貨制度)からの離脱、大幅切り下げを余儀なくさせた(1992年)のも、このトリレンマという仮説に基づく投機であった。自由な資本移動が墨守されている環境下で、イギリスは景気対策の大幅な金融緩和をとるか、通貨価値維持(EMS加盟維持)を取るかの二者択一を迫られ、(ソロスの読み通り)前者を取り、後者を捨てたのである。
国際金融のトリレンマの縛りは残る
これに対して今の中国は、自由な金融政策(大幅な金融緩和)と自由な為替水準(強い人民元の維持)を取り、かつてイギリスが墨守した資本取引の自由を一段と規制し始めたと読める。それは米国やIMFが求める自由な資本取引に依拠する弾力的為替相場とは対極にある反改革と言うべき政策である。中国政府と中央銀行は、改革による市場信認回復ではなく、統制強化による市場畏怖の道を選択したと言える。
人民元の価値維持を優先するとすれば、①(アジア新興国の中で最高の高賃金国となった)中国の対外競争力は抑制される。②また不動産価格維持に必須の金融緩和が、資本流出圧力により相殺される。人民元価値維持の政策は国内経済に一段と下押し圧力を強めるものとなるだろう。
2016年、中国財政政策の効果が焦点に
かくして中国では財政出動への必要性が一段と大きく強まる。中国経済が財政出動により底割れが回避され、金融緩和への過重の負担が軽減されれば、人民元価値の維持という政策は当面持続し得る。それが困難なら、一段の金融緩和と人民元安圧力が強まることとなる。2016年の最大の焦点の一つは中国の新ポリシーミックスがどう機能するか、にシフトするだろう。
このように、中国当局は、資本取引規制による人民元価格維持という時間を買う政策を打ち出した。この政策が中国経済の安定化と持続的成長をもたらすかどうかは直ちに否定はできないが、疑問である。論理的には、金融規制強化と財政支出の増加は資源配分を歪め、経済体質を弱める。また、過度の通貨高は国内産業の競争力を弱体化させる。今輪郭を現わしつつある中国の緊急避難策、通貨価値の維持と財政支出の増大という組み合わせは、悪手と言える。
しかし、それは当面の世界の株式市場にとってはグッド・ニュースと言えるだろう。
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