元祖SHINSHINさんのブログ
文体地獄
己の嗅覚に従って、
手当たり次第に文章を読んできたのだけれど、
いろいろな文体の存在を知るにつれ、
はて、自分の文体がどんなものなのか、
それどころか、果たしてそんなもの初めからあったのかどうかすら覚束ない。
某人気作家の作品を読んでみたら、
ところどころ村上春樹的な表現があって、
かなり白けてしまった。
何か思惑があって真似してるとわかるから、痛い・・・・・・。
また、世界的にヒットしている某作品を開いてみれば、
こんな文体でどーして売れてしまうのか、
不思議な思いに駆られたりもする。
三島由紀夫に関しては、
いろいろ作品を読み込んでみると、
さまざまな文体を縦横無尽に書き分けているのがわかってくる。
そういえば、石川達三も文体をかなりの種類使い分けていたという。
腹を決めたかのように独特な、ほぼ一本調子といえば、
野坂昭如や北方謙三。
何も小説に限らなくっても、
エッセイやノンフィクションを読んでみても、
例えば養老孟司の文章はオモロイ。
本人の言葉に忠実になるほど、わかりにくい文章になりがちな養老孟司。
編集者がわかりやすく書き直すと、格段にオモロクなったりもする。
中には読んでいて、
これって、とてもニュートラルだよなぁと感じる文体もある。
文体って何なのか、どの文体で書いたらイイのかわからなくなったときには、
「ニュートラル」だと己が信じる文体に、
頼ってみるのがイイのかも知れない。