おぢさんさんのブログ
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忘れえぬ出来事
今日ある生命保険会社の支部長さんと会う機会があり、いろいろ話していました。
その方過去の金融危機の際、「消えてしまった」生保にお勤めだったようで、突然会社消滅のニュースがテレビのテロップに流れ、愕然とした云々の話をされていました。
数多くのお客さんが不信感のもと、離れていったそうです。
当時、私にも忘れえぬ強烈な印象をもった出来事がありました。
あの山一証券の自主廃業の発表があった翌営業日(たしか月曜日)のことです。
当時私は異動で岐阜市におりましたが、その日は所用で名鉄岐阜駅付近を通りがかりました。
山一証券の岐阜支店は、名鉄岐阜駅のほど近く、十六銀行の本店の細い道を西側に入ったところにありました。
たまたま通りがかった際、支店には株券出庫や投資信託の解約、出金を求める人が渦巻き、罵声と怒号が飛び交っていました。
警備員もでて整理にあたっていましたね。
でもしばらく見ていると、その罵声や怒号もおさまり、不安げなお客さんがじっと自分の順番を待っていました。
山一には他の支店に知り合いもいましたから、店頭で応対する女性職員や営業マンはどんな気持ちだろうと思うと、なんだか同情ともなんともいいかねる、やりきれない気持ちになったのを昨日のように覚えています。
新潮文庫「会社がなぜ消滅したか」(読売新聞社会部著)で当時山一内部で起こっていたことを知り、ますますやりきれない気分になりました。
三洋証券の破綻から始まる金融危機は、その時まで常識として思っていた金融機関の「護送船団方式」や「不倒神話」を、ことごとく打ち砕きました。
戦後に築かれ、それまで何の根拠もなく信じていた、いつくかの「常識」というものが、いかに脆く、フィクションであったかを痛いほど知らされた日でした。
戦後の「常識」は崩壊しましたが、まだそれに代わる新たなよりどころは見つかっておらず、漂流はその日からなお続いている気がしてなりません。
「疑心暗鬼」の出来事はむかしからありましたが、「成長」のなかで解消されていました。
「成長」がとまった今、「不祥事」は解消されにくくなり、一方で明らかにされやすくなり、日本人は「疑う」ことをはじめて覚えたと思います。
本質を直視することは大変難しく、また手間のかかる作業ではありますが、地道に続けていくしかないと考えています。
山一証券の自主廃業の時って・・・
テレビで、社長さんが泣きながら
「社員は悪くないんです。われわれが悪いんです。」
本当に、有名な事件ですよね。
あれから、老舗企業や、業界のトップ企業だって、いつ、どうなるのかわからないっていう危機意識もうまれたような・・・。
山一証券、長銀、日債銀などの粉飾決算事件から何かを、学んでいるはずなのに・・・。
相変わらず粉飾や偽装って多いですよね~。
>戦後の「常識」は崩壊しましたが・・・
漂流はその日からなお続いている気がしてなりません。
はやく、みんなが希望をもてる日が来るといいですね。