小督さんのブログ
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仙巌園 (鹿児島市)
(写真左) 集仙台より桜島を臨む
(写真中央) 曲水の庭
(写真右) 大池を見下ろす
鎌倉時代から江戸時代まで南九州を治め、
幕末には日本開国にあたり重要な役割を果たした島津家。
仙巌園(せんがんえん)は1658年第19代当主島津光久により別邸を築造、1958年国の名勝に指定。
敷地面積50,000㎡。
桜島を築山、錦江湾を池に見立てた、借景技法を用いた庭園です
今回の旅行(11/30-12/1)にあたって、最後まで迷ったのが服装。
お茶とお菓子を頂く御殿ガイドツアーに参加するつもりでしたが、
仙巌園にはトレッキングコースがあることを発見!
島津家のお茶会に呼ばれている訳ではないし、と、
結局はいつものハイキングの服装で出かけました
前日に大雨が降ったこともあり、登山道がクローズされていましたが、
降りていく途中に会った係員の人に聞くと、「今から確認に行きます」。
観水舎まで付き添っていただけました。
やはり、集仙台まで登ると、グン!と視界が開けます
島津斉彬座右の銘でもある、「思無邪(おもいよこしまなし)」。
御殿ガイドツアーで最初に案内された部屋でその掛軸(複製)を拝見することが出来ました。
思無邪とは、孔子の論語や詩経(しぎょう)にこの一句があり、
心情をありのままに表して、偽り、飾ることがない、という意味だそうです。
なお、仙巌園に隣接されている尚古集成館にて掛軸の実物は、
再度確認できました
「仙巌園」と名付けられたのは、中国龍虎山の仙巌に似ているからだそうで、
薩摩は京や江戸よりも中国の方が近いこともあり、
御殿内や庭園では中国の影響を強く受けていることが印象的でした。
また、ソテツや椰子の木みたいな街路樹もところどころ見かけましたし、
日本というより南国にいるみたいでした
ちょっとしたトラブルがひとつありました。
旅行中、どうも眼にゴミが入りやすく、始終眼がゴロゴロ。
「お好きなだけお持ち帰りください。」と言われた、火山灰。
やっぱり、自分へのお土産に持って返れば良かったなあ
前日は指宿にて砂蒸し温泉を楽しみましたが、
大雨に降られて、早めに指宿を発ったため、
「ここにくれば薩摩がわかる」という薩摩伝承館は、
今回は時間の都合で寄ることはできませんでした
鹿児島空港から指宿に向かう高速バスでは海沿いを走るので、
地元なら須磨~舞子間、神奈川なら江ノ電(駅名は忘れた)に乗っている風景を思い出します
機会があれば、再び薩摩を訪れたいと思います
(写真中央) 曲水の庭
(写真右) 大池を見下ろす
鎌倉時代から江戸時代まで南九州を治め、
幕末には日本開国にあたり重要な役割を果たした島津家。
仙巌園(せんがんえん)は1658年第19代当主島津光久により別邸を築造、1958年国の名勝に指定。
敷地面積50,000㎡。
桜島を築山、錦江湾を池に見立てた、借景技法を用いた庭園です
今回の旅行(11/30-12/1)にあたって、最後まで迷ったのが服装。
お茶とお菓子を頂く御殿ガイドツアーに参加するつもりでしたが、
仙巌園にはトレッキングコースがあることを発見!
島津家のお茶会に呼ばれている訳ではないし、と、
結局はいつものハイキングの服装で出かけました
前日に大雨が降ったこともあり、登山道がクローズされていましたが、
降りていく途中に会った係員の人に聞くと、「今から確認に行きます」。
観水舎まで付き添っていただけました。
やはり、集仙台まで登ると、グン!と視界が開けます
島津斉彬座右の銘でもある、「思無邪(おもいよこしまなし)」。
御殿ガイドツアーで最初に案内された部屋でその掛軸(複製)を拝見することが出来ました。
思無邪とは、孔子の論語や詩経(しぎょう)にこの一句があり、
心情をありのままに表して、偽り、飾ることがない、という意味だそうです。
なお、仙巌園に隣接されている尚古集成館にて掛軸の実物は、
再度確認できました
「仙巌園」と名付けられたのは、中国龍虎山の仙巌に似ているからだそうで、
薩摩は京や江戸よりも中国の方が近いこともあり、
御殿内や庭園では中国の影響を強く受けていることが印象的でした。
また、ソテツや椰子の木みたいな街路樹もところどころ見かけましたし、
日本というより南国にいるみたいでした
ちょっとしたトラブルがひとつありました。
旅行中、どうも眼にゴミが入りやすく、始終眼がゴロゴロ。
「お好きなだけお持ち帰りください。」と言われた、火山灰。
やっぱり、自分へのお土産に持って返れば良かったなあ
前日は指宿にて砂蒸し温泉を楽しみましたが、
大雨に降られて、早めに指宿を発ったため、
「ここにくれば薩摩がわかる」という薩摩伝承館は、
今回は時間の都合で寄ることはできませんでした
鹿児島空港から指宿に向かう高速バスでは海沿いを走るので、
地元なら須磨~舞子間、神奈川なら江ノ電(駅名は忘れた)に乗っている風景を思い出します
機会があれば、再び薩摩を訪れたいと思います
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九州へいらしてたのですね^ ^
今回は結構な遠出ですね。
11月は連休も多く、行楽日和でしたからね。
次回九州へ来る際は是非福岡にもお立ち寄りくださいね^ ^
その際は美味しいラーメン屋さんをご紹介いたします^ ^
こんばんは~
このたびは九州旅行でしたか。
いつもながらその行動力に脱帽です。
仙巌園の写真はどれもすばらしいですねー。
>薩摩は京や江戸よりも中国の方が近いこともあり、
御殿内や庭園では中国の影響を強く受けていることが印象的でした。
日本は狭いようで広いのですね。
こうやって叮嚀に解説して戴くといまさらながら地元日本を
もっと深く味わいたいものと思はせられます。
自分ではゆけないところをこうして見られることも
みんかぶのよさ!。
いつもめずらしいところを紹介して下さって有難うございます。
こんばんは
10年位前に、青春切符で福岡まで在来線泊をして、
ラーメンを食べに行った人を知っています
ラーメン美味しいですね。
鹿児島でも久々にラーメンを食べるつもりでしたが、
気がつくとなぜかチャンポンを頼んでいました
以前下関にフグを食べに行こうと誘われて、
そういえば門司にも行きたいなあ、と思ったことがあります
地図と睨めっこして、九州ラーメン(or グルメ)ツアーでも組んでみますか
こんばんは
仙厳園と指宿には一度は行きたかったのですが、
計画を立てるところまではなかなかたどり着きませんでした
それに、幕末は私には全然関係ないですし、ね
同じ九州でも長崎は貿易都市なので、
そこで中国やオランダ文化を感じても、さほど違和感はありませんでした。
でも、島津家別邸の超日本庭園で、琉球風のあずまやがあったり、
池のくぼみが風水を取り入れているのを見ると、
今まで見た日本のものとは全く違うので、興味深く思いました
エポワスさんは読書家タイプですよね。
私は感性の人なので…
こんばんは
イメージ画像が替わりましたね。
前に日記で見たような?
仙巌園ではありませんね。
落着いた、なにかとても懐かしいような、感じがします。
京都だったでしょうか?
こんばんは
再度コメントありがとうございます。
イメージ画像は仙厳園の御殿中庭です。
縮小したので見にくいと思いますが、
池の底に八画形のくぼみ(陰)があります凹
一方、御殿前の池には八角形のでっぱり(陽)があります凸
八角形は風水最強の形だそうで、
このふたつの八画形を結ぶ線上には、
執務室と言うべき島津忠義の部屋にあたるそうです
また、池には金魚が泳いでいるのです
私は怠け者なので風水を実行していませんが、信じています
こんにちは。
島津さまのお庭すごいですね。
こういうの見ると、自分の水蒔いていた庭を思い出します。
毎日朝晩水蒔いて、苔がきれいにできました。
自分が行くと火山は噴火するようで、前行ったときは
灰がすごく降ってて、逃げるように帰ってきた。
ワイパーのゴム変えました。
阿蘇も行くと入場禁止に。
調度、雲仙普賢岳もすごかったころ。
今年の御嶽山とおなじです。
次は富士山か焼岳か?
株が上がって来て、九州新幹線や、あの高級寝台車に乗ってみたいですね。
こんばんは
仙厳園は島津家の別邸とのことで、驚くばかりですね
でも、yoc1234さんもお庭のお手入れが大変だったでしょう。
苔は日が射したり乾燥させるとすぐにダメになりそうで、
結構難しそうです
鹿児島に火山灰が降ったのは、いつぞや全国区のニュースで流れていた時だけかと
思っていたのですが、どうも日常的に降っているみたいですね。
私は眼ばかりを気にしていましたが、気管支の方は大丈夫かな
それにしても、噴火ってそんな頻繁にするものでしょうか。
yoc1234さんは何でも当たる確立が高いのでしょうね
「ななつ星」は一度は乗ってみたいですね。
どこからか招待状が届かないかなあ
小督さん、今晩わ.日記に 気付くのが 遅くなってしまいました.
薩摩藩 の 別邸 → 幕末随一 の 名君 島津斉彬公 と 掛ければ、
僕の心 の 中では、その心は、大好きな 勝海舟 なのです.
勝 の 自叙伝の中で、次の様 に書かれています.
1858年、当時 幕府の長崎海軍伝習所 で 軍艦操船 修行中の 勝海舟は、
オランダ人教官らと共に 咸臨丸 で 航海訓練 に出発.海舟 の 提案で、薩摩にも 足 を伸ばすこととし、3/15 薩摩の 山川港に 入港.藩主 斉彬公は、指宿温泉にいたが、直ちに 馬で 来艦.艦長室で 食事を共にし、海舟に 鹿児島へ来るよう招待.咸臨丸は、鹿児島に入り、別邸で 招宴 が 張られたそうです.
二人で 庭 を 散歩していると、公は、二つ のことを、海舟に 教えて下さったそうです.それは、人を用いるには、急ぐものではないと云う事 と
一つの事業は、十年経たねば 取りとめの付かぬものだ と云う事だったそうです.
その際、斉彬公は、勝に 弟 の 久光公(次の藩主)を 引き合わせ、又、西郷隆盛 の 存在 を 海舟に 語り知らせたそうです.
10年後(1868年)に 始めて二人が、出会ったのは、明治維新の際で、江戸の薩摩藩 高輪(今のJR山手線 田町駅近く)の 藩邸で、官軍 の 江戸総攻撃が 迫る中、片や 官軍側、片や 幕府側 と云う 敵味方 に分かれての 談判会談 で でした.西郷は、斉彬公 の 生前時に 公から 幾度となく 海舟の人物像となりを 聞かされており、初めて会った時から 西郷は、 海舟 のことを 既に 信じていてくれた と 海舟 は 書いています.
江戸 を 戦火から 守った 二人 の赤い糸 が、 斉彬公 によって この庭園 で 結ばれていたのです.そう想いに ふけながら、江戸っ子 の僕は、小督さん の 撮った写真を 拝見して 一人悦に 入り、 感激しています.
RYO
こんばんは
メモ程度の内容ですが、コメントを頂きましてありがたく思います
Ryoさんは勝海舟を「神」のように崇めていらっしゃいましたよね。
勝海舟のどこに魅かれるか、その一端がわかったように思います
>二人で 庭 を 散歩していると、公は、二つ のことを、海舟に 教えて下さったそうです.
>それは、人を用いるには、急ぐものではないと云う事 と 一つの事業は、
>十年経たねば 取りとめの付かぬものだ と云う事だったそうです.
短い期間で結果を出さなければ、無能の評価を受ける世知辛い世の中です…。
時間をかけて、じっくり人を見極める、事業を暖めていく、というのは基本ですよね
>その際、斉彬公は、勝に 弟 の 久光公(次の藩主)を 引き合わせ、
>又、西郷隆盛 の 存在 を 海舟に 語り知らせたそうです.
>西郷は、斉彬公 の 生前時に 公から 幾度となく 海舟の人物像となりを 聞かされており、
>初めて会った時から 西郷は、 海舟 のことを 既に 信じていてくれた
>と 海舟 は 書いています.
このようなお話を聞くたびに、人はつながっているのだなあ、と思います。
また、見えないところでも力が動いているのだなあ、と思います
表に名前が出ている人だけではなく、裏に回って働いた人の尽力があったからこそ、
当たり前だと思っている「平和な毎日」を送ることができるのですね
私はお庭の仙巌園に行きたい!と思っただけですが、
思いがけず島津斉彬の想いを知ることが出来ました。
ありがとうございます
ところで。
来年のNHK大河ドラマは「花燃ゆ」ですね
幕末そして明治維新といえば、徳川に薩長土肥ですか。
私には何の縁もゆかりもないせいか、この時代はあまり興味は持てませんでした。
これを機会に少し勉強します
小督さん、こんにちわ.
先ほどは、僕の日記に 心暖まるコメ を ありがとうございます.
僕は、海舟の影響で、 不羈独立 の 精神 ふきどくりつ( 独立独歩、自助自立 etc )
とか、和して同ぜず などの スタイル で人生を 歩んでいる人が 大好きで、
小督さんにも その匂いを 感じたので 交流 を楽しませて頂いてます.
今の世の中は、正直な処、女性 のほうに 不羈独立 の 精神で 自力で 運命を
開拓している人が 多いい と感じてます.
僕が 夜な夜な 出入りする 地元の スペイン料理 の 小さな お店 は、
女性 オーナーズシェフ の 太っ腹 も 心 優しい キャラ のせいか、
メイクアップアーティスト とか ヘアーデザイナーとか、スタイリスト とか
の 職業の30歳台 の 女性が 常連さんで、 vogue とか 有名ファッション誌、
TV CM 、映画、スチール写真 撮影等 で、 一流 の 裏方 として 第一線 の
現場で 活躍している「 自立 した 女性達 」です.
美人 が 多いのですが、化粧はせずに どちらかというと 地味目 、金銭感覚 も
かなり 堅実 、人の話にも よく耳を 傾けるし、胆力 も 感じます.
自分の 流儀 を 確立 しようしている意志 を 感じます.
若いのに、人生 かなり 揉まれているな と 不思議 に思って、聞いてみると、
修行時代、数年に及ぶ 不条理な 師匠絶対の 職場環境、 給料、交通費さえも
貰えない 徒弟奉公時代、師匠に 顔を殴られ 顔一杯を 腫らし、泣きながらも
仕事 を 続けた事、第一級 の 技術 を 身に付けた現在 でも、制作会社 や
スポンサー や 有名俳優 の 機嫌を 損なったら 直ぐに でも 干されてしまう
こと、今は、高収入であっても、明日の事は、分らない事 と 云う 自覚 達観
等々、若いのに 人生の荒波 を 相当に 被って来たことが 明白で、得心しました.
彼女達の 中でも トップランナー の 女性は、この道を 貫く覚悟の証 として、
月々 大きな出費 とはなるけども 自分の将来への投資 だと 決断して、業界内
のライバル が 集まる 好立地 に 自分の事務所 を 賃貸で借りて 開き、もう
後戻り は 出来ない. と 涼やかな 笑顔で 語っていました.
正直、目から鱗 の 思い .
この女性達から 気合 を 入れられたな と云う 思いです.
RYO
こんばんは
>僕は、海舟の影響で、 不羈独立 の 精神 ふきどくりつ( 独立独歩、自助自立 etc )
>とか、和して同ぜず などの スタイル で人生を 歩んでいる人が 大好きで、
>小督さんにも その匂いを 感じたので 交流 を楽しませて頂いてます.
うわ~、わかりますか
面倒なつき合いとかしがらみを持ちたくない私は、
少々人の和から外れてもいいので、ストレスフリーな生活を望んでいます
Ryoさんがお好きなスペイン料理に集まる「自立した女性」と私はちょっと違いますが、
学生の頃から漠然と、好きなことだけをやりたい、
転ばぬ先の杖を数本持ちたい、と思っていまして、
一応希望通りになっているんじゃないかなあ、と思っています
>今は、高収入であっても、明日の事は、分らない事 と 云う 自覚 達観
これに関しては、よくわかります。
私も一ヵ月後に失職する覚悟は、いつでもできているつもりです。
自分が退職後には会社に損失を与えるようになりたい、
後任との差が歴然とわかるようにさせたい、
とは最初に仕事に就いた時から思っています
でも、Ryoさんが見ている女性達と私が明らかに違うのが、
私は仕事に関してはあまり我慢をしていないことですね。
失うものがないので、怖いものなしです
極端に労働基準法を無視、刑法に抵触するような職場には、
どんなに好きな仕事でも私は続けられないと思います。
私は教えてもらう苦労を味わったことがないのですが、
そういういじめって今の時代でもあるんでしょうね。
職人など自分の技を教えたくないのはわかりますが…