堅実さんのブログ
小野田少尉 1月18日(土)10時30分
今年から、みん株の日記の数を、少なくしようと思い、今日になる。
ルバング島の「小野田少尉」が亡くなった、訃報を聞く。小学生の頃、月刊誌「少年(鉄腕アトムなどが連載)」に、フィリピンで、残留日本兵がいる記事が載っていた。その話が、20歳を過ぎてから、本当になった。最初は「横井庄一」さん(ガム島で発見)。そして小野田さんである。陸軍中野学校(スパイ養成所)で教育を受け、軍の任務を戦後も遂行していた。終戦は知っていたが、命令が無いので、そのまま任務を遂行していたのである。
その後、海外に移住し、日本では少年に、自然の中で生きるにはどうするかという「サバイバル学校」を開いて、物資乏しい条件で、どう生きるかという大切なことを教えていた。その人が亡くなった。今になって一度、お会いしていればと思う。しかし、周りの用務に追われ、また、自身の事に奪われていた生活だった。これはやむをえないことでもある。これがわたしである。
今日は、冬空で快晴であるが、寒波襲来である。そしてセンター試験日である。それぞれの生き方がある。
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そら豆の株予報さんへ
時代にほんろうされ、生きてきた人だと思います。
(そして、戦争体験の、無念の思いの人もおります。)
小野田少尉の、中野学校の教育は、何があろうとも、敵地の探索と、敵軍を混乱させる任務でした。
ここが、陸軍の、どこそこの所属とは、異なる任務なのです。
だから、戦争が終わっても、終戦を疑いを持ち、これこそ、本当のサバイバルの生活をしていたのです。
参考までに、述べますと、中野学校では、共産主義理論も教えておりました。
これは、ソ連に潜伏した場合を想定していたのです。
食糧については、便所の「うじ虫」を、貴重な蛋白であることを、教育されました。
食べられる野草、毒草などの教育や、蛇やトカゲなどは、貴重な食糧であることの教育でした。
だから、長い間、生きられたのです。
ここで、現代を考えます。
この社会には、自分には責任は無いのに、不条理な待遇や、生活を強いられている人が、おります。
そこまで、いかなくても、悩んで、苦しんでいる人は、沢山おります。
そういう人のために、この日記が、気分転換くらいに、なればと考えます。
14時55分
昨日のNHKニュースで小野田さんをトップで取り上げていました。