堅実さんのブログ
エーゲ海の真珠(6.7.28)8時43分
もう、50年前のこと。季節は今頃だろうか。小西君が、東京の下北沢から千葉県の市川市に、引っ越しした。その手伝いである。
首都高速を2,3度、往復した。その時、鐘ヶ淵化学(現在のカネカ)の工場移転の跡地の脇を、通った。6価クロムで汚染され、赤茶けた土地には、何も植えていなかった。この頃は、公害問題で、騒がれていた時だ。
この時に、流れた曲が、エーゲ海の真珠である。
エーゲ海の真珠 ポール・モーリア
https://www.youtube.com/watch?v=CHhEPnrjaRE
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堅実さん2024/7/28 19:43kouboudaisi さんへ「わたしなど、当時で33万の、ステレオを、買いました。若者はオーディオか自動車にお金を注ぎ込み、社会に出て数年から十数年してから、マンションか建売住宅をローンを組んで買うのが当たり前の時代だったのです。それがスッカリ崩れてしまいました。これでは社会にお金が回っていきません!拡大再生産の大きなウエイトを占めていた筈です。」当時は、そんな時代だったですね。ローンで、持ち家住宅を造り、定年退職までに、全て、払い終わる。土地は、下ることはない。定年後は、退職金と、年金で、悠々と生活できるという、社会のコンセンサスが、あったですね。「少子高齢化・GDPの伸び悩みを可決する皆が欲しがる商品開発、外国人労働者の定住等を推し進めるたの妙案を堅実大先輩に発表して頂きたいものです。そうすれば、株式市場も活性化いていきます。宜しくお願い致します。」これは、はっきり言って、無能な自民党に責任があります。人口問題は、もう、30年前から、分っていたことです。私利私欲しか頭にない(最近は裏金で私腹を肥やす)、政治は2の次の姿勢に、問題があります。今日、定額減税の申請を、出しました。腹が立ちます。たった1万円で、こんな事を、させるのかと。岸田のやつめ。許さない。こんな、つまらない手間ひまを、かけさせることは、許さない。これは、見かけだけで、増税になる。日本の国債の額は、ますます増えているのに。何故、骨太というのなら、この、日本の財政問題を、正面から、堂々と、言わないのか。無責任な、ずる賢い、政治である。政治家ではなく政治屋という理由が、ここにあります。「外国人労働者の定住等を推し進めるたの妙案」これも、単純な理論です。外国人に、日本に定住できる環境を整えることです。例えば、1 医療費では、全員、健康保険に加入させる。2 老後の生活のために、厚生年金に加入させる。3 雇用保険に加入させる。(失業手当とかを充実させる)4 選挙権をあたえる。要するに、今の日本人と、同等の、法律の整備をするだけです。そうすれば、日本国は、外国人に、優遇しているとして、海外労働者は、集まります。全て、無能な自民党議員では、これが駄目です。このため、日本の生活水準は、ますます、落ちぶれます。既に、韓国に、抜かれております。この先は、更に、生活水準は、低下傾向にあります。皮肉を、込めて、ありがたやです。
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kouboudaisiさん2024/7/28 18:13再度です。>この頃は、ステレオ装置を、持っていると、優越感のあった時代です。わたしなど、当時で33万の、ステレオを、買いました。若者はオーディオか自動車にお金を注ぎ込み、社会に出て数年から十数年してから、マンションか建売住宅をローンを組んで買うのが当たり前の時代だったのです。それがスッカリ崩れてしまいました。これでは社会にお金が回っていきません!拡大再生産の大きなウエイトを占めていた筈です。少子高齢化・GDPの伸び悩みを可決する皆が欲しがる商品開発、外国人労働者の定住等を推し進めるたの妙案を堅実大先輩に発表して頂きたいものです。そうすれば、株式市場も活性化いていきます。宜しくお願い致します。
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堅実さん2024/7/28 13:37montonton さんへ「ポール・モーリアの最後の日本公演を聞きに行ったことがあります。すでに病身で長時間立って指揮ができず、途中から椅子に座って指揮し、最後はバンドマスターが替わって指揮するという壮絶な公演でした。ただ旋律は心を揺さぶられるほど美しく、急いでCDを買って何度も聞きほれていました。彼はその後しばらくして亡くなりました。」そうですか。芸に生き、最後まで、まっとうするのは、その生き方が、すばらしいです。そうありたいです。「その後彼の後を継いだ指揮者が日本に来て公演を聞きに行きましたが、もはやポール・モーリアの美しい旋律ではありませんでした。」指揮者により、こうも、違うものですか。芸術の世界は、技術の世界と同じく、奥が深いですね。
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montontonさん2024/7/28 13:24ポール・モーリアの最後の日本公演を聞きに行ったことがあります。すでに病身で長時間立って指揮ができず、途中から椅子に座って指揮し、最後はバンドマスターが替わって指揮するという壮絶な公演でした。ただ旋律は心を揺さぶられるほど美しく、急いでCDを買って何度も聞きほれていました。彼はその後しばらくして亡くなりました。その後彼の後を継いだ指揮者が日本に来て公演を聞きに行きましたが、もはやポール・モーリアの美しい旋律ではありませんでした。
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堅実さん2024/7/28 10:06kouboudaisi さんへ「ポール・モーリア、レイモンド・ルフェーブルのLPレコードは何十か聞いた筈です。レコードは何処に行ったののやら。横浜市の外れにある大学に入学し、初めてやった東急ストアのアルバイト代を貯めて買ったトリオのモジュラーステレオで飽きる程聞きました。その後パイオニアのシステムコンポ、ソニーのカセットデッキにデンオンのプレーヤー、ヤマハのプリメインアンプ、ヤマハのスピーカー等オーディオは何回か買い換えました。学校にも行かずにアルバイト三昧でした。昭和50年代は若者は無理をしてでもオーディオか自動車にお金を注ぎ込む時代だったのです。」この頃は、ステレオ装置を、持っていると、優越感のあった時代です。わたしなど、当時で33万の、ステレオを、買いました。給料が12万くらいの時です。未だ、リモコンの無い時代で、リモコンで、レコード盤が、自動で回転する。次に、ピックアップが動くのには、技術の進歩を感じました。しかし、スピーカーが大きくて、引っ越してから、邪魔になってしまいました。
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kouboudaisiさん2024/7/28 09:50何時もコメントありがとうがざいます。ポール・モーリア、レイモンド・ルフェーブルのLPレコードは何十か聞いた筈です。レコードは何処に行ったののやら。横浜市の外れにある大学に入学し、初めてやった東急ストアのアルバイト代を貯めて買ったトリオのモジュラーステレオで飽きる程聞きました。その後パイオニアのシステムコンポ、ソニーのカセットデッキにデンオンのプレーヤー、ヤマハのプリメインアンプ、ヤマハのスピーカー等オーディオは何回か買い換えました。学校にも行かずにアルバイト三昧でした。昭和50年代は若者は無理をしてでもオーディオか自動車にお金を注ぎ込む時代だったのです。