人生劇場 3年5月7日(金)20時30分

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人生劇場 3年5月7日(金)20時30分

こう、うっとうしい年には、こんなもんはどうかな。尾崎士郎の自伝的小説、「人生劇場」である。五木寛之の「青春の門」は、この人生劇場を真似して書いたという。真偽はともかく、こんな、男っぽいものも、たまにはよいだろう。

 

人生劇場

https://www.youtube.com/watch?v=X491iP62Tsw 

 

 とにかく、吉良の仁吉ではないが、喧嘩に出かけるため、女房を離縁して、そこで、討ち死にした。(仁吉は、実在した人物)

 こんな、生き方は、今では見られない。だから、見事な最期とも、言えるのか。しかし、今では、こう思う。そんな、つまらぬ喧嘩で、命を落とな。みっともなくも、長らえて、この世に、恩返しするのが、本当の、男ではないか。


一見、問題児でよいではないか。何と言われようと、己の信念を貫け。それも、また、一味する、生き方ではないか。大正琴の音色が、またよいですね。最初の、入り口の音色が、また、何とも言えない雰囲気ですね。


画面が悪い。なに甘ったれたこと、言ってるんだ。

9件のコメントがあります
  • イメージ
    堅実さん
    2021/5/7 21:08
    堅実です
    ネットからです。5月7日(金)
    ゴールデンウィーク中も大阪府の重症者は増加。極限の医療現場に伴って、
    自宅療養者も増え続け、6日時点で1万3650人にのぼった。

    大阪は、医療崩壊が、酷い状況です。感染しても、病院には、入院できません。自宅で、回復か、死を待つかです。
    吉村知事は、医療がひっ迫と言っているが、医療崩壊が正しい。




  • イメージ
    yoc1234さん
    2021/5/7 22:20
    こんばんは。

    こうなったら2類相当外して、5類にすればいい。

    病院に行けるだけでも違う。
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    こんばんは。
    コロナの西洋医学の療法は体にダメージを与え、

    体力を消耗させ体力を奪って安静にさせると、

    ストレスが過剰になり薬で治そうとしてしまいます。
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    コ鉄さん
    2021/5/7 23:05
    今晩は。堅実さん。
    尾崎士朗の作品ですよね。

    映画では、1963版 人生劇場 飛車角 主役 鶴田浩二さんでした
    けど脇の宮川役に高倉健さんです。この時の健さんのカッコいい事。

    もう一つは、1983版 人生劇場 こちらは飛車角役に松方弘樹さん
    宮川役は風間杜夫さん。これはどっちもかっこええです。
    ただこの作品の主役はお袖役 松坂慶子さんですね。
    実に美しい。ハッピーエンドではないラストで考えさせられました。

    どちらもリアルタイムでは見ていませんでしたが、実に綺麗な映画
    です。原作が分かりやすいからでしょうか。
    飛車角とおとよ、瓢吉とお袖の出会いと別れがまた感動しますわ。
  • イメージ
    風車の弥吉さん
    2021/5/8 01:26
    こんこん。

    コ鉄さんのおっしゃる通り、尾崎史郎ですね。
    紅葉は、金色夜叉で有名です。

    人生劇場」は著者の自伝的小説で、昭和8年から「都新聞」に連載され、2年後に竹書房から「青春篇」が刊行されました。すると当時時評家として有名だった川端康成が手放しで激賞し、すぐに映画化、舞台化されて評判となりました。

    荒神山の争いは、ともに伊勢の博徒である神戸長吉(かんべのながきち)と穴太徳(あのうとく)の間に縄張り争い、
    義兄とは戦えない仁吉は恋女房のお菊に離縁状を渡すと言う決断をするんですね。その離縁状が三行半だったので、その後離縁状を。三下(みくだり)半と言われるようになったとか。
    歌にもありますが、「嫁と呼ばれてまだ三月、ほんに儚い夢の後」とね。

    神戸側の助っ人であった吉良の仁吉の死の報に兄弟分の清水次郎は子分らを動員。伊勢の神社港(かみやしろ)に2隻の船を乗りつけて安濃徳と後盾である伊勢古市の丹波屋伝兵衛に決戦を挑むが両者とも謝罪したため和議をします。

    清水一家と穴太徳の正式な和解は明治の2年頃行われたと言い伝えられています

    ちなみに荒神山は、鈴鹿市ですね。サーキットを見に行った時、荒神山へ行って見ました。ここで数百人の博徒らが決闘したのかと、しみじみ感慨にふけっていました。
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    堅実さん
    2021/5/8 11:48
    yoc1234  さんへ

    もう、何をしても、手遅れだと思います。
    緊急事態宣言が、効果が無くなりました。
    ある、領域を超えますと、もう、暴走する1例です。


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    堅実さん
    2021/5/8 11:50
    ISAY企画  さんへ

    西洋医学の、欠点ですね。

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    堅実さん
    2021/5/8 11:55
    コ鉄  さんへ

    私は、この歌の文句が、気に入っております。
    どこまでも、やってやる。
    今の、この混沌とした、薄っぺらい世の中で、本当の生き方は、何か。
    分からないから、株式くらいは、やってやろうという、馬鹿な、男があります。
    一途の夢を、止めてなるかよ。です。

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    堅実さん
    2021/5/8 12:02
    風車の弥吉  さんへ

    「コ鉄さんのおっしゃる通り、尾崎士郎ですね。
    紅葉は、金色夜叉で有名です。」

    訂正しました。

    人生劇場」は著者の自伝的小説で、昭和8年から「都新聞」に連載され、2年後に竹書房から「青春篇」が刊行されました。すると当時時評家として有名だった川端康成が手放しで激賞し、すぐに映画化、舞台化されて評判となりました。

    荒神山の争いは、ともに伊勢の博徒である神戸長吉(かんべのながきち)と穴太徳(あのうとく)の間に縄張り争い、
    義兄とは戦えない仁吉は恋女房のお菊に離縁状を渡すと言う決断をするんですね。その離縁状が三行半だったので、その後離縁状を。三下(みくだり)半と言われるようになったとか。
    歌にもありますが、「嫁と呼ばれてまだ三月、ほんに儚い夢の後」とね。

    神戸側の助っ人であった吉良の仁吉の死の報に兄弟分の清水次郎は子分らを動員。伊勢の神社港(かみやしろ)に2隻の船を乗りつけて安濃徳と後盾である伊勢古市の丹波屋伝兵衛に決戦を挑むが両者とも謝罪したため和議をします。

    清水一家と穴太徳の正式な和解は明治の2年頃行われたと言い伝えられています

    ちなみに荒神山は、鈴鹿市ですね。サーキットを見に行った時、荒神山へ行って見ました。ここで数百人の博徒らが決闘したのかと、しみじみ感慨にふけっていました。

    「ありがとう、ございました。勉強になりました。」

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