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風と共にさりぬ(2) 元年5月2日(木)19時59分

風とともに去りぬ(2)映画(中編) (長いので、時間の有る時にどうぞ)

 令和が始まり、どこか、お祝いムードです。この先、戦争の無い、平和の時代でありますように。


この映画は、太平洋戦争後、映画館で10年をおき、放映された。それだけ、人気の有る、映画だったのだろう。私も、高校生の時、最近作った映画だと思っていた。大人の人が、リバイバルだと言ったので、何だか変だなと思っていたが、そうだった。


https://youtu.be/zpQRbCt-f8g 



1939年の作品。

太平洋戦争が1940年12月8日から、1945年8月15日まで。

太平洋戦争当時、アメリカはこの映画を見ていたのだろう。当時の国内総生産は、日本が1に対して、アメリカは4である。とても生産力でも勝てる相手ではない。当時のソ連の国内総生産は、日本の2.6倍である。ソ連1国と戦っても勝てない。


日本は、合理的な判断が無く、精神力とか、甘い見込みで戦争を継続した。結果は、負けて当然である。こんな戦いはするべきではない。


(今、危惧するのは、日本の財政力である。安部総理の考えが甘い。何時かは、このしっぺ返しがくる。)


 アメリカは、太平洋、大西洋の両方でも戦える強さがあった。太平洋は日本、大西洋は、ドイツ海軍である。



以下はネットニュースです。(実は、このニュースですが、何時のニュースか、不明になりました。3年程前だと思いますが。)


【ニューヨーク山科武司】米ジョージア州ストックブリッジで9日夜、倉庫火災が発生。南北戦争時代を描いた映画「風と共に去りぬ」(1939年)を記念した「ロードトゥタラ博物館」(同州ジョーンズボロ)の収蔵品が保管されていたが、火災と消火活動で大半が破損した模様だ。衣装や映画の台本などは約13キロ西方の博物館にあって無事だった。


AP通信などによると、地元の観光案内局が倉庫の一角を借り、博物館に展示しきれない収蔵品を保管していた。焼けた多くは、映画初上映の際の大型ポスタータイプの案内板などだったが、観光案内局の担当者は「かけがえのないものばかり」と地元紙に語った。


「風と共に去りぬ」の舞台は米南部の架空の町タラだが、アトランタ南方のジョーンズボロがモデルとされ、博物館もここにある。火事は10日朝まで燃え続け、1人が病院に運ばれた。



2件のコメントがあります
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    kouboudaisiさん
    2019/5/2 22:50
    こんばんは!お久しぶりです。
    「風と共に去りぬ」は私が東北の田舎城下町に住んでいた頃、高校生の時に映画館で観ました。昭和46年か昭和47年頃だったと思います。
    映画音楽(タラのテーマ)はパーシーフェイス楽団のLPレコードを買った覚えがあるのですが、何処いったものやら分からなくなってしまいました。
    当時戦時中にこんな映画を作成する余裕が、アメリカ合衆国にはあった訳ですから大したものです。もっとも、ベトナム戦争中にアポロ11号以下月探索ロケットを打ち上げている訳ですから、日本の経済力と比較してもしょうがありません。
    何でもこの映画は最初の火事場から、馬車が飛び出して来るシーンの撮影から始まったそうですね。その後から俳優をキャスティングしていったという事ですから、日本映画に比べると格段に余裕があるのでしょう。
  • イメージ
    堅実さん
    2019/5/4 20:18
    kouboudaisi   さんへ

    昨日は、ノーパソコンデー7でした。

    「風と共に去りぬ」は私が東北の田舎城下町に住んでいた頃、高校生の時に映画館で観ました。昭和46年か昭和47年頃だったと思います。

    私が、映画のポスターを見たのは、昭和41年だと思います。
    高校生です。日本で何回か、あちこちで上映されています。


    「当時戦時中にこんな映画を作成する余裕が、アメリカ合衆国にはあった訳ですから大したものです。もっとも、ベトナム戦争中にアポロ11号以下月探索ロケットを打ち上げている訳ですから、日本の経済力と比較してもしょうがありません。」

    そうですね。この頃、ケネデー大統領が、ベトナムの空爆を始めた頃です。

    「何でもこの映画は最初の火事場から、馬車が飛び出して来るシーンの撮影から始まったそうですね。その後から俳優をキャスティングしていったという事ですから、日本映画に比べると格段に余裕があるのでしょう。」

    これは、知りませんでした。
    いずれにしろ、カラー映画だった事もあり、(当時の日本映画は16ミリの白黒映画)、技術力の差を見せつけられたものです。



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