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「侵略する死者たち」より(その3)

ウルトラセブン第33話「侵略する死者たち」が放送された、1968年5月19日は、戦後の一時期、菊池寛実、南俊二とともに「日本の三大億万長者」と並び称された大谷米太郎(おおたによねたろう、1881724 - 1968519日)が亡くなった日です。

大谷 米太郎は、富山県小矢部市の貧しい農家に生まれましたが、31歳の時、わずか20銭の所持金を持ち上京しました。


日雇人夫をしているときに、相撲部屋から声がかかり、大相撲力士となりましたが、幕下筆頭まで出世した時点で、酒屋に転身しました。


米太郎は現金取引を優先したことで利益を上げ国技館一手扱いの酒屋となりました。更に儲かる仕事を求めて鉄鋼圧延用のロールを作る東京ロール製作所を興しました。


192391日の関東大震災では、米太郎のロール工場も被災したものの、震災後の復興に伴う鉄鋼需要に注目し大谷製鋼所を設立し、利益を上げました。


更に材料の特殊鋼製造にも着手し、1939年に大谷製鐵を設立、翌年大谷製鐵・東京ロール製作所・大谷製鋼所が合併し、大谷重工業となりました。


加えて満州にまで進出し、1940年(昭和15年)には資本金1億1300万円の、資本金の額では当時全国で9番目の会社になり、当時の「鉄鋼王」と呼ばれました。


太平洋戦争では満州地域での事業を失うなど損害を受けたものの、朝鮮特需では大谷重工業は活気を取り戻しました。


1964年、東京オリンピックの開催に際し、東京の宿泊地不足に対して米太郎はホテルニューオータニを建設しました。


関東大震災で生活基盤の全てを失った大谷米太郎は学問もなく読み書きもあまり出来なかったのだそうです。


持っていたのは丈夫な体とへこたれない根性だけで、政府の援助も人の助けも借りずに、窮状から独力で抜け出し一代で巨万の富を築いたことは特に注目すべきでしょう。

「私の人生は、よく他人に七転び八起きの人生のように言われるが、外見には波乱に富んだ人生のように見えても、私自身としては階段を一段一段上がっていったもので、私は未だかつて転んだことはない」と述べていたようです。


筆者も貧しい個人投資家のはしくれとして、あやかりたいものです。

ウルトラ7株の5/20現在の売買サインは以下のとおりとなっております。投資結果には一切責任を取りませんので、投資判断は自己責任でお願いします。


1.9437 NTTドコモ : もみあいに戻る。

2.3382 セブン&アイHD : もみあい継続。

3.4452 花王 : もみあい継続。

4.4901 富士フイルム : もみあい継続。

5.2413 エムスリー : 買本線継続

6.9007 小田急:売り本線に入る

7.4716 日本オラクル : もみあい継続


デュワッ!


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