yoc1234さんのブログ最新一覧へ « 前へ6980件目 / 全21087件次へ » ブログ 伊吹山が呼んでいる 通報する yoc1234さん 投稿:2015/8/26 16:44更新:2015/8/26 23:48 伊吹山が呼んでいる 伊吹山が珍しく晴れた。 大きな鳥が飛んでいたが、写らなかった。琵琶湖もちょっぴり見えた。 山頂のシンボル。 新幹線と名神高速から見える山 山頂駐車場 タグ: 伊吹山 通報する 8件のコメントがあります 古い順新しい順 nyajyaraさん 2015/8/26 16:56 通報する こんにちは。すごく風景が綺麗なところに住んでおられるのですね。羨ましい・・・秋は空気が澄んで、もっと綺麗になるのでしょうね。日本武尊(にほんぶそん?)お賽銭箱まであるのですか・・・?回収大変そう・・・ Empty-Gallantryさん 2015/8/26 16:59 通報する ヤマトタケルノミコト yoc1234さん 2015/8/26 20:41 通報する nyajyaraさんここは1時間半ぐらいで行ける。スカイラインが3090円で高い。神話の人ですよ。今時の人みたい。AKBなら言いそうね。嵐なら知ってるよきっと。 yoc1234さん 2015/8/26 20:43 通報する はくぜんさんよくご存じで。出雲に行きましょう。 りす栗さん 2015/8/26 20:51 通報する こんばんは。> 伊吹山が珍しく晴れた。そうなんですか。この時期だからかな?今は近所にいないのですが、以前は近くを通るたびに全景が見えるかどうかを確認するのが習慣になっていました。ふもとから全貌が見える面白い山ですし。そもそも小学校のときに在来線でごとごと京都に向かう途中にみた冠雪の伊吹山があまりに印象的だった。たしか在来線との間に新幹線は開通してて、それが間に見えてのがよかった・・ような記憶が・・・50年前だ(^^) yoc1234さん 2015/8/26 21:15 通報する りす栗さんそうですか。カメラマンが30人ぐらい200万移譲するカメラを並べ、9時ぐらいから3時ぐらいまでオオタカなどをねらって、一日待っています。彼らに聞くと、いつか晴れたらもうけもの。1時ごろ一瞬下から上まで見えました。台風のおかげで、風が強く、雲が飛んだのでしょう。雪の時期はきれいに新幹線から見えます。木曽川を超えたあたりのPでいつも、端っこまでいき写真に撮ります。 風車の弥吉さん 2015/8/26 23:36 通報する こんばんは。ヤマトタケルは伊勢亀山の「のボの」で死んだはず。不思議な縁ですね。古事記と日本書紀では記述に違いがあるものの、ヤマトタケルは伊吹山の神の怒りに触れ病となり、大和への帰路の途中、この地で亡くなり葬られたことは、同じである。古事記では、死の間際に倭は 国のまほろば たたなづく 青垣 山隠れる 倭しうるわし(やまとは くにのはほろば たたなづく あおがき やまごもれる やまとしうるわし)愛しけやし 我家の方よ 雲居立ち来も(はしけやし わぎへのかたよ くもいたちくも)の有名な歌を歌ったとされている。私もここで「我家の方の雲居」をはるばると見渡してみた。梅雨の雲が垂れ込め、雨こそ一時やんだものの鈴鹿の山々は見晴かすことはできなかった。この歌は、日本書紀では、彼の父の景行天皇が九州に遠征した折の歌として扱われている。詮索はともかく、ヤマトタケルは「のぼの」に葬られたが、白鳥になって大和を指して飛び去ってしまった。柩を開いてみると衣だけが空しく残り屍はなかった。古事記では、妻子が小竹に足を切りながら哭(な)きながら白鳥を追いかけたことが記されている。古事記で最もロマンチックな部分である。やがてススキが穂をだして、アカトンボが飛ぶ頃でしょうね。 yoc1234さん 2015/8/26 23:48 通報する 風車の弥吉さんさすが、歴史通ですね。歌の世界に通じるとよくご存じで。たぶん毒草の多い地方。毒矢でやられたのでは。一番下の写真にススキが出てます。遠くは琵琶湖が見えます。白いのはサラシナショウマ。秋の風景です。山道から3mぐらい奥にトリカブトが咲いています。 コメントを書く コメントを投稿するには、ログイン(無料会員登録)が必要です。会員登録無料ログイン
こんにちは。
すごく風景が綺麗なところに住んでおられるのですね。
羨ましい・・・
秋は空気が澄んで、もっと綺麗になるのでしょうね。
日本武尊(にほんぶそん?)お賽銭箱まであるのですか・・・?
回収大変そう・・・
古事記と日本書紀では記述に違いがあるものの、ヤマトタケルは伊吹山の神の怒りに触れ病となり、大和への帰路の途中、この地で亡くなり葬られたことは、同じである。
古事記では、死の間際に
倭は 国のまほろば たたなづく 青垣 山隠れる 倭しうるわし
(やまとは くにのはほろば たたなづく あおがき やまごもれる やまとしうるわし)
愛しけやし 我家の方よ 雲居立ち来も
(はしけやし わぎへのかたよ くもいたちくも)
の有名な歌を歌ったとされている。
私もここで「我家の方の雲居」をはるばると見渡してみた。
梅雨の雲が垂れ込め、雨こそ一時やんだものの鈴鹿の山々は見晴かすことはできなかった。
この歌は、日本書紀では、彼の父の景行天皇が九州に遠征した折の歌として扱われている。
詮索はともかく、ヤマトタケルは「のぼの」に葬られたが、白鳥になって大和を指して飛び去ってしまった。
柩を開いてみると衣だけが空しく残り屍はなかった。
古事記では、妻子が小竹に足を切りながら哭(な)きながら白鳥を追いかけたことが記されている。
古事記で最もロマンチックな部分である。
やがてススキが穂をだして、アカトンボが飛ぶ頃でしょうね。