中村哲 ペシャワール会医療サービス(PMS)総院長

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中村哲 ペシャワール会医療サービス(PMS)総院長

素晴らしく意味のあるいい人生

【海外の反応】「日本がもたらした本物の奇跡!!!」荒れ果てた砂漠が、緑あふれる豊かな土地に~ アフガニスタンから感謝の嵐!!!



中村哲 (医師)
中村 哲(なかむら てつ、1946年9月15日 - )は、福岡県福岡市出身の日本の医師。 ペシャワール会医療サービス(PMS)総院長。西南学院中学校、福岡県立福岡高等学校、九州大学医学部卒業。
目次
1 経歴
2 著書
2.1 共編著
3 中村哲を題材とした作品
4 関連項目
5 外部リンク
経歴[編集]
国内病院勤務ののち、1984年、パキスタン北西辺境州の州都ペシャワールに赴任。以来、20年以上にわたってハンセン病を中心とする医療活動に従事。登山と昆虫採集が趣味で、1978年には7000m峰ティリチミール登山隊に帯同医師として参加した。
パキスタン・アフガニスタン地域で長く活動してきたが、パキスタン国内では政府の圧力で活動の継続が困難になったとして、今後はアフガニスタンに現地拠点を移して活動を続ける意思を示している。
作家の火野葦平は母方の叔父(妹が中村の母)。外祖父で若松において港湾荷役業を営んでいた玉井金五郎が映画『花と竜』のモデルとなったことで周囲から玉井家が暴力団関係者と誤解され、中村も迷惑を被ったとしている。また、福岡高校の同期に原尞がいる。
自身はキリスト教プロテスタント系バプテスト派のクリスチャンであるが、現地の人々の信仰や価値観に最大限の敬意を表しながら活動を続けている。
2003年マグサイサイ賞受賞。 2004年には、皇居に招かれ今上天皇・皇后と紀宮清子内親王へアフガニスタンの現況報告を行った。同年、第14回イーハトーブ賞受賞。
2008年には参議院外交防衛委員会で、参考人としてアフガニスタン情勢を語っている。 2013年、第24回福岡アジア文化賞大賞、第61回菊池寛賞を受賞。 2014年、『天、共に在りーアフガニスタン三十年の闘い』で、第1回城山三郎賞、第4回梅棹忠夫・山と探検文学賞を受賞。
著書[編集]
『ペシャワールにて 癩そしてアフガン難民』石風社 1989
『ペシャワールからの報告 現地医療現場で考える』河合ブックレット 1990
『アフガニスタンの診療所から』筑摩書房 ちくまプリマーブックス 1993 のち文庫 
『ダラエ・ヌールへの道 アフガン難民とともに』石風社 1993
『医は国境を越えて』石風社 1999
『医者井戸を掘る―アフガン旱魃との闘い』石風社 2001
『ほんとうのアフガニスタン―18年間“闘う平和主義”をつらぬいてきた医師の現場報告』光文社 2002
『医者よ、信念はいらないまず命を救え! アフガニスタンで「井戸を掘る」医者中村哲』羊土社 2003
『辺境で診る辺境から見る』石風社 2003
『アフガニスタンで考える―国際貢献と憲法九条』岩波ブックレット 2006
『医者、用水路を拓く―アフガンの大地から世界の虚構に挑む』石風社 2007
『天、共に在りーアフガニスタン三十年の闘い』NHK出版 2013


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3件のコメントがあります
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    日本式治水砂漠を緑化
    2013年10月12日 16時50分
    自然と共生古来の知恵

     「正造が言うように、人間は自然の前でもっと謙虚になり、共存の道を模索しなければならない」。アフガニスタンで用水路建設に取り組んでいる民間団体「ペシャワール会」現地代表の中村哲さん(67)はインタビューで、田中正造に学んだことを説いた。11日付に続き、中村さんにとっての“正造魂”を紹介する。

     (聞き手・末吉光太郎)

    ◆ペシャワール会・中村さんに聞く


    医師で作家の鎌田實さんと対談する中村さん(左)(8月、東京・永田町の参議院会館で)=末吉光太郎撮影

     ――アフガニスタンでは今も干ばつが頻発している。

     「私がアフガンに渡って30年になりますが、来た当初と比べても明らかな気候の変化を感じます。前の年まで青々としていた水田が次の年には一木一草も生えない砂漠と化してしまうことがある。村がこつ然と消えてしまうことが起こるのです」

     「だから、アフガニスタンに関して言えば、地球温暖化が進む限り、砂漠化は必然です。しかし、その中でも生き延びられる方法を模索するしかないというのが私の確信です。そしてそれは安定した灌漑(かんがい)、有効な水資源の利用です」

     ――そのような厳しい環境の中でどうやって用水路を作っているのか。

     「いくら最新の設備をもうけても現地の住民が維持できなければ意味がありません。そこで導入したのが日本の近世以前の取水、治水の技術です。九州・筑後川で用いられていた遠方の川から水を引くための取水口や柳を使った護岸など、日本の土木技術の粋を積極的に活用しました。また、材料にはコンクリートではなく、現地で調達しやすい石材を使うなど、自然と同居するという日本古来の治水思想を大切にしました」

     ――作業の大変さは。

     「現地の気温は夏は50度以上になります。熱中症で毎日、作業員がばたばたと倒れます。それでも彼らアフガン人は作業の手を緩めません」


    用水路沿いの川に石で出水堰を築造する中村さん(2007年4月、ペシャワール会提供)
     ――彼らのエネルギーの源泉は。

     「願いはたった二つしかないのです。一つは日に3度の食事が食べられること。もう一つは故郷で家族と暮らせるようになること。用水路が開通すれば、それができ、開通しなければ、もとの惨めな難民生活が待っている。生死のはざまで生きるか死ぬかの工事なのです

     「放っておけば砂漠になるような場所でも、みんな住み慣れた土地に愛着を持っているのです。自分たちが生まれ育った山や川は捨てがたいのです。正造は『天地が滅ぶれば正造もまた滅びざるをえない』と言いました。安蘇、足利の山川が滅ぶということは自分が滅ぶことだと。それと同じことだと思います」

    ■用水路の完成

     ――2009年8月には全長25キロ・メートルのマルワリード用水路が開通した。

     「着工から約7年間の工事に携わったアフガン人は延べ約90万人。回復した3000ヘクタールの農地に15万人の難民が戻ってきました


    ガンベリ砂漠で、防風・防砂のために植林をする中村さん(2009年11月、ペシャワール会提供)
     「開拓地を増やす一方で、植林も進めています。せっかくできた田畑も砂嵐に遭えば、一晩で台無しです。紅柳やビエラなど、アフガン固有の木をこの10年間で75万本植えました。木を植えることで土壌は保水力を増し、貯水池をつくるのと同様の効果も持ちます。くしくも正造が100年前に指摘しているように、治水と治山は切り離せないのです」

    ■真の文明

     ――正造の自然観は今に通じる部分が多い。

     「正造は100年前に人類がこのままでは生き延びられないということを予言的に述べています。『真の文明は 山を荒らさず 川を荒らさず 村を破らず 人を殺さざるべし』という言葉などは意味深長、全く同感です。私も思うことですが、自然を絶対的にコントロールすることはできないのです。日本の『治水』という言葉は英語の『フラッドコントロール』とは違います。正造も言う自然と共生するという東洋的な発想がそこにはあります。この点、日本の農村は以前から生活に根ざした知恵を持っていました。正造はそのことを日記などで明瞭に述べています」

    ■地域に根ざす

     ――正造は100年たった今も人気。

     「正造は生前、三宅雪嶺のような国粋主義者から極左と見られていた幸徳秋水まで様々な共感者を生んでいます。正造はイデオロギーや理念で物事を語るのではなく、実際に自分の手足を動かし、地域に根ざした視点からものを言った。大上段に構えて天下国家や日本の行く末を論じても身に染みたものは感じません。そうではなくて、『民百姓をないがしろにして何の国家か』という正造の言い方ですね。地域の具体的な課題から普遍的な問題に展開していったその底力に私も敬服します」

           ◇       ◇

    ■没後100年表彰 継続すべきだ

     中村さんは9月、アジアの文化や学術の発展に貢献した人をたたえる「第24回福岡アジア文化賞」(福岡市など主催)の大賞を受賞した。アフガニスタンでの医療や農業支援の取り組みが評価された。日本人の大賞受賞は10年ぶり、2人目だ。

     一方、佐野市は田中正造の没後100年の今年、環境問題などに取り組む団体に授与する「田中正造記念賞」をもうけ、環境大臣賞には、煙害で荒廃した足尾銅山に植樹を続けてきた「足尾に緑を育てる会」を選んだ。しかし、同市によると、来年以降の表彰予定はないという。中村さんは「その豪胆さ、気力、繊細さ、自然への洞察力。正造のように時代を超えて輝く偉人は世界でもめったにない。日本にこのような人物がいたことを忘れないためにも、継続すべきだ」と言う。

    2013年10月12日 16時50分 Copyright © The Yomiuri Shimbun


  • イメージ
    ペシャワール会
    ペシャワール会(ペシャワールかい)は、パキスタンでの医療活動に取り組んでいた医師の中村哲を支援するために1983年に結成された非政府組織。現在はパキスタン北西辺境州および国境を接するアフガニスタン北東部で活動している。
    中村は当初、主にハンセン病の治療に取り組んでいたが、2000年の大干ばつ時の赤痢患者急増をきっかけに、清潔な飲料水の確保にも取り組むようになった。また、自給自足が可能な農村の回復を目指し、農業事業にも取り組んでいる。
    2001年の米軍によるアフガニスタン空爆の際には「アフガンいのちの基金」を設立、アフガニスタン国内避難民への緊急食糧配給を実施した。日本の人々から募金が寄せられ、2002年2月までに15万人の難民に配給を行った。 後にこの基金をもとにした総合的農村復興事業「緑の大地計画」が実施されることとなった。
    目次
    1 概要
    2 水問題
    3 農業支援
    4 インフラ整備
    5 会員拉致殺害事件
    6 脚注
    7 外部リンク
    概要[編集]
    活動 : 医療事業、水源確保事業、農業計画から成る「緑の大地計画」
    構成 : 約300名の現地職員、約12,000人のペシャワール会会員が支えている。
    評価
    1993年 - 第1回福岡県文化賞(交流部門)受賞(福岡県主催)。
    2002年 - 第1回沖縄平和賞受賞(沖縄県主催)。
    2003年 - マグサイサイ賞・平和国際理解部門受賞。
    2004年 - イーハトーブ賞受賞(宮沢賢治学会主催)。
    2009年 - 福岡市市民国際貢献賞受賞(福岡市主催)。
    マグサイサイ賞及びイーハトーブ賞は中村の個人的な業績に対する受賞である。パキスタン2ヵ所、アフガニスタンの3ヵ所にある病院および診療所での2003年度総診療数は約16万人。
    水問題[編集]
    アフガニスタンからの大量の難民の発生の大きな原因は旱魃でもあり、ユニセフによると、アフガニスタンの子どもの6人に1人の幼児が5歳以下で死亡し、その多くが慢性的な下痢が原因で命を落としている。これは、水源が確保できないため、上下水共用の不衛生な水を飲料利用していることにある。(2004年10月)
    ペシャワール会ではアフガニスタン北西辺境州の飲料水および農業用水の問題を改善するために、地元に伝わる昔ながらの工法を用いた井戸の設置やカナート(カレーズ)の復旧工事を進めている。また、2003年3月には灌漑用水確保15ヵ年計画として、全長20kmの大規模な用水路建設を開始した。2007年3月15日に第一期13kmが完成した。
    農業支援[編集]
    アフガニスタンにおける安定した生活基盤の回復を実現するため活動を行っている。
    インフラ整備[編集]
    紛争地帯の人々を井戸掘りなどのインフラ整備で雇用することによって、彼らが軍閥に職を求めることを予防している。
    会員拉致殺害事件[編集]
    詳細は「アフガニスタン日本人拉致事件」を参照
    2008年8月26日、ジャラーラーバード近郊を自動車で移動していた男性スタッフが武装集団に包囲され運転手とともに拉致された。 その後、男性日本人スタッフ・伊藤和也(当時31)と見られる遺体が発見された。[1]27日にはターリバーンのムジャヒド広報官が、ターリバーンによる男性の拉致と殺害を認め、「このNGOが住民の役に立っていたことは知っている。だが、住民に西洋文化を植え付けようとするスパイだ」「すべての外国人がアフガンを出るまで殺し続ける」「日本のように部隊を駐留していない国の援助団体でも、われわれは殺害する」との声明を発表した[2][3]。
    脚注[編集]
    [ヘルプ]
    ^ 【アフガン邦人男性拉致】タリバン「殺害した」 全外国人が標的 (MSN産経ニュース)
    ^ 菜の花畑の笑顔と銃弾(NHKスペシャル)
    外部リンク[編集]
    ペシャワール会(公式サイト・日本語)http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/index_pesha.html

    Peshawar-kai(Official Site・English)



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    日本のアフガニスタンへの支援
    1.アフガニスタン自身の治安能力の向上のための支援
    【目的】 アフガニスタンを自立させ、再びテロの温床としない。アフガニスタンを自立させ、再びテロの温床としない。
    【実績】
    2001年以降、我が国はアフガニスタンに対し、総額約49.35億ドルの支援を実施済。
    2012年7月東京会合において、「2012年より概ね5年間で開発分野及び治安維持能力の
    向上に対し、最大約30億ドル規模の支援」を行うことを表明。現時点で総額約15.95億ドル


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