バーベキューさんのブログ
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「パクリ」
たしかに日本人は昔からパクるのが上手かった。弱小国家だからだろう。今もパクっている。IT、コンピュータゲームはアメリカ、洋服のユニクロも最初はパクリだった(というか洋服自体がパクリ。和服を着ている年配の人もいるけど少数派だろう)ボードゲームの人生ゲームもアメリカ。そして日本のボードゲームは似たような双六ゲームしかないと嘆いていたブログもあった(ボードゲームの本場はドイツのようだ)
自動車もパクリ。飛行機もパクリ。家電もパクリが多い。将棋も麻雀もアニメも電話も電車も原発もパクリ。パクってない方が珍しい。
でも、なぜパクリなのに経済大国になったのだろう?外国人はなぜパクリ製品を買うのだろう?なぜ高いパクリ日本製品を買うのだろう?でもアップルも中国も韓国も同じ。目糞、鼻糞。日本は金を払ったのだろうか?外国は金を払ったのだろうか?
こういう疑問が生まれる。そしてもう一つ。
日本はどういう方向に行けばいいのだろう?
これらは別に詳しく調べてないので個人的な意見ですけど。
日本がパクリ大国だ、というのはただの偏見と思います。
古今東西、パクリ合いで文化、文明は発展してきたと思います。
ヨーロッパはどこかのアジアかアフリカからか文化文明をもってきたと思いますし、アメリカはヨーロッパからもってきて、それらを自国で育てて独自の文化や文明に発展させてきたわけです。
中国や欧米から文化文明を持ってきて発展させた日本と何も変わらないと思います。
ヨーロッパは各国の天才たちが影響を与え合って(パクリ合って)偉大な発明や発見をしたでしょうし、アメリカは世界中からかき集めた天才たちが影響を与え合って~したと思います。
日本は離れた小国で孤立しているので、そう見えるだけと思います。
実際には日本の天才が欧米中の天才の発見発明を自国に持ってきて、そこに新しいアイデアを加えて外に出したので、立派な創造と思います。
学びは真似ることからといいます。
どんな偉大な発明や発見も、その殆どは、それまでの発明発見の積み重ねなわけです。
偉大な発明や発見の、オリジナルの占める割合を調べると、数パーセントなのかもしれません。
大事なことは、新しいアイデアを加えること、新たな一ページを加えることができるか、そして、またその意志があるか、ということと思います。
パクリとして糾弾されるべきは、初めからその意志がなく、ただ真似ただけで新しいアイデアが何もないことと思います。
人間は常に偏見で生きています。
例えば、アメリカといえば(黒人)奴隷の国、として負のイメージがありますが、どの国にも差別はありました。
日本でも、エタなんとかなどの差別がありました。
アメリカだけ差別があったかのような世界の偏見はバカらしいです。
むしろ、アメリカは奴隷制度を自分たちで辞めたえらい国なのではとすら思います。
戦争についてもそうです。
人間はずっと血で血を洗う殺し合いをしてきました。
殺人や(婦女)暴行はどの国でもありました。
にもかかわらず、日本とドイツだけが戦争責任を言われるのは馬鹿げています。
結局、日本人以外は自分のことを棚に上げることが普通で、日本人はその逆なので、パクリだの戦争責任を謝れだの言われるのだと思います。
自分のことを棚に上げるな、と言い返さない限り、ずっと続くとおもいます。
まず、日本人は、相手の国のパクリや戦争責任を徹底的に調べ上げて、バカげたことを言われたら、そのことを指摘して、オレたちは赫赫云々で反省し続けているのに、お前らは何もしていない、最低な奴らだ、お前らも反省しろ、というべきと思います。
歴史教育においても、日本だけが自国の負の歴史をことさら強調して学ぶのは馬鹿げていると思います。
中国や某国、欧米、その他世界の国々も自国の負の歴史を子どもに教えるべきでしょう。
そうして、世界すべての国々の子どもたちが、自国の正しい歴史を知った時、真の歴史教育が完成すると思います。
日本だけがしているだけでは正しい歴史教育は完成しない、と思います。
例えば中国の子どもが日本の子どもに、「あなたの国は僕の国にひどいことをしました。でも、僕の国も他の国にひどいことをたくさんしてきました。ともに、そのことを考え、これから先、そういったことが起きないように協力していきましょう。」ということができたなら、それこそが正しい歴史教育の完成と思います。
戦争責任などは人類の過ちと考えなければならないと思います。
※以上、いろいろ書きましたが、当方ぼんくらで、歴史とかほとんど知らないので、重箱の隅をつつくような揚げ足取りで反論するのはやめてくださいね。