堅実さんのブログ
平凡の中の非凡(4)25年9月26日(木)20時06分
ここで、こんな事を考えてしまいました。一体、秀才とか言われている人は、こんなことを考えるだろうかと。そんなことよりも、自分のやりたい事を、どんどんとやっていて、改めてこんな習慣がどうのとか、こうすれば凡才でもどうにかなるとかいうことは眼中に無いだろうと。そうするとこれは、凡人が、世間で言うところの、凡人ではあるけれど、少しはましなことが、できるかもしれないという可能性を言っているにすぎないと。
(天の邪鬼登場。おいおめえ。そんなくだらんことを、言ってみたところで、何になる。時間の浪費ちゅうもんではねえか。大体秀才は、凡才がどうのこうのとは、考えねえぜ。秀才の頭は、余計なことなんか考えないのが秀才と言うんだ。ところでおめえ。最近株式の記事がすっかり無くなったな。そんな時間があったら、銘柄研究でもしたほうがいいぜ。)
もうひとつ、これは大事なことですので、忘れないでください。人は動物であり、感情の持ち主です。そして合理的に考える理性よりも、感情が優先して人は動いているとも言えます。行動を止め、落ち着いた時に、理性が感情よりも優先して判断するとも言えます。まず人が行動を起こすのは、この理性と感情がごちゃごちゃになった、混沌とした脳の働きの状態で行動していると、言えないでしょうか。
ここで大切なことは、「ていねい」ということです。可能な限り、ていねいに動くことです。そうすれば、行動するときに感情よりも、頭で考えた領域が大きくなりやすく、極端な間違いを起こす確率が、少なくなると、考えます。これには例えば、暴力的言動が少なくなることでもあります。習慣は第2の天性と言いますが、この言葉と感情をコントロールするぞという気持ちで、単純なことをコントロールすることは大切ではないでしょうか。
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