堅実さんのブログ
秋子の退職(2)24年9月17日(月)9時48分
明彦の知る限りでは、大学を卒業し、就職難の時に、何とか捜し求めて、やっとのことで会社に勤めたが、2年くらいで辞め、その後、就職先が無く、家でぶらぶらしているか、アルバイトをしているかの、その先はどうしているか不明だが、こんなことを、聞いている。
こんな話は幾つか聞いていることである。石の上にも3年という。辛抱強く勤めていれば、我慢していれば、会社は、給料は出してくれる。会社から、解雇すると言ってきたのでは、無いのである。その先がどうなるか良く考えない、今の若者の世代である。
それは、秋子だけでは無く、生活に恵まれた世代の、かつて豊かな日本だった時代の共通する考えだと感じている。苦労を知らない、努力をしなくても生活できる時代に生きてきた年代である。だから、少し自分にとって、会社で面白くないことや、不満があると、直ぐに、辞めてしまうのである。
耐えることを、知らない世代である。明彦君でも昭和30年代からの池田内閣の「所得倍増計画」から国内総生産は飛躍的に増大してきた時に、生きてきたのである。
1964年(昭和39年)の東京オリンピックは、その象徴である。戦後の貧しい時代から、豊かな時代へとの変遷である。そしてこの豊かさは1990年のバブル好景気まで続いたのである。秋子が、生まれたのはこの好景気の最中である。
そして、今の日本社会では、会社を辞めた後は、一口で言えば、悲惨な現実が待っているのである。次には、好条件の就職先が、見つからないのである。転職をすればする程、その先は条件の悪い会社が待っているのである。それでも仕事が見つかれば良い方である。そしてそこが、不満で辞めたとすれば、今度は勤める先が無いのである。
もうひとつ、明彦君の家庭の特徴的なことを、述べなければならない。それは、2人の子供への母親の過保護である。これには母親の影響が大きい。明彦君は、どちらかというと、子供の養育には厳格にした。
ところが、母親は「子供の言い分を聞かなくちゃ。」と言い、父親を排除してきた。その結果は、何でも子供の言いなりになってきたことである。子供への養育には、母親は明彦君の言っていることを、無視して2人の姉妹に接してきた。何でも、昭彦君の言っていることを、反対してきた。この女房の考えも昭彦君には分からない。
結果として、父親は居るには居るが、父親の威厳や、存在や意向は、明彦君の家庭には全く無く、父親不在の家庭になってしまった。馬鹿な女房だと、思っている。秋子は父親である明彦とは、もう10年以上も、話らしい話をしたことがない。大学を卒業して、家に住んでいるが、秋子との会話はひとつも無いのである。これが、今回の、辞める一つの原因にもなっていると感じている。親は子供のことを充分に考えているのである。相談すれば子供にとって最適な答えを出すはずである。
数日後の日曜日、秋子は母親に、今日は、ライブが有ると言って、出かけていった。また、東京だろう。
子育ておとうさん へ
ありがとう、ございます。
秋子は、考えている余裕がないので、とりあえず、秋子にしておきます。
やっぱり、そうです。秋子では、時代感覚が合わないのです。
もっとも、みん株に載せた後で、様々なものを、組み合わせることもできます。丁度、積木の様に。
しかし、みん株に、載せる段階でも、一つの読み物になっております。
22時02分
堅実さん、リコメントありがとうございます。
私が秋子さんと同じ世代だからでしょう。主人公の「明彦君」に共感はし難いところで、「明彦君」に厳しい見方をしてしまいます。
ただ、秋子さんのだらしなさの実態がどうであるのか、何を考えているのか、「明彦君」の目を通して見えるだけの範囲で語られることだけで、よくわからないところ。
次話で語られる意外な事実、「明彦君」が何かを知ることになるのでしょう。
それが救いなのか、更なる闇なのか?
秋子さんの名前にも違和感を憶えます。当時はまだ伝統的な「子」を付けた名前も多かったですが、それでも名前に親の願いを込める考えが広がってきたところです。
願いを込めた名前、現状との格差を強調する皮肉を込めたものにするのか、何らかの救い、希望を暗喩するものにするべきか。
私には分かりません。
作者である堅実さんがもっともふさわしい名前を選ぶことが出来るでしょう。
子育てお父さんへ
コメント、有難うございます。
この先、秋子の退職は(3)で、以外な事実(少しオーバーですが)を、明彦君は知ります。現在、修正中です。
全体としては、私の感じる、今の世相を、メモしたものです。
読み方は、読者の好きなように、読んで頂くのが、私の考える「作り話」です。
考えまするに、やはり、厳しい、指摘が有った方が、その後の作品に、繁栄されますので、いろいろの指摘を、考慮しながら、修正すれば、よりよいものが、できるかもしれません。
ここで、出てくる、秋子の名前は、どうしようかと思い、夏も終わりだから、秋子にしようとしたものです。
この際、ついでながら、子育てお父さんが、秋子の名前を考えて頂ければ、その名前に、致します。
9月17日(月) 15時24分
恐らく、仕事に逃げ、女親との夫婦関係も希薄で、子育てに関与しなかった「明彦君」。
自らにも責任があると考えず、女親のことを「馬鹿な女房」と切り捨てている。
この世代、典型的な不器用な男性なのかもしれません。
秋子さんの親世代、「明彦君」は、ベビーブーマー世代。
祖父母世代が忙しく働く中、すし詰め状態で育てられ、もっとも割を食った耐えるしかなかった混乱の世代。
自由や権利が抑圧され、自由や権利を主張することが正しいと信じた人が沢山居た。女親はそんな時代の影響を受けていたのかもしれません。
この小説の秋子さんはちょうど私と同世代の方になる様です。
日ごろ見ている会社でも一線で働く責任を持って働くこの世代の人たちを「耐えることを知らない世代」と言ってしまうには違和感を感じます。
ただ、戦中戦後の食えていない時代、食うのがやっとの時代をベースに置けば、「耐えることを知らない世代」となるのでしょう。
この小説がどこに行こうとしているのか。
子育てに対する時代状況、環境の問題を掘り起こしていくものにしたいということだったのですが、「明彦君」の弱さ、家庭での存在感の無さ、夫婦、親子関係の絆の弱さが、明子さんを育てた失敗であったと自省している様にも読み取れます。
子育てに正面から向かい合ってこなかった「明彦君」がその結果を見て、やはり逃げるのか、今更ながら、「女房」との関係を強め、親となった「秋子」に向かい合っていくのか。
子育てに対する時代状況、環境の問題を掘り起こしていく中に、「明彦君」の弱さも含まれるのか? 逃げ続けるのであれば、救いが無い。
救われない小説を書こうとされているのかもしれませんが、期待したいところです。