yoc1234さんのブログ
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七里の渡しと大瀬子公園
七里の渡しと大瀬子公園
2011年04月16日
1.大瀬子公園です。ここには熱田魚市場がありました。その歴史は古く天正年間(1573-1592)には信長の清須城に魚介類を運ぶ魚問屋が集まり、寛永年間(1624-1643)には藩の市場としてたくさんの取引が行われました。最盛期には数千人が取引に参加したそうです。今はもうその面影はありません。今は綺麗なヤエザクラが迎えてくれます。となりで女子高校生も携帯で写真を撮っていました。
2011.16大瀬子浜公園の春
2.七里の渡しは今は渡し船はなくなり、20人の屋形船が電話予約のみで運航されると聞く。10人から乗船可能です。お祭りの時期のぼんぼり船は綺麗です。(Y)
七里の渡しは東海道における唯一の海上路で、1601年(慶長6年)の東海道制定の際に定められた。七里の渡しの名称は、移動距離が7里であったことに由来する。船によって移動し、所要時間は約4時間であった。「桑名の渡し」、「熱田の渡し」、「宮の渡し」、「間遠の渡し」などとも言った。天候の悪化などにより、海難事故がしばしば発生する東海道の難所の一つであった。海上を避ける迂回路としては、脇往還の佐屋街道があった。宮宿、桑名宿は渡船場として賑わい、旅籠屋数でそれぞれ東海道における1位と2位の規模を誇った。
現在でも七里の渡しに関する遺構を見ることができる。また、往時を偲んで、熱田・宮の渡し跡-桑名・七里の渡し跡間を観光船で巡る「平成七里の渡し」が企画、開催されることがある。
宮宿側遺構 :渡船場跡が宮の渡し公園(名古屋市熱田区神戸町)として整備されている。(ウィキペディア)
歴史ある場所と今も美しく咲き誇るさくらに私達の苦難も勇気と希望を持ってして
克服できると思います。
我らの力をあわせて七里の人生も乗り切りたいですね。
おはようございます。
ここにはあの有名なシーボルト博士もいらしたようです。
日本全国回られて、さぞ面白い人生だったと。
桜の元で、本を読む人が見えますが、うらやましい限りです。
この近くの人でしょう。
Sieboldと言いますと日本にもその子孫がいるらしいのです。
報道では、ほとんど医者の方で必ず壁にシーボルトの画像を飾っているとの事です。
(欧米でもヨーロッパのつえっぺりん家なども知られています。現在では全世界規模でマタ従姉妹なども含めてたっくさんいらっしゃる。?)
ところでシーボルトの子孫の方々の名前にセカンドネームやミドルネームがたくさんあり
推測で東欧から西洋までたくさんの伝統を感じえます。
他にも現存の世界各国でいろんな繋がりが生まれている事でしょう。
ところで私の直感ですがyocさんが過去に訪問されたとこのゲストブックに
私とyocさんの名前が書かれているのでは?と・・・・・
ちょっと思ってしまいました。
おはようございます。
そうですね、日本の蝶や植物などほとんどのものに、
名前が残っています。
ゲストブックに名前が残っているとは、ばれてしまいましたか。
確かにみんかぶの講習会に写真つきで乗っています。