堅実さんのブログ
男なら(6.3.31)9時46分
(ヤフーのニュースを見ると、連日、自民党の裏金と、紅麹だ。あー、あきれたねー。これが、日本の社会かよ)
これは女の人が歌う労働歌である。質実剛健な歌である。山口県萩市で歌われる民謡である。
1863年朝廷より攘夷令がだされた。長州藩は、関門海峡を通過する外国船を攻撃した。翌1864年には、四国連合艦隊の報復攻撃により萩では甚大な被害を受けた。ここは、歴史の教科書に出ている。
その後、留守を守る藩士の妻や子供たちが、菊ヶ浜沿いの海岸に土塁を築いた。土塁築造には武士の妻や武家の奥女中の功績が多大であったことから、土塁は「女台場(おなごだいば)」と呼ばれるようになった。
その「女台場」築造工事に携わった長州藩士や奇兵隊をはじめとする諸隊士の妻などの女性たちが、作業中に士気を鼓舞するため謡っていたのが「男なら」である。この「女台場」の遺構の一部は現在でも残っている。
男なら
https://www.youtube.com/watch?v=qpAZAG6oLpQ
(ウイキより)
男なら(おとこなら)は、山口県萩市とその周辺で謡われる民謡で、山口県を代表する民謡の一つである。萩市では古くからある歌や踊りのほか、「萩夏まつり」などでよさこい風にアレンジして踊ることもある。
楽曲の内容
幕末の長州藩では尊皇攘夷運動が高まり、それを受けて1863年(文久3年)には朝廷より攘夷令が出され、藩士の多くが外国船攻撃のために下関へ集結した。長州藩は関門海峡を通過する外国船に対し砲撃したが、翌1864年にはアメリカ・イギリス・フランス・オランダの四国連合艦隊からの報復攻撃により、萩では甚大な被害を受けた。
そのため、萩で留守を守る藩士の妻や子供たちも外国船の報復攻撃に対抗するため、萩の日本海に面した菊ヶ浜沿いの海岸に土塁を築いた。土塁築造には武士の妻や武家の奥女中の功績が多大であったことから、土塁は「女台場(おなごだいば)」と呼ばれるようになった。
その「女台場」築造工事に携わった長州藩士や奇兵隊をはじめとする諸隊士の妻などの女性たちが、作業中に士気を鼓舞するため謡っていたのが「男なら」である。この「女台場」の遺構の一部は現在でも残っている。
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万物流転’さん2024/3/31 11:13堅実さん こんにちわ幕末の長州藩では尊皇攘夷運動が高まり、・・・⇓その後 の 野蛮な 長州ミリタリズム の 発展 に 繋がりました。太平洋戦争の敗戦 に 至る まで, 戦争 に 継ぐ 戦争 の 連続 。誠に 残念な事 でした。
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堅実さん2024/3/31 12:03万物流転 さんへ「幕末の長州藩では尊皇攘夷運動が高まり、・・・⇓その後 の 野蛮な 長州ミリタリズム の 発展 に 繋がりました。太平洋戦争の敗戦 に 至る まで, 戦争 に 継ぐ 戦争 の 連続 。誠に 残念な事 でした。」ありがとう、ございました。