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仰げば尊し(6.3.18)9時46分

(日足のデッドクロスですが、消えてしまいそうです。配当取りの動きか。9時52分)


 日本人の心を映した映画とでも、言いましょうか。小豆島の小学校に自転車で女の先生が、赴任しました。そこでの12人の子供と先生の、戦前、戦後を通しての物語です。先生役は、高峰秀子です。


 内容は、日本のどこにでも、あるような出来事です。これは名作だと思います。

 

私が小学生の時、村の青年団が映画会をしたと思います。姉が、さかんに、二十四の瞳、二十四の瞳と、言っておりました。


修学旅行の船では、この修学旅行に行けない、一人の女子児童がおります。家が食堂で、手伝いで行けないのです。先生(高峰秀子)が、心配して食堂に来ましたが、忙しくて、話すことが出来ませんでした。


その児童は、岸壁から、修学旅行の船を見て、泣き出すシーンは、なんとも切ないものです。


戦後、教え子が、先生の家に集まりましたが、全員集まりません。戦死したもの、戦争で負傷し、盲目になった者。それぞれの、過去が、ありました。

 

仰げば尊し わが師の恩 

https://www.youtube.com/watch?v=ERuAlRzITX0  

 

(ウイキより)

『二十四の瞳』(にじゅうしのひとみ)は、1954年(昭和29年)に公開された松竹大船撮影所製作、木下惠介監督・脚本、高峰秀子主演による日本映画である。

1952年(昭和27年)に発表された壺井栄の小説『二十四の瞳』が原作であり、この2年後公開された。日本が第二次世界大戦を突き進んだ歴史のうねりに、否応なく飲み込まれていく女性教師と生徒たちの苦難と悲劇を通して、戦争の悲壮さを描いた作品である。


なお、1987年(昭和62年)、朝間義隆監督、田中裕子主演によりリメイクされ再度映画化された。

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6件のコメントがあります
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    堅実さん
    2024/3/18 18:50
    tukumodayo  さんへ

    「二十四の瞳のロケ地となりました小豆島には20歳の頃に1年間を費やしてバイク旅に出てた頃に立ち寄りましたね。」

    この頃はバイクとか、自転車とかで、国内を回るのがブームだったですね。

    「あの木造校舎には、誰も居ませんでしたがよろしかったら、お食べ下さいと新鮮な葡萄が学習机の上に置かれていたのを思い出しますね。(メモ書きにて)
    青春期にしか体験できないバイク旅でしたね。あの頃の若者は、旅と言う言葉に普遍的なる憧れを感じてたと思うのですが・・・・・・」

    日本が、豊かになって、旅をしようかという、気運が高まった時だったですね。



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    tukumodayoさん
    2024/3/18 18:37
    4a992ed2c 






    堅実さんへ

    二十四の瞳のロケ地となりました小豆島には
    20歳の頃に1年間を費やしてバイク旅に
    出てた頃に立ち寄りましたね。
    あの木造校舎には、誰も居ませんでしたが
    よろしかったら、お食べ下さいと新鮮な
    葡萄が学習机の上に置かれていたのを
    思い出しますね。(メモ書きにて)
    青春期にしか体験できないバイク旅でしたね。
    あの頃の若者は、旅と言う言葉に普遍的なる
    憧れを感じてたと思うのですが・・・・・・
  • イメージ
    堅実さん
    2024/3/18 11:51
    風車の弥吉  さんへ

    「高峰秀子はこの頃「銀座カンカン娘」を歌って大ヒットしているんですね。
    また歌う女優として高峰三枝子と共に、新しいスタイルの人気女優だったんですね。」

    思い出しました。この映画の、2.3年後ですか「カルメン故郷に帰る」という
    カラー映画(この頃から、カラー映画が始まる)が、放映されました。ストリッパー役の高峰秀子は、話題になりました。



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    風車の弥吉さん
    2024/3/18 11:34
    こんにちは。

    高峰秀子はこの頃「銀座カンカン娘」を歌って大ヒットしているんですね。

    また歌う女優として高峰三枝子と共に、新しいスタイルの人気女優だったんですね。
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    堅実さん
    2024/3/18 10:11
    りす栗  さんへ

    「どうもこの手の話は戦争の悲劇をじんわりと感じてしまい苦手であります。
    それがまた作家の期待するところであったかもしれませんが。
    作者の壺井栄さんもまたわたしの年齢ほどで亡くなったかたですね。」

    この時は、まだ、敗戦後、数年です。父親、家族、友人が死に、日本人のほとんどが、もう戦争はいやだという時代だったです。
    丁度、そんな時に、「二十四の瞳」が出ました。日本人のほとんどが、それぞれの、自らの戦争体験を、この小説に、思い浮かべたのでしょう。


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    りす栗さん
    2024/3/18 10:01
    こんにちは。

    どうもこの手の話は戦争の悲劇をじんわりと感じてしまい苦手であります。
    それがまた作家の期待するところであったかもしれませんが。
    作者の壺井栄さんもまたわたしの年齢ほどで亡くなったかたですね。

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