I SAY企画プロダクションさんのブログ
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環境が人間に与える時代の経済
私は幼くして昭和の治安の悪い九州で育ち。
炭鉱とやくざの街と異名を持つ福岡の大牟田では
やくざの抗争があって命を狙う事が多く
私も幼くして狙われてました。そして2か月の間
病院で生死を分ける事があり蘇りました。
私はこの経験から世界平和維持軍の学びを受けて
高度成長の経済を夢見て企画を建てて学んでました。
まず、おこなったのが当時の経済を躍動的に動かす
環境を作ろうと学んでいると興行が流行ると思い
母から趣味で短歌を習っていたので作詞は容易に
出来ました。そして作詞したのが酒と泪と男と女を
作って提供しましたが、奪われ利益にならず曲は
大ヒットしてました。ならば興行を仕切って歌わせ
昭和の芸能界と言う業界を使い歌手に歌謡曲を授け
興行は成功してました。ここでやくざの問題があり
興行権を争う様に治安も荒れてました。父の影響を
借りてやくざの会議を開き治安を収め作詞した者が
権利を得て興行の過程で作曲の依頼などをおこない
興行の利益の配分を決めてました。そして私は興行
の門番となり芸能界の事務所などと企画をして遊戯
となる様に会場を決めて建設の企画などをおこない
昭和の時代の金融の要を私が押さえ建設の最盛期を
迎えて、テレビの生産が始まっていた時代でした。
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頭の良いやくざは、法人化して稼いでましたね。
暴走族は世の中を解ってないで暴れるだけですからね。