月影 隼人さんのブログ
老衰 人が自然に亡くなる過程
■人が自然に亡くなる過程
人は、亡くなる前に食べられなくなることにより、脱水状態となり、徐々に眠くなる時間が増えて、ADL(日常生活動作)が低下していきます。これは、子どもの成長と逆と考えればわかりやすいでしょう。生まれたばかりの子どもは自分で寝返りを打つこともできません。介護保険で言えば要介護5ですね。これが次第に食事量が増えていき、起きている時間が長くなる。成長と共に介護度が減っていくわけです。
人間の終末期はこの逆です。なぜ、亡くなる前に食べられなくなるかというと、水分を体内で処理できなくなるからです。このような状態で強制的に水分や栄養を取り入れていくと、身体がむくんだり、腹水がたまったり、痰がたまったりとかえって本人をしんどくさせてしまうのです。
ですから、私は「身体で処理できなくなったら、できるだけ脱水状態にして自然に看ていくのが最期を楽にする方法ですよ」と説明しています。死は病気ではないので、身体の状態にあったちょうどよい傾眠、ADL、そして食事があれば、呼吸も穏やかに最期を迎えることができると考えています。
■「老衰」は誇れること
老衰とは、「老いて心身が衰えること」とされています。老衰死とは、高齢の方で死因と特定できる病気がなく、加齢に伴って自然に生を閉じることです。今の日本では、食事が摂れなくなったら「病院で検査を」となります。
すると、がんなどの病気が見つかることもあります。そうなると、手術や抗がん剤などの治療の選択肢を提示されることが多いと思います。しかし、在宅医療では、無理に積極的な治療を行わず、楽な治療を優先し、できる限り輸液を制限していくので、老衰死の確率は高くなります。
在宅医療では、無理な延命措置を行わず、あくまで自然に看ていきますので、苦痛を伴わず、呼吸も穏やかに枯れるように亡くなる老衰死に出会うことが多いです。その時、私たちは死亡診断書の死亡原因の欄に、長年生きてこられ、介護をされてきたご本人とご家族への敬意を払い、自分自身の在宅医としての誇りを持って「老衰」と書くのです。
訪問診療に学生さんが同行してくれました。終末期にある患者さんのご自宅で、あと数日という見通しです。乾いた身体、微弱な呼吸・・・ 医学生とはいえ、いや医学生だからこそ、こうした「老衰の死」を迎えようとしている高齢者を見たことがなかったようです。
帰りの車内で、学生さんは不安そうに私に質問しました。「病院でなくて大丈夫でしょうか? 死ぬときの苦しみを見て、ご家族は困惑しないでしょうか?」
なるほど、率直な質問です。そして、医学生らしい・・・。それには答えず、私は次のように質問を返してみました。「野生動物が死を迎えるときってさ、苦しみながら死んでゆくと思う?」
助手席の学生さんは、混乱したように視線をフロントガラスに泳がせていました。おそらく、考えたことがなかったのでしょう。学んだこともない・・・。そこで、私はこんな風に説明してみました。
「ヤマネコがお気に入りの洞穴で息を止めるとき、カラスが馴染みの森へと身を沈めるとき・・・。もちろん、僕は目撃したことなんてないけれど、でも、きっと静かに尽きるように、空を見上げながら死んでゆくと思う。苦しみあがいて、大声をあげたり、苦悶の表情をさらしたりはしないと思う。だって、神様がそんなことをするはずがないじゃない?」
今度は学生さんも大きく頷いていました。これは医学の話ではありません。それが理解できれば話は早いのです。私は続けました。
「いのちの最後は苦しめてやれ・・・、なんてプログラムしているとしたら、そんな意地悪な神様なんて信じられない。わざわざそんなことをする意味なんてないから・・・。だから、人間が人間らしく死ねるようにお手伝いすれば、きっと苦しむことはないと思うんだよね」
在宅での看取りを選択するとき、少なからぬご家族が躊躇(ちゅうちょ)される理由として「死の苦しみを見てられない(はず)」と言われます。でも、看取りを終えてみると、ご家族は「ほんとに安らかに、眠るようでしたね」と言ってくださいます。
そのコツは、できるだけ医療的な介入を絶って、自然死に近づけてさしあげること。終末期に脱水や低栄養が苦痛の原因になることはありません。点滴はしなくてもいいのです。求めないなら無理に食べさせることはありません。
そして、自分がどこで死のうとしているのか分かっていることも大切ですね。それが懐かしい場所であるなら、なおさら静かに自分自身の死を見つめておられることでしょう。
施設では、本人や家族と話合いを続けながら、胃ろうなどの延命治療に頼るのではなく、自然の摂理を受け入れ、静かに最期を迎えてもらう取り組みをすすめてきました。入居者の皆さんが亡くなられる前には、次第に食べる量が減って、眠って、眠って最期は穏やかに息を引き取られます。私は老衰による安らかな最期を「平穏死」と呼んできました。
加齢により徐々に栄養を吸収する力が落ちて体重が減少し、さらに食事量も減りさらに体力が落ちていくのが一般的な老衰の経過です。
これまでの医療では、食事が入らなくなれば点滴を行い水分を補給することを当たり前に行っていました。肺炎などの身体疾患により一時的に点滴で水分補給を行うことは、体力の回復を助け病状の回復を促すことは間違いありませんが、老衰の経過において点滴が必要かどうかは議論が分かれるところです。
点滴を行うことで延命に繋がることは多く、看取りを少しの間先延ばしにすることが可能です。しかし、終末期の点滴により体がむくみ、肺やお腹に水がたまり、痰も増えて身体の負担が増すこともしばしばみられます。一方で、食事が入らなくなった状態で点滴を行わないと、寝ている時間が長くなり身体も脱水傾向となりますが、本人には苦痛は少なく穏やかに最期を迎えることが可能だと考えられています。
在宅医療を積極的に行い自宅での看取りを多く経験されている先生ほど、終末期に点滴をできるかぎり行わないほうが良いと考えておられることが多いようです。一方で、終末期に食べられなくなった本人を目の前にして、何も医療処置を行わないという判断を家族がするのは、家族にとってとても辛い選択となります。こういった意味でも、やはり事前に話し合っておくことが重要だと考えます。
<急変時に救急車を呼ばないほうがいい場合もある>
最初にかかりつけ医に電話すれば、死亡診断書を書いてくれる
在宅医療を導入し自宅で最後の時を過ごせる環境が整った時に気をつけていただきたいのが、急変時の対応についてです。
在宅医療を提供している医療機関は基本的に24時間365日対応でき、いつでも看取りを行える体制をとっていますが、急変時に家族や介護者がこの在宅の主治医ではなく救急車を呼ぶケースがあります。しかし、救急隊が到着した際にすでに死亡しているのが明らかであった場合には、救急搬送をしてもらえず警察が呼ばれ検死を行うこととなります。こうなると、自宅で看取ることができなくなってしまいます。
在宅医療を導入された際は、急変時の対応に関してしっかり主治医の先生に相談し、家族や介護者内でも対応を統一しておきましょう。
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月影隼人 さんえへ
私も、毎日、どうやって、死んでゆくのかと、考えております。
やはり、人生、終末期かと、思います
23時38分
堅実さん
昨日まではなんとか少し飲み込んでくれましたが、今日はほとんど飲み込む事もできなくなりました
姉に電話をして、お医師さんに電話をして相談しました
点滴をする事が本人を苦しめてしまうらしいので自然に任せようと思っています
月影隼人 さんへ
「昨日まではなんとか少し飲み込んでくれましたが、今日はほとんど飲み込む事もできなくなりました
姉に電話をして、お医師さんに電話をして相談しました
点滴をする事が本人を苦しめてしまうらしいので自然に任せようと思っています」
これは、難しいです。
私が、どうこう言う立場では、ありません。
23時50分
昨日まで元気で自転車に乗ってたのに
救急車で運ばれたあと意識不明になったので
老衰ではないとおもうのですが、
気管切開・胃瘻・点滴と
尿がでなくなり、透析するも
追いつかず・・・
体重55キロが亡くなる時は110キロでした
むくみきった体は別人でした
本人は望んでなかったのに(手書きの遺書があった)遺族がただ、ただ
そこにいて欲しい
それだけでしたね
今日49日の法要です
月影隼人さんも
お疲れでませんように
おちゃちゃさん
胃瘻をして生きながらえさせる事は全然考えていませんでした
でも、点滴ぐらいはと考えていましたが先生の話を聞いてネットで調べて、自然に任せる事にしました
母の母も母の父も老衰で、自宅で最期まで看取ってもらえましたので、母の最期も自宅で看取ろうと思います
老衰って、本人もご家族も幸せなお見送りですね。
私は今辛い状態なので、羨ましいと思いました。
にゃん7さん
今日、姉妹全員が来てくれました
そこで妹から聞いた話では、医者から「自宅で看取るなら救急車は呼ばないでくれ、その覚悟をしてくれ」と云われたと云う人の事でした
実際には苦しむ人もいるようなので先生にもう一度確認しようと思っています
にゃん7さん
救急車を呼んではいけない理由が分かりました