忠義、豪勇、鎮西一 戦国時代の奇跡 立花宗茂

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忠義、豪勇、鎮西一 戦国時代の奇跡 立花宗茂

 私は真田幸村が大好きで、大河ドラマの「真田丸」も毎週見てます。でも戦国時代には幸村のほかにも数多くの魅力的な武将がたくさんいるので、今回から不定期的ですが紹介していこうかと思います。


 その第一回目は筑後柳川(今の福岡県の一部)13万石を領した戦国大名、立花宗茂です。


 立花宗茂は、かの豊臣秀吉から「その忠義、鎮西一。その豪勇、また鎮西一」と激賞された天才戦略家なのであります。


 おそらく彼はその生涯において合戦に敗れたことは一度もなかったのではないか、と言われるくらいにとにかく強かった。 とりわけ寡兵(少ない味方)をもって大軍を破るという戦術においては際立った手腕をみせたようです。


 天下分け目の関ヶ原の合戦におりは、東軍徳川家康陣営から「勝利の暁には50万石を進呈する」と誘われたのですが、さすが秀吉から忠義鎮西一と称賛されただけのことはあります。 秀吉への義理立てから誘いを断って西軍につき、前哨戦の大津城攻撃に参加して、これを見事開城させます。


 しかし肝心の関ヶ原の大合戦で、宗茂不在の西軍は完敗してしまい、宗茂は失意のうちに九州柳川に帰ります。


 当然敗軍の将ですから、普通は周囲から集中攻撃を浴びる場面なのですが、加藤清正、黒田官兵衛らの大名は、宗茂の武勇を惜しんであえて合戦を仕掛けず、降伏を勧めます。


 結局、宗茂は加藤清正の説得に従い、城を明け渡して牢人となるのですが、江戸で数年間牢人生活を送ったのち、徳川2代目将軍秀忠に請われて、元の柳川11万石に復帰したそうです。


 時はまさに大阪の陣を挟んだ不穏な状況下であったので、宗茂の大坂方への参陣を警戒した徳川方の懐柔策であったといわれています。


 真田幸村は大坂方に加わったわけですけど、これに常勝将軍立花宗茂が加われば、結果は同じだったかもしれませんが、また違った歴史の一幕が見られたことでしょう。 

 

 ちなみに関ヶ原の合戦で、負けた方の西軍につきながら、大名に復活したのはこの立花宗茂ただ一人です。まさに戦国時代の奇跡です。


 その後は1642年江戸で74歳で没。 平穏な死に顔だったと伝えられています。


 

2件のコメントがあります
  • イメージ
    nyajyaraさん
    2016/2/7 23:12

    こんばんワン!


    もしかして、カイオワさんも昔に生まれたかった派?


    nyaは、もっと未来に生まれたかった派です。


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    カイオワさん
    2016/2/8 09:10

    おはようさまです。


    昔は良かったと思えること、よくあります。 でも戦国時代とかだと人間50年の世界ですから、チト寿命短すぎますね~。


    ほほう、未来に生まれたかったですか。 私は未来というとすぐ地球温暖化による気候変動だとか、枯渇しはじめた資源をめぐって戦が起きるとか、人工知能に支配されるとか、マイナス面ばかり考えてしまいます。


    でも進歩する部分も大きいでしょうから、今より生活しやすくなるでしょうね。

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