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新エッセー岡部塾(6)-合評・添削指導

 今日は「新エッセー岡部塾」の7回目で、例によって生徒の作品の合評・添削指導が行われた。

合評の作品は次の四つでした。
1 在るが儘
2 親子電話ナビ(翔年の作品)
3 薔薇の痛み
4 ターニングポイント

 
 翔年の作品「親子電話ナビ」は、昨年の7月30日、このBlogに ”US GO Congress 始まる”として、現地からレポートしたものの中から、旅の途中のトラブルのみをエッセー風に書き直したものです。記憶のよい読者はあるいは覚えておられるかもしれませんが、教室の添削指導の様子を伝えるためには、作品があった方が説明に便利だろうと考えて、あえてここに載せますがご容赦ください。


「親子電話ナビ」    松本 護
 去年の夏、早朝、米国メリーランド州のボルチモア空港に降り立った私は「全米囲碁大会」事務局が手配しているはずのシャトルバスを、必死になってあっちこっちと探した。が、どこにも見当たらない。いないものはいくら探しても見つからない。
 私は意を決し、空港からペンシルベニア州のランカスター会場まで、九十マイル(京都から名古屋に相当)をタクシーでぶっ飛ばすことにした。
 
 いざ空港タクシーに行き先を告げると運転手はきょとんとした顔をした。目的地のミラースビル大学を知らないばかりか、どの道をとれば行けるのかさえ分からないと言う。兆しかけた不安を打ち消すように「旅では何が起るか分からん。可能性のあることは起る。自助努力あるのみ」と自分に言い聞かせながら、ネットで得た地図を運転手に見せると、ようやくタクシーは走り出した。

 後部席から運転手を注意深く見ていると、キョロキョロ、ソワソワ、どうも頼りない感じだ。「確かに行けるのか?」と私が語気を強めると、男は無言で車を道脇に止め、電話で会社に助けを求めた。ところが、電話がすんでも相変わらず自信がなさそうな様子がありあり、私の不安は消えるどころか却って増した。ただ、悪い男ではなさそうに見えたので、人間が甘い私は「ひとまずランカスターまで走ろう」と弱々しく提案した。
 
 しばらくの間、二人は無言で行くと、突然男は車を止めて、また電話をかけた。私の用心ぶかい観察では、話しているのはどうもロシア語らしい。不思議でしようがない。「ロシア語を話すのか?」と聞くと、ロシアから三年前に来たのだという。そして、タクシー経験はまだ不十分だと自分から白状したのには参った。が、続けて「もう大丈夫だ」と自信たっぷりに言った。
 
 後で分かったのだが、この時、男はタクシー会社ではなく、彼の息子に電話でサポートを求めていたのだった。男のなかなかの機転が功を奏し、その後は、息子がパソコンを使って高速道路の出口番号や行き先地名を、必要な時期に適切に電話で指示してくるようになった。救いの「親子電話ナビ」のお陰で、男も私もすっかり元気になって、ぽんぽん会話が弾むようになった。
 
 実は男はロシアでなくアゼルバイジャン出身であること。奥さんを国に残し、息子と娘と三人で米国に来ていること。ロシア人と言わないでアゼルバイジャン人と呼んで欲しい。なぜなら共産主義の旧ソ連は大嫌いだからと、言わずもがなのことまでしゃべり始めた。

 つい話に引き込まれて、私が若い頃、ドストエフスキーやトルストイを読んだと言えば、男からはプーシキンやチェーホフの名前が出てくるし、チャイコフスキーのピアノコンチェルトが大好きだと言えば、ラフマニノフの名前が飛び出してくるという具合で、普通のタクシー運転手とたわいのない話をしているのとは大分ようすが違った。

 別に立派な内容をしゃべっているわけではない。人名や作品名を口にして「良い」とか「有名」とか「好む」とか、お互いが単語を投げ合っているだけの単純な会話なのだが、それで十分愉快だった。男は興に乗ってくると、大きく後ろを振り向いて話すので、危なっかしくて、きがきではなかったけれど……。

 そうこうするうちに、また電話が入った。「客は日本人で、今ランカスターの大学に向かっているところ」と英語でとくとくとやっている。「電話は娘からで、五十六回目の誕生日のお祝いメッセージだった」と男は振り向いて、ほんとうに嬉しそうに笑った。

ミラースビル大学までのハイウエイロングドライブの間、親子電話ナビの片割れはゴキゲンそのもので、身の上話や共産主義の怖さなどを語り続けた。
(2008.06.23)



 岡部先生に作品を提出した三作目なので、これまでに指導を受けた、「私と言う主語を早いめに出す」ことや「言いたいことは一つ」はシッカリ守り、かつ、翔年の欠点と自覚している独善的な表現に陥らないよう、「読者の立場にたって」自分なりに推敲を重ねた。

 ただし、ラストについては自分でもなんだか尻切れトンボで、落ち着かない終わり方だなぁという不満は残った。それを具体的にどうしたら安定した終わり方なるのか、その方法がどうしても分からなかった。自分に甘い翔年は「旅の途中の出来事なので、ストンと終わっているのは余韻と解釈してもらおう」といい訳を考えただけで、そのまま提出していたのでした。

 岡部先生の指導はやはり終わり方に触れられた。
1 エッセーは一話完結を目指すのがよい。この作品は実は終わってなくて、第二話、第三話と話が続くみたいになっている。
 なぜなら、「ようやくタクシーは走り出した」とあって、色々の出来事があってそして大学(目的地)に着いたという記述がないから。長いドライブを終えてホッとした感情とか、運転手との別れとかなんとかそういう締めくくりがあればよい。
→ この原因の指摘と具体的な終わらせ方の指導は、真に当を得たものと納得しました。
2 一行目から七行目までの書き出し部分も工夫があるべき。なぜなら読者は日本にいてアメリカの出来事を読むのだから、読者を導きいれる情報をキチンと読者に提示するべき。
→ 大いに工夫の余地があると思いました。

3 到着した時間とか何時間かかったとか、長距離ドライブ(距離の遠さ)を時間で読者に伝える方が感覚的で読者には分かりやすい。
→ 時間と距離の関係は文章ではいろいろ表現ができそうに思う。ただし、米国のハイウエイは時速80マイル(130KM/h)以上で飛ばすので、距離の割りに時間はかからないから、これも経験者でない人の誤解を生まないような注釈が必要になるかも。もう一つのやり方として料金を$300(円換算で3万円オーバー)以上とでも表現する手もあると後で気がついた。

4 タクシーの車窓から見た景色、アメリカの天気、雲のことなど+αがあればもっとよい。
→ これは翔年の最弱点。風景を味わって、描写することは一番苦手。いい訳をするわけではないが、実際アメリカの田舎のハイウエイから見た風景はどこも似たような感じて、あんまり感興が湧かない。今までの旅を思い出しても、夏の早朝に見た異国の満月とか牧場の広さの割に牛の数が極端に少ない景色とか、ないことはないが、書いてみたいものはそれほど多くない。うまくいくとは思いませんが、機会をつくってチャレンジしてみる事にします。


 今回の四作品に対する指導で大切と思ったものを、追加で書き出しておきましょう。
5 「事実」と「真実」は違う。エッセーは事実のみを書かなければならないと堅苦しく考えないでよい。作品の真実ををどう読者に伝えるかを考えよ。

6 伝えたいことは言葉で書くことが必要。一番伝えたい事柄が書かれてないと読者にいいたいことが伝わる作品とはならない。

7 タイトルは作品の中にその言葉があるべきである。

8 文末表現に注意。同じ表現を続けると単調になる。

9 抽象表現と具体的表現を使い分けよ。物語の幹にあたることは具体的表現で表し、枝葉のことならば抽象表現に留めるのがよい。


 ここまで生徒の3回目の作品を読んできて、自分も含めて生徒の作品の水準が上ったかどうかは正直なところ分からない。ただ、合評するに当たって、エッセーの目の付け所は確かにシッカリしてきたと思う。
 批評がキチンとできることは、自分達の実力が蓄えられつつあるのだと思って、これからも作品をシッカリ読んで批評眼の向上を目指したい。その批評眼で自分の作品を推敲すればよいのだから。

 この塾も残すところ後5回となった。教室のみなさんの作品をまとめて、何らかの形で残すことができたらいいなと思い始めている。
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