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釈迦の映画から 5月23日(土)9時59分

 5月の始めの連休中に、ネットの無料映画で、「釈迦」を数回に分けて見た。大映の初めての70ミリ映画である。特撮も有り、内容も釈迦の悩みと覚者になるための修行が記憶に残る。使いが「修行を止めてお戻りになって欲しい。」と懇願する。釈迦は言う。「恨みを、恨みで復讐しては、心は救えない。」と答える。

6年の修行中、最期に悪魔が出てきて、修行を止めたら、好きなものを与えると言ってくる。美女でも何でも好きなものを与えると言う。「魔女よ去れ。」そして悪魔との闘いの末、観音様が空から降りてくる。とても綺麗な人だった。筆者の小説「梅田トンネルの怪」の修子はこういう人ではなかったかと思う。


「鬼子母神」、「貧者の一灯」や「くもの糸」が出て来る。

この映画と「ベンハー」の映画が似ている。ベンハーに老人が「恨みでは救われない。神にお任せしなさい。」と言っている処である。この社会がある限り、「恨み」の感情は出て来る。しかし仏法もキリストも共通して恨みと仇討は禁止している。今の日本の法律でも、「仇打ち」は禁止されている。個人が裁くのではなく、法に沿って国家が裁くのである。


しかし、この人の持つ感情を、人がコントロールするのは難しい。これこそ、永遠の課題である。一番、難しいのは「欲」をどの辺で静止するかである。全て止めてしまえば、生物として生きることは出来ない。「学習により自己実現の向上をしたい」というのは、さして問題ではないが、人に認めてもらいたいとか、資産が欲しいとかは方法により問題となる。

自分の意志どうりに、社会を動かしたいとなるとこれは、考えるべきである。大阪の若者、あるいは中年男は、この方法で、傲慢さが強すぎたのではないか。変な方向に社会がなっては困る。また、何となく浮ついた社会風潮の感も強い。もう少し、一つ一つ整理して考えてはどうか。学習するとは、考え方の方法を学ぶことでもある。



 



 



 



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2件のコメントがあります
  • イメージ
    堅実さん
    2015/5/24 10:02

    Empty-Gallantry さんへ


    コメント、ありがとう、ございます。


    確かに、おっしゃるとうりです。


    この間、数分考えました。


    難しい、課題です。


    5月24日(日)10時1分

  • イメージ
    Empty-Gallantryさん
    2015/5/23 17:13
    最期に悪魔が出てきて

    なんでも?
    6年修行しようかしら。(笑)

    美女が裸で踊ったらやはりくらくらとしなければなりません。
    そうしなければ世の中に太陽が戻っては来てくれませんのでね。

    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E5%B2%A9%E6%88%B8 

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