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安心社会から信頼社会へ

北海道大学の山岸俊男教授の「日本の「安心」はなぜ、消えたのか」といい本を読みました。社会心理学から見た現代日本の問題点という副題がついています。山岸教授の長年の研究テーマは、安心社会から信頼社会に日本は移行していかなければならない、ということですが、本書のこのテーマに沿うものです。

学校にはいじめが蔓延し、企業では虚偽表示や不正、鬱病患者や自殺者の増大などの問題が多発しています。このような現象の原因が日本人の倫理性や道徳性の低下にあるとして、日本人が世界に誇れる「武士道」を復活する必要がある、という論陣が張られることがあるが、山岸教授は、このような診断を否定しているようです。

山岸教授の立論は以下のようなものでしょうか。
これまでの日本社会は集団主義社会であった。集団主義社会とは、社会の仕組みそのものが人々に安心をもたらすもので、個々人がいちいち他人を信頼しなくてもいいようにしてくれる社会である。このような社会を「安心社会」と山岸教授は表現する。日本人は集団主義的といわれるが、実は西洋人と同様に個人主義的である。日本人が集団主義的なのではなく、「人を見たら泥棒と思え」と考える人間が多く、だから、集団主義という仕組みが自分にとって最も望ましいので、集団主義を選択する、という個人主義者なのである。集団主義的行動が望ましいと考えている人間の社会全体に占める比率がある一定の水準(臨界質量)を超えていれば、集団主義は維持されるが、臨界質量を集団主義的人間の比率が下回ってしまうと、集団主義的行動に基づく安心社会は崩壊する。本来であれば、集団主義比率が低下する一方で、「渡る世間に鬼はなし」と考え、むしろ、信頼できる相手と協業することがより大きな成果につながり、結果として個々人にとって有益である、と考える人間の比率が上昇し、その比率が臨界質量を超えると、「信頼社会」に変貌する筈である。しかし、その転換のスピードがグローバル化・都市化などによって、加速しているところに、いまの日本の問題がある。集団主義社会であるから、契約書も必要なく、相手が信頼できるか否かなど考える必要もなかった。相手を信頼していいのか、契約書に不備はないか、などの信頼性分析力・判断力が養われない社会が安心社会である。しかし、信頼社会では、そのような信頼性分析力・判断力が社会に十分に養成されていないのである。虚偽表示の発覚は内部告発による筈である。だとすると、信頼社会への移行に伴う(信頼社会対応能力が社会において臨界質量に達し切れていないために起こる)軋みと捉えるべき現象かもしれない。信頼社会では、個々人が正直に行動することがきちんと報われる仕組みが必要である。個々人の正直さに関する評判がきちんと形成される仕組みが信頼社会では不可欠なのである。

安心社会から信頼社会への移行が不可避であることに異論はありません。信頼社会の典型は資本市場ではないでしょうか。資本市場における「正直者は報われる」ための仕組みとして、情報開示が適時適切に行われることが要請されています。市場における投資家同士で取引を行う場合にも、同じ情報を入手することができ、おのおのの分析や予想や判断で取引を行うことが不可欠です。そうでなければ、正直者はその市場に参画しなくなるのです。

しかし、近年、資本市場における正直者評判形成の仕組みが機能していないことが発覚してしまったのです。取締役制度、監査法人、証券アナリスト、格付け機関など、資本市場の番人が機能していないのです。世界で最も機能していると考えられてきた米国の資本市場の番人たちの機能不全が露呈したのです。

日本も同じ問題を抱えているのですが、日本のほうが深刻だと思います。米国はその建国からと言ってよいほど長期間に亘って信頼社会であるため、信頼性検知能力が備わっています。政府機関が承認したからといって、化学製剤はやはり人間にとっては毒であり、その服用は副作用を伴うもの、という常識があり、同様に、資本市場においても、開示情報は安全とは限らない、常に出し抜かれる危険と背中合わせの状態にある、という常識が広く浸透しているように思えます。しかし、日本は監査法人がお済みつきを出したら、安心なんだ、という妄想を常識としているように思う傾向があるのではないでしょうか。薬は毒だと思って服用するが、日本は厚生労働省が認可した薬で副作用が発生したら、その責任は承認機関のせいだ、と糾弾するのが常識となっているように思えるのです。財務諸表数値は操作可能であることを前提にする欧米人に比べて、日本人は監査証明さえ出されていれば、あとは信じ切る傾向が強いのではないかと思います。そのような社会環境であるがために、日本の監査法人は監査をより厳格なものにして、結局日本における起業活動や株式公開活動に大きな影響を与えてしまっていると思います。

日本人の信頼性検知能力向上が喫緊の課題と言えそうです。資本市場との関連で言えば、金融リテラシーの向上が望まれるのであります。みん株も、金融資本市場の民度・金融リテラシー向上に大いに役立つものと思います。

ということで、みん株への書き込みがご無沙汰しているので、何か書こうと思った結果がこの読書感想文です。伊藤園の優先株式に関し何か書こうと思ったのですが、みん株が優先株に対応していないことも、読書感想文作成の理由です。
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