堅実さんのブログ
運動会と東京音頭(6.10.7)9時39分
(今日は、特に、ありません。長期では、5707東邦亜鉛、7205日野自動車が有望です。)
秋の運動会の季節になりました。昔の、小学校での秋の運動会を、思いだします。
運動会は、村のお祭り気分でも、ありました。
まず、全校生が、校庭の小さな石ころ拾いです。
そして、先生が、リヤカーで、雨の後の水たまりを、土で埋める作業。
普段はしないのですが、先生が、石灰で、一周、役100メートルのライン引き。
役員席のテントの設営。
前日は、村の青年団が、学校の正門を杉の葉と、紅白の布で飾りつけ。
青年団は、運動会の入場門、退場門を、これも、杉の葉で飾りつけ。
こんな準備をしました。
運動会では、生徒の徒競走、1年生の玉入れ、綱引き。
5,6年男子児童の組み立て体操、騎馬戦。
青年団の、仮装行列。
婦人会の、東京音頭の踊り。群馬なのに、東京音頭でした。しかし、その時は、毎年そうなので、疑問にも思いませんでした。この歌は昔の人が歌ったものです。何十年も、同じ人の声です。
東京音頭
https://www.youtube.com/watch?v=t2ItkC2zQG0
一般席では、各家からむしろを持参して、トラックの回りに、陣取りました。
この時は、お稲荷さんの寿司、家で採れた、栗の実をゆでたもの、梨、巻きずしがお昼の定番でした。
この日は、綿菓子売り、リンゴ売りも出ました。
時々、夕立ちが、有り、運動会が中断することが、ありました。
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堅実さん2024/10/7 10:03kouboudaisi さんへ「前日は、村の青年団が、学校の正門を杉の葉と、紅白の布で飾りつけ。私は小学校低学年の時は青森県十和田市に住んでおりました。昭和30年代だと田舎ではそんなに娯楽もなかったためにお祭り騒ぎをしたのでしょうね。父兄は重箱におかずを一杯詰めて、昼ご飯を食べておりました。」そうですねー。特に、娯楽もなく、村では、畑作業の、毎日でした。運動会の後は、農家は、村全体が、農家だったのですが、さつま芋の収穫、稲の刈入れです。そして、11月23日は、勤労感謝の日ですが、村では、小学校での「農業祭」です。これは運動会ではないので、子供は、徒競走が無いので、緊張しませんでした。校舎を、改造した体育館(床は、あちこち穴があいており、それを、小さな板で補修する)で、農作物の品評会。今から見ると、貧乏な国だったです。まともな体育館が、無かったのですから。そして、青年団が、中心の、演芸会でした。テレビも無い時代だったので、村の娯楽と言えば、こんなもんだったです。素朴な娯楽でした。それでも、今よりも、温もりのある村や国だったと、思います。
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kouboudaisiさん2024/10/7 09:50こんばんは!何時もお世話になっております。>前日は、村の青年団が、学校の正門を杉の葉と、紅白の布で飾りつけ。私は小学校低学年の時は青森県十和田市に住んでおりました。昭和30年代だと田舎ではそんなに娯楽もなかったためにお祭り騒ぎをしたのでしょうね。父兄は重箱におかずを一杯詰めて、昼ご飯を食べておりました。