堅実さんのブログ
耐えること(6.7.27)8時10分
毎日が、つまらない事が多い。こんな時、耐えることである。耐えがたきを耐え、忍び難きを、忍びと、耐えるのである。
仕事のあった時に、会社の従業員が、俺はこうだと主張して、会社にいずらくなり、退職した人がいた。
私も、それに近かったが、これ以上やると、同じく退職を迫られると、判断し、以後は何も言わず耐えて来た。その中に、そのことは会社で誰も、関心が、無くなり、いつの間にか消えてしまった。
次は、共産党員の集団での、いじめである。何かにつけ、ケチを付けられた。その根本には、「憧れ」と「ねたみ」がある。しかし、それも、知らんふりして、我慢してきた。これは、定年退職まで続いた。おかげ様で、選挙では、日本共産党には、絶対に票を入れないことにしている。
それと、パワハラも日常的に、受けてきた。今でも、そのことを、思い出し、そんな奴は、老後は、地獄に行けと思っている。
こんなふうにして、会社では恵まれなかったが、無事、今まで来ていることは、やはり、神の御加護がるからだと思う。
そして、復讐は。神にまかせるのみである。これが、生きるこつである。
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わたしの最初の退職は、そのままではストレスや、遠方への転勤(最悪は中国)とかありそうだったので、リスク回避のようなものでした。
今の職場も引退のときは近いのですが、まあストレスとかないし、居るだけ、という意味では我慢してる感じです。そのちょっとした我慢で、居場所がある、というところです。細かいこと言うと、健康保険は国保よりいいような気がしますし、70までは支払う厚生年金も現在受給している額が先々ちょっとでも増える、というメリットがあります。
「今の職場も引退のときは近いのですが、まあストレスとかないし、居るだけ、という意味では我慢してる感じです。そのちょっとした我慢で、居場所がある、というところです。細かいこと言うと、健康保険は国保よりいいような気がしますし、70までは支払う厚生年金も現在受給している額が先々ちょっとでも増える、というメリットがあります。」
>仕事のあった時に、会社の従業員が、俺はこうだと主張して、会社にいずらくなり、退職した人がいた。