★戦後70年の日本経済の変遷の本質とこれから
今回は、戦後70年の終戦記念日を経過した、ということで、少し長い目で日本経済や東京市場の本質をとらえ直してみたいと思う。
★米国の対日方針と高度成長
日本の経済に最も大きな影響を与えてきたものは、「米国の対日方針」だ。そのことをベースとして理解しておくことは非常に大事だ。
つまり、米国が日本に対して行ってきた、あらゆる「寛容」や「牽制」、「利用」というものが、日本経済を動かしてきたのが、戦後70年間にわたる日本の現代経済史だといって良い。
戦後すぐの時期、米国は、日本を二度と強力な軍備を持たない、従順な国家にすることに集中した。
しかし、やがてソビエトなど共産圏との対立が激しくなると、米国は、自由主義陣営の拡大・強化のために、日本に再度、重工業を起こすことを認める。
この方針の転換後、すぐに朝鮮戦争(1950年)が始まり、日本には36億ドルもの特需が発生し、空前の好景気がやってくる。
この好景気が、ちょうど日本の人口ボーナス(人口構成的に高度成長が可能な時期)が始まる時期(1955年)と重なり、かつ、子の動きが1964年の東京五輪につながったことで、日本の高度成長は、非常に長く、良質なものとなった。
米国は朝鮮戦争において、日本の軍事上の地政学的な重要性を改めて認識をした。そして、アジア地域における対ソ戦略の重要な同盟国として、日本に自立をさせることにしたのだ。
それにしても、日本の資質は素晴らしいとしかいいようがない。戦後23年、1968年には、世界で2番目のGNPを持つ国にまで成長をしたのだ。
★プライドを捨てて方針を変更した米国
米国は、戦後一定の期間が経つと、やがて絶対的な力を失っていく。その最も大きなきっかけは、ベトナム戦争(1965年)だ。
この戦争により、米国は一気に国力を落とすことになる。
1971年、米国は、突然、ドルと金の交換を停止した(ニクソンショック)。
これは、米国がそのプライドを捨ててまで、自国の経済を守ろうとした、最初の大きな出来事だ。
それまで、米国は戦後の秩序を構築する為、世界の自由主義経済を牽引してきた。ドルは唯一の金と交換可能な安定的通貨であり、その他の通貨は、ドルと交換することで、貿易の仕組みは成り立っていた。
しかし、世界で唯一の基軸通貨、というポジションを、米国は放棄したのだ。
一方で、ニクソンショック以降の円高などにも関わらず、日本の経済力は、どんどん増していった。
ここに至っては、日本の武器は技術力だった、と言える。単純に、安い労働力を武器に、低付加価値商品を安く輸出する、という手法ではなく、高度な技術に基づいた付加価値が高い商品(自動車など)を、安い価格で世界中へ提供していたのだ。
米国経済の停滞と相まって、米国は、大幅な対日赤字を抱えることになる。
そして、米国はついに、日本に対して、貿易不均衡の是正を要求する。「牛肉・オレンジ問題」だ。さらに、為替レートの再調整と、経済構造の変革を要求する。もうプライドも何もない。
これが1985年の「プラザ合意」だ。
「プラザ合意」によって、円は急上昇し、日本の金利は低金利を継続した。
日本政府はその圧力に屈し、日銀は、国内向けに「前川レポート」を発表することになる。内需主導経済への転換、がその合言葉だった。
しかし、この無理な政策は、目論見をはずすことになる。低金利によって内需を刺激して経済成長をするのではなく、低金利によって、株や不動産への投機が盛んになり、金融機関は、収益を伸ばす大チャンスだとして、モラルハザードに陥ったのだった。
これが「バブルの生成」だ。
★バブルの崩壊、そして岐路となった2001年
1991年ころから、バブルは崩壊を明確にし始めた。そして、政府・日銀はソフトランディングに失敗し、「失われた20年」が訪れた。
この20年間で日経平均株価は4分の1になった。
その主たる原因は、結局のところ、米国主導によるプラザ合意であり、米国の対日戦略にある。
米国が「寛容」を捨て、日本に対して貿易黒字の解消策を強要した結果が、これなのだ。
そして、2001年、米国を二つの重要な事件が襲う。
一つは米国同時多発テロであり、もう一つはエンロン事件だ。
テロはその後の米国の方向性を難しいものにし、市場では「有事のドル買い」はそれ以降、影をひそめた。米国本土も、有事には「やられる」ということがはっきりしたからだ。
そしてもう一つのエンロン事件は、米国のような資本主義が進んだ国でさえ、巨大な粉飾決算事件が起こる、ということを世界中に知らしめた。
このことにより、米国は、SOX法という法律で、企業の自主統治をルールとして進めた。と同時に、そのルールを日本にも強要したのだ(J-SOX)。
このとき以来、米国は、自国の強力な資金運用力を利用し、日本にも米国と同等のルールを強制するようになっている。
決算の四半期開示、連結キャッシュフロー計算書の提出、国際会計基準などはすべて米国からのルールだ。(国際会計基準=IFRSの中身は、英国基準ではある)
★ROEの重視とスチュアードシップ・コード
そして、そのルールは、今、ROEの重視、という形になってきた。
また、機関投資家と建設的な会話をし、資本の有効な利用進め、投資資金を呼ぶ、というスチュアードシップ・コードが、今年から採用されていく。
このことは、まさに米国を始めとする機関投資家のルールを直接的に企業に対して強要するための仕組みでもある。
戦後70年が経ち、そろそろ日本発の資本市場に対するメッセージを発しても良いと思うのだが、この分野において、日本は全くリーダーシップが無い。日本の証券市場関係者、金融庁、政府・日銀は、よりよい日本経済の発展の為に、もっと知恵を絞るべきだろう。
ROEがダメ、という訳ではないが、それは投資指標の一面に過ぎない。
日本経済のように、「良いものをより安く」「経営者も従業員給与の延長線」というカルチャーにおいて、ROE一本での評価は、果たして正しいのだろうか
日本は、今後のアジア経済圏のリーダーとして、その地域経済特性に合致した投資指標を、より明確に自ら発信すべきではないだろうか。