そもそもこの会議は、前大戦に科学者が加担してしまったことへの自戒から発足されたようなことを今日のテレビで見た気がします。
だとしたら、政府に何か苦言を呈するような存在とはちと違うのではないかと。だから、この組織を背景に何か政府に物申すという存在は疎まれて拒否されてもなんか当然のように思えてしまいます。発足の概念への理解が正しければ、政府が科学者を利用して悪事を働こうとしている時に、この組織が「断る」と言える存在であればそれでいい気がします。何か政治的なアクションを自発的に行おうとするなら、それは学術集団ではなく政治集団と言えるのではないでしょうか。
さくらを見る会では慣例に従って招待客を決めていたことをマスコミに批判され、今回は慣例に従って推薦者を任命しなかったことをマスコミに批判されました。
慣例に従っても従わなくても批判するのが左翼マスコミや野党なのかなと思います。さくらを見る会は慣例を破って中止になりましたから、日本学術会議も慣例を破って廃止にした方がよさそうです。
さくらを見る会も日本学術会議も国民にとってはどうでもよい些事であり、新聞の大切な紙面の一面を占領して報道する価値のある問題とは思われません。どうでもよことほど大騒ぎするのが日本の政治の劣化を示していると思われます。
見事に変わりますよね。
ただ、「前例と違うのはなぜか?」とか
「これでは学問の自由が失われる。」などの
言っていること自体にあまり意義のないセリフが嫌いなのだ。