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幸福感とは何? -世論調査より-

 昨日の読売新聞によると、世論調査(面接方式)でこんなことがわかったそうだ。

1 今の自分を「幸福だ」と感じている人   88%
2 「不幸だ」と答えた人          10%
→ 翔年は意外に思う。日頃、マスメディアを通じて感じている「不満タラタラの人が多い世の中になっている」は間違いなのだろうか?

幸せとは何だと聞くと、こんな結果が出ている。
3 何かよいことが起ること     29%
4 何も悪いことが起らないこと   69%
→ 何をもって幸福と感じるかは「人それぞれ」だから、とやかく翔年がいうべきことではないのだろうが、なんだか消極的過ぎる幸せ感で「嫌だな」と思う。


 関連した読売新聞の囲みコラムで、僧侶作家の玄侑宗久氏がこんな事を書いている。
「私は、幸せとは自分が変わったと感じられることだと思っている。『《幸福》とは何か』という質問の答で、『一つの目的に向かって我を忘れて取り組むこと』という選択肢がある。これを挙げた人はほぼ30年前の1979年でもわずか7%、今回も3%に過ぎない。しかしこれこそが幸せの本質ではないか。夢中になって何かをやり、いつの間にか自分の枠を超えていたことに気づくということだ。」

 翔年も玄侑さんに近い考えをもっている。「痛い目にあうより、あわないほうがいい」とか「失恋するより、しないほうがよい」というような、きわめて当たり前と言えば当たり前な幸福感は翔年は「イヤ」だ。なぜ「イヤ」なのか?

 苦痛を回避しようとする思いが強い「消極的幸福追求の姿勢」だからです。幸福とは苦痛の欠如なのでしょうか? そんなことではない筈。苦痛はなくても、生きがいがないなら、そんな人生は幸福なはずはありません。

 玄侑さんがおっしゃるように「何々がしたい!」とか「我を忘れてとりくむ」というような「積極的な快楽追求の姿勢」がない人は魅力がない、面白くない。
 そんな人たちばかりになったら、社会は沈滞し、逆に、逃れたいと思っていた苦痛から逃れなれなくなる社会に陥るのではないか?

 調査の質問のまずさも関係するのかも知れないが、文明の進歩が変な形で出ているともいえる。今のわが国の社会には、フロイトが言うように「文明というものは、人間の幸福の為に考えられたものなのに、進歩すればするほど、人間の幸福と敵対するような要素が現れ」ている。それもたっぷりと。だとすると、「昔に比べて心配や苦労の種がふえたので、皮肉な事に、それに応じて消極的な満足の数が増えただけのことないか、それが世論調査に表われただけの話ではないか」と翔年は疑っている。
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