エリカの花散る時 30年4月25日(水)22時08分

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エリカの花散る時 30年4月25日(水)22時08分

 これは1962年のNHK紅白歌合戦の、13回だと思う。司会は、中村めいこである。1964年が東京オリンピックだったので、その2年前である。この頃は、整形美人と言う言葉が、ない。整形手術が無かったのである。西田佐知子の初々しい、声を聴くと、何とも言えぬ、昔の郷愁を思い出す。「別れた人の思い出を、訪ねて一人旅をゆく。エリーカー。」と伸ばすところが、何とも言えない心を揺さぶる。

えりかは、日経新聞連載の、「禁断のスカルペル」に出て来る。久間十義氏原作の中に出てくる。


エリカの花散る時

https://www.youtube.com/watch?v=7NQTQpW4z4g&list=RD7NQTQpW4z4g 


この小説は、手術の始まる前で終わった。絵里香の言葉。「他人の臓器を貰うのが絵里香にとって意味の有ることかどうかは、分からないが、生きていたいんです。」の手術前の言葉である。

 手術の始まる前である。実のお爺さん(大倉)が、孫の娘(絵里香)のために、腎臓を移植する。孫の絵里香は、実のお爺さんと実の母親、東子のことは知らない。しかし、母親(東子。はるこ)のペンダントは憶えていた。絵里香の赤子の時、東子に抱かれて、じっと掴んで離さなかったペンダントである。このペンダントは東子の母親からの形見で、これから祈る思いで手術に臨む東子の心情を、語っている。大倉の孫への生きてもらいたいという思いもある。

人にはどうにもならない事がある。成功するか失敗するか分からない事もある。誰でもこれからどうなるか予想できないことに、右か左かの方針を、決めねばならない時がる。


人生、いざとなった時のために、日頃の学習、鍛練は重要である。東子は、手術の練習と経験は十分に積んである。しかし今度の、手術は深刻である。失敗すれば、お爺さんの命、そしてわが子の命を失う。気持ちが動揺してはならない。しかし、そこは人の気持ちである。心がぐらつけば、手術にミスがでるかもしれない。そこで、亡き頼みの母にお願いしたのである。母のペンダントがそれである。何とかお母さんお願いします。この後はどうなるか。それは読者の思いに任せようということである。

この小説は、血筋である。御爺さん、実の娘、実の孫娘の関係である。東子の母親は、東子の実の父親(大倉)のことは話さない。大倉と東子は、お互いに父親、子供を明かさない。そして絵里香は、実の母親が東子であることを知らない。しかし、読者にはその関係が間接、直接に説明されている。


西田佐知子の「エリカの花散る時」が、全編をバックグラウンドとして流れる。そしてここぞという処に、教会の土地にヒースの花、エリカを登場させている。このエリカが、絵里香と同じも作者の意図である。その教会協に東子と絵里香が歩いていくのである。津波で襲われて、荒野となった荒地にエリカが咲いていた。奇跡とも言える、エリカの小さな花が咲いているのを見つける。この教会は、東日本大震災の後の、おそらく石巻市であろう。この地を選んだのも、これから復興することと、命が蘇ることを暗示している。

 今、東子は何もかも忘れて、わが子の命を救うため、手術をしていることだろう。胸には母のペンダントも見守っている。お爺さんの大倉も、天に向かって、祈っているだろう。手術室のスタッフ一同、同じ思いであろう。

 



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