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チャフラスカ死亡 28年9月2日(金)14時19分

 体操のチャフラスカさんが、8月30日に死亡した。74歳だった。膵臓がんで闘病生活だった。1964年の東京オリンピックで、知っている人もいると思う。当時、テレビで見ると、面長な顔だったので、齢よりも、上のような感じだったことを憶えている。74歳とは若い。

(以下は、過去のブログです。)

私のような、70に近い人は、チャフラスカ(当時、チェコスロバキア)と聞けば、東京オリンピック、女子体操の、金メダリストと、憶えている人もいると思います。


「東京5輪から半世紀、ベラ、チャフラスカさんに聞く」と題しての、日経新聞10月25日()からです。


政治に翻弄され、失意のどん底に突き落とされた。それでも、筋を通し続けた。「最後まで自分を信じた。その信念が私の心の支えになった」と振り返る。東京5輪の開会式から50年後の記念式典に来日した。

東京5輪の4年後の68年春、祖国で民主化を求める運動が一気に燃えあがった。その高揚もつかの間。旧ソ連軍などの介入で短い「春」は押しつぶされる。「プラハの春で私は改革を求める「2千語宣言」に署名し、民主化支持の姿勢を鮮明にしました。ところが共産党政権は何度も署名の撤回を求めてきた。


脅しを受けても主張を変えませんでした。そのせいで、秘密警察から危険人物と見なされ、スポーツ界から追放されました。権力ににらまれるのを恐れて人は次第に去っていきました。体操を教えることすら許されなかったのです。」「子育て以外に仕事のない日が6年も7年もありました。私の顔は国中に知れていて、実名は使えないので、スカーフで顔を隠して、別人の名前で清掃の仕事をしました。」

20年に及ぶ弾圧に耐えたのは、89年の「ビロード革命」で変わる。共産党政権が崩壊した日、ハベル元大統領に呼ばれ、プラハのバルコニーに立ちました。「広場に集まった人は、私が不遇の生活を強いられたことを知っていて、大歓声で迎えてくれました。」

 革命後は、大統領顧問に就任し多忙を極めた。ところが93年長男が、離婚した夫を死に至らしめる事件が起き、心身を病み、長い療養生活に。それも克服し5年ほど前から元気になる。「40年の逆境に耐えて蓄積したエネルギーがみなぎったのだと思います。」 (以上です。)

 

今、この日本でも、逆境に耐えている人がいる。直接話すことは出来ないが、どうか生き延びて欲しい。何時か、必ず良いことが訪れると信じて欲しい。時々、この日記には、生きるためを考えて、掲載いたします。


また、共産主義は、よいことが一つも無い政治形態だ。今の日本は民主主義国です。日本共産党の、共産主義政党の政治活動を認めているからです。しかし、共産主義国には、言論の自由は有りません。北朝鮮で、このことを言えば、即死刑です。共産主義には、共産主義を批判する人を、弾圧する。

日本共産党もそうだ。政権をとれば、批判勢力を弾圧する。今、日本共産党の企てているのは、財政破綻である。それは、今の自由な経済行動は、その内部矛盾により、やがて崩壊するという、共産主義理論に基づく。



 



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