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シャープ77年の夏、孫が20歳、佐々木が62歳
音声付き電子翻訳機
どうなった?
出来てない 夢
恩人が告白!なぜ私は「裸の孫正義」に賭ける気になったのか
PRESIDENT 2010年12月13日号
著者
大塚常好=文 小倉和徳、本田 匡=撮影 PANA=写真
シャープ 元副社長
佐々木 正
1915年、島根県生まれ。京都帝国大学卒。64年早川電気工業(現・シャープ)転籍。専務、副社長歴任。写真右は孫氏のアイデアが採用された79年発売のシャープ製翻訳機「IQ-3000」。
77年の夏、孫が20歳、佐々木が62歳のころ。起業を志す孫青年は、大学の仲間や教授を誘い、開発・製作した「音声付き電子翻訳機」を(本物の)風呂敷に包み、佐々木が所長をしていた奈良県天理市のシャープ中央研究所に持参したのである。狙いは、売れたら報酬を支払うという契約をした仲間のために、メーカーとの契約を勝ち取ることだった。
「これは大したものだ。研究費を出しましょう」
電子翻訳機のサンプルを見せながらの孫の説明を聞き、佐々木は即決した。研究費は最初の英語版が2000万円。その後の数カ国版を含め、孫は合計約1億円の資金を得た。その結果、報酬支払いに加え、のちのソフトバンク設立の原資を手にしたのである。佐々木にとって孫は孫の世代。どう映ったのだろうか。
「当時はまだパソコンができたばかり。カリフォルニアはシリコンバレーも近く、彼はあたりの半導体工場の担当者に話を聞きにいったり、同好会の仲間と議論したりしていたようでした。商品のクオリティの高さにも驚きましたが、ただ者ではないと感じたのは、じっと1点を見つめるその目の力。技術者としての第六感のようなもので、彼を本物だと確信した」
テクノロジー界の巨人をして、本物と言わしめた孫青年。大学卒業後に帰国し、いよいよ国内初のパソコンソフト流通業の日本ソフトバンクを設立した。だが、ほどなく運転資金が底をつき、会社存続の危機に陥るのである。
佐々木本人には認識はないようだが、巻き添えで一緒に地獄へ落ちる寸前のところまでいったのだ。ハドソンとの独占契約を果たしたものの、運転資金が枯渇した孫は第一勧銀(現みずほ銀行)に、1億円の「担保なし・保証人なし融資」を依頼する。しかし保守的な銀行が、まだ会社の実績がなく、認知度の低いソフトウエアという業種への融資に慎重になるのも無理もなかった。ここで再登場するのが佐々木。銀行にこう伝えたという。
「僕が個人保証しますから、ソフトバンクに融資してやってください」
無謀なことに、自分の給料、退職金、自宅の不動産価格を確認し、万が一のときはそれらの資産をなげうつ覚悟を決めた。もし、本当にそうなれば人生は完全に狂う。死んだも同然と言えるが、幸いソフトバンクの業績が上向き、財産没収は免れた。佐々木は、人生を賭けた「賭け」に勝ち、九死に一生を得たのである。だが、なぜ「赤の他人」にそこまでしたのだろうか。
「僕はね、彼のことが、かわいいんですよ。僕が死んでも彼を生かすほうが人類のためだと思ったの。人類が長い間生き残っていくためには、誰かにバトンタッチしていかないといけない。僕は彼にバトンタッチしたいんです」
30年に及ぶソフトバンクの歴史の中で、孫はパートナーの裏切りや、自分がスカウトした人材に会社を牛耳られそうになった経験もある。佐々木と工藤の言葉を借りれば、孫には「純情で頑固だが、人がよすぎる面もある」ということだ……が、筆者の目には人がよすぎるのは佐々木と工藤のほうに思えてしょうがない。
愛と笑いの「恩人感謝の日」
生きるか死ぬか。創業から数年間の激動期のソフトバンクと深く関わった前出の工藤や佐々木などを、同社では「恩人」として毎年感謝の意を捧げる意味で、ゴールデンウイーク期間に「恩人感謝の日」という休日を設けている。恩人たちへ必ず胡蝶蘭などの花を贈る。
数年前、恩人たちは汐留にあるソフトバンク本社が入る高層ビル26階の社長室に招待された。そこで、自らパワーポイントを操り、恩人のためだけに孫正義自ら業績報告を行った。
「創業当初、まだ売り上げが100万~200万円だったころ、私は『将来、1丁2丁の豆腐屋精神で1兆2兆を扱える会社にしたい』とお話ししました。必ずそうなるから、応援してください、と。皆さま、今年売り上げが2兆円を超えました。本当にありがとうございました」
そうやって孫が小躍りしながらプレゼンし、深く頭を下げていたことを、この報告会を見守った社長室長補佐・人事部長の青野史寛は今も思い出す。
「脳がちぎれるぐらい考えろ。これは孫の口癖で、実際どんなミーティングや会見用の資料作成でも、本当に発表時間ぎりぎりまで考え抜き、1点の妥協もない。そうした孫の姿勢を間近で見ると、あの驚異的な事業欲のエネルギーになっているのは、その志の高さだけでなく、無力だった若い自分を引き立ててくださった恩人の皆さまに恥じない働きをするのだ、という強い信念なのだと感じるのです」
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