元祖SHINSHINさんのブログ
懐かしの「事件記者コルチャック」
若い頃、深夜番組として日本でも放映されていた米国オカルト系ドラマ。
めちゃめちゃオモロかったので、
マエストロ掲示板時代にもオイラは回顧録を書いていた。
実はオイラ、いつもの書店を浮気して、
最近ちょくちょく行くようになった規模の大きめな書店にて、
表題の書籍を発見した。
そこには、翻訳物がたくさん置いてある。
★「事件記者コルチャック」
ジェフ・ライス著 尾之上浩司・真崎義博訳
ハヤカワ文庫 1,040円+税 2013.8.25.発行
「ラスヴェガスの吸血鬼」と「シアトルの絞殺魔」の2作が収められている。
これから読むのだけど、もしもこの翻訳書籍の売り上げがイイと、
「事件記者コルチャック」は、他の話も翻訳される可能性が高い。
日経新聞(10/19夕)には、「文学の翻訳 創作の糧に」が文化欄に出ていた。
このところ、翻訳本の出版数は減少傾向にあるようだ。
村上春樹は、古典を新訳にする仕事が多いようだが、
古くさい言葉遣いをした訳だと実に読みにくいので、新訳を出すのは賛成だ。
それが「事件記者コルチャック」のようにオモロイドラマなら、
これからテレビで再放送するべきだし、
そうすれば翻訳本も売れる可能性がある。
少し前に、「バイオハザード」の翻訳本を読んでみたら、
想像していたよりも、ものすごくシンプルな表現だったので、オイラは呆気にとられた。
あんなにシンプルな表現でも、オモロイ話だとこうも簡単に映画になるものかと感心した。
渡辺淳一は、自分の作品が映画やドラマになる時、
けっこう改変されたりするのだが、制作者を信じて割り切っているという。
「いねむり先生」がドラマになったときの伊集院静も、同じ心境である可能性が高い。
つまり、ドラマの作り手というものは、
小説を画像にすることにかけては、小説家以上に、もの凄い嗅覚を持っていることがわかる。
これは小説家にとって言い換えると、あまりにも画像を意識して小説を書くということは、
労多くして実りが少ない可能性がある。
小説家はそれよりも、大沢在昌の新宿鮫のように、
ストーリーやキャラ作りに専念した方が得策なようだ。
読売新聞(10/19夕)には、花形みつるという、いかにもという名前の作家が書いていた。
「冷蔵庫」という作品名だ。
一人称で書かれていたので参考になるかと読んでみたら、
オイラの書きあげた星新一賞に出そうとしている文体に、マジでそっくりだった。
ある意味では安心したが、ある意味ではがっかりもした。
「作家にとって、だれそれの作風に似ていると言われることは死に等しい」
と、山崎豊子は自身の書籍で語っていた。
なのでがっかりしたのだけど、オイラは初心者なので仕方ないだろう。
これからどんどん書いていく内に、きっと文体にも味が出てくるはずだと信じている。
偶然にせよ、オイラの書いた小説なのかなんなのか得体の知れないシロモノが、
まずは形になっているようだという点を、素直に喜ぶべきだろう。
こういう、これは!という文学系の記事は、切り取ってスクラップしている。