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元祖SHINSHINさんのブログ

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一人称 ↔ 三人称多元 ↔ 三人称一元

小説の技術的な専門書を読んでいくに従って、

知らなかったことが知識として少しずつ増えていっては、

それと並行してわかったような気になることや、

結局はまだわからないこと、

まだまだ自分では実践できないと思われること

などが蓄積されていく。

 

宮部みゆき氏の「理由」は満場一致の直木賞だったが、

オイラにはオモロクなかった。

それは、小説というものに対するオイラの認識度が

極度に低いことに原因するのだろうか。

それとも技術的なことと、ストーリーとは別問題ということなのだろうか。

 

新人賞は一般的には、技術的なことよりもストーリーのオモロイ方が勝るらしい。

それは色々な作家がそのハウツー本や、

「回想 芥川賞・直木賞」でも語られているので、事実なのだろう。

両方できるのが、一番イイのだろうけど。

 

表題の件は、表面的にはまねることはできようが、

それらの本質を理解して使いこなせるのかというと、

オイラにはまだまだ実践できないと思われる。

 

なれないと簡単ではないし奥が深そうなのだが、

表題の使い分けができると、より緻密な小説を狙ってかけるようになるらしい。

逆に意識してそれができないと、ひどく下手な小説になるという。

 

今ではあえて狙って下手くそに書きたいという作家もいるそうだが、

たとえ文豪と評された作家たちでも、

後に評論系文学者の手にかかってその作品が解剖されるに至ると、

技術的な欠点がすべて露わになるようだ。

 

この評論系文学者というのは、特異な存在に思える。

同じ作家たちによる芥川賞や直木賞の選評とはちがった、ある種の狂気すら感じる存在。

この人たちを正確に理解するには時間がかかりそうだが。

あー、あのオッカナイ故小林秀雄氏もそういう人だな。

 

一人称で書いたものを三人称へ書き換えたり、

またその逆をするというのは、

よい指導者の下で行うとしたら身になるのかも知れない。

 

またこうしたことを知るにつれ、

小説の読み方というものが変わってこざるをえない。

今までは速読的にその世界を己の頭の中に思い浮かべて、

オモロイのオモロクないのと感じてきた。

これからは、そうはいかなくなってくる。

迷路に突入。

 

PS:これとは別な疑問もある。

  あの浅田次郎氏の短編を読むと、なんであーも深い異様ともいえる感動を覚えるのか。

  これは他のプロの作家もいうのだから真理であると同時に、謎だ。

  ストーリーをオモロクすることに直結しているのか、

  それとは全く別な要因(テーマ・材料)なのか。

 

  もう一つ、村上春樹氏の小説に沸いてくるあのふわふわとした不思議な感覚は、

  いったいどこから沸いてくるのか、これも謎だ。

 

  「七人の侍」のシナリオのように、

  複数人で何度も何度も執拗に練り直すというストーリー上の力技だけでは、

  説明できない何かがありそう。

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