I SAY企画プロダクションさんのブログ
私は昭和の時代を守っていたのです
私は子供の頃から平和維持軍が日本にあった時に南はベトナム戦争で九州は関西と争っていた時から
平和維持軍に守られ児童志願兵だった。
そして極秘に育成されていた、私の任務は日本の平和維持とベトナム戦争終結の為に任務に着いた。
その時は児童志願兵だった事もあり、あまり目立たぬ普通の子供だが、脳の育成は普通の子供とは違った。
自分の身を守りながら常に犯罪を犯す犯人を追う事に終始していたので学びも特殊任務の為の教育でした。
そして、フランスに行った時は一般の兵士ならばフランス語を学ば無いと駄目なのだが、私の場合は時間が無く
通訳を通して教育を受け、イギリスに行った時も通訳を通して教育を受けた。
そして私は最前線の戦場の中に単独投入部隊として砂漠の中に行ったり、様々な危険地帯に行かされた。
そして世界各地を見てきて平和維持部隊が必要な事を報告してPKOの元になった。
それまでは訓練されてない自衛隊を海外任務などには行かされないので、まず自分が先遣部隊として
各地を巡ったのは経験から首相や昭和天皇との互角に話し合える役職に着いていたからだ。
そうして私が勤労学生の時も任務の呼び出しがあれば、会社を辞め学校も休み現地の任務があった。
その費用も自分で調達し首相などの直通の人物に報告して任務に着いていた。
当然、日本の学歴などは紙の報告書だけで実際は海外で集約して単独投入部隊の幹部教育を受けていた。
高校時代は出席日数が足りない事と脳思考が違うので理解がはっきりしない学びは拒絶する様に学んだ
こんな事から日本の高校は入学はしたが卒業はしていない、だが、その当時は私は世界を巡って経済など
吹き上げさせていたのだ、日本の主要な人物は私に一目置くようになっていた。
今、やっと国際社会を作り上げたのに、この様な国内から崩壊する様では私は人前に出て不幸を招く様な事が
無きにしも非ずなので公には行動出来ないので、個人的な行動で不合理な公的任務の記憶で意見だけだ。
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私は退役しても平和維持軍だったのだがスパイ工作は行っていないので
別段、今の国際社会の中では普通の事だ。
それより退役しても任務は続くと個人的には困る。
年数が随分経つので開放して欲しい。