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文章が短いとリアルになる

女房はとくに死んで、あとには十三になる男の子が一人あつた。
そこへどうした事情であつたか、同じ歳くらゐの小娘を貰つて来て、
山の炭小屋で一緒に育てゝ居た。
其子たちの名前はもう忘れてしまった。
何としても炭は売れず、何度里へ降りても、いつも一合の米も手に入らなかった。
最後の日にも空手で戻って来て、飢ゑきつて居る小さい者の顔を見るのがつらさに、
すつと小屋の奥へ入つて昼寝をしてしまった。

 

眼がさめて見ると、小屋の口一ぱいに夕日がさして居た。
秋の末の事であったと謂う。
二人の子供がその日当りの処にしやがんで、頻りに何かをして居るので、
傍へ行って見たら、一生懸命に仕事に使ふ大きな釜を磨いで居た。
阿爺(おとう)、此でわしたちを殺して呉れと謂つたさうである。
さうして入口の材木を枕にして、二人ながら仰向けに寝たさうである。
それを見るとくらくらとして、前後の考も無く二人の首を打落してしまつた。
それで自分は死ぬことが出来なくて、やがて捕へられて牢に入れられた。
(柳田国男「山の人生」)

 

(略)本章はつまり、ある意味でごく単純に即物的なこの問題にむけ言葉を費やしてきたことになるのだが、少なからぬ人々がかつて、右一文に並の小説にはない「リアリティ」を感じ、いまも感じていることは周知の事実である。
換言すればしかし、正岡子規の「写生」句の奏功そうであったように、これが「リアル」なのは、文章が単に短いからである。
反してこのとき、小説とはまさに、かつてもいまも言葉の持続(ながき)に開かれ、立ち煩い、歓待される場の異称たりつづけねばならぬのだ。
*************************************
★「日本小説技術史」
    渡部直己著 新潮社 3,400円+税 2012.9.30初版
    P.244~245より抜粋

 

文章を「削って、削って」といったのは、北方謙三氏であった。
一方、渡部氏は小説とは言葉が長くないとダメだという。
がしかし、文章の短い方がリアリティは増す傾向があるようだ。


長くするにしても、説明ではなく描写になっていないとダメだとか、

その描写にも濃淡をつけて場面にあわせてメリハリをとか、

会話と地の部分の比率とか、風景描写の混ぜ具合だとか、

よく考えろと、他書で作家たちはいう。

 

こういうさじ加減は難しい。
ヒットした小説を片っ端から読んでみて、習うより慣れるしかなさそうだ。

 

 

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