小判ならぬコーンとは
http://www.youtube.com/watch?v=ljMODw-fXaI&feature=related
寝起きを見たいねこ
http://www.youtube.com/watch?v=g-XbGrhxx2A
立って歩きそう
http://www.youtube.com/watch?v=6JF0rAwm5hA&feature=related
東日本大震災から半年が過ぎました。
亡くなった方へのお悔やみと被災された方へお見舞い申し上げます。
私は6月に石巻市に日帰りで被災地ボランティアのバスツアーに参加する機会があり
一人で現地に一回だけ行きました。
義援金にもわずかな金額ですが寄付しましたがそれだけでは
自分でも何か手助けがしたいという思いが抑えられず
仕事明けの深夜から参加しましたが行って良かったと思いました。
ボランティア作業の内容は
同乗したバスの一団全員で小学校近くの下水道のがれきと泥出し作業でした。
きつい作業でしたが皆々きれいにしようと必死です。
深さ(底からの高さ)は1.5mほどで幅は1mくらいで長さは50mくらい。
つもったがれき泥の高さはつもったとこで50cmくらいでしたが
それを運搬しやすいように土嚢に積めて除去するのでまんま工事現場での作業です。
ショベルなどの重機はなくその土嚢は一輪車で運搬するなど人力作業。
自分は深夜1時まで仕事で徹夜に近かったのでほどほどでやろうと思っていたが
足は引っ張りたくなかったので奮起して作業しました。
作業時間は集中して行っていたので賞味4時間半くらいですが
人が普通に歩ける道のように見違えるくらいに奇麗になりました。
休憩のときに周囲を散策しました。
川沿いでときおり海風も吹き気持ちが良かった(^。^)
たくさん建物はあって津波の被害はさほどではないと見えたけど
誰も住んでいる気配はありません。
住民たちは数キロ離れたところにある別な小学校に避難して生活しているとか。
海からは距離がありますが川沿いだったので2Mくらいの津波がきたそうです。
一階部分は漬かったようで建物の側面には確かにあとがありました。
川から離れる方向でも散策したところ
先は行き止まりに見える道には自家用車が縦になっていたり
帰路には線路の軌道上に押し流された車があったりであのときのまま!
それがここの当たり前の状態なんだと思った。
3か月間…国は何もしていない…まったく声も出ませんでした。
今でもその光景は鮮明に記憶に残っています。
運悪く根こそぎ建物がなくなるほどの津波がきた沿岸部にいたら
助からなかっただろうと現地の人は言っていました。
帰りは被害のひどかった沿岸部を遠回り。
惨状を帰宅したら家族や友人に伝えてほしいということでバスは進みました。
避難先の小学校の前も通りましたが地盤沈下のため
満潮時にはいま通っている道路は海水に漬かってしまうと言っていました。
そして海に向かい沿岸部にかかる橋を超えると全く景色は一変しました。
向かって左手側に遠くに病院と思われる建物が目立つくらいでなにもありません。
住宅地は土台のコンクリートのみになっている家が95%くらいで
ごくまれに二階建ての家が地主の家のようにぽつんと残っている…
海岸沿いの広い道(産業道路)の山側にはがれきで10M近い山が
まるで堤防のように延々と続いている箇所もありました。
被災した日本製紙の石巻工場ではJRコンテナが散乱。
そこを通り過ぎると空き地かと思われたが奇麗に整地?されたとこがありました。
そこには等間隔で木の棒がたくさん立ててありました。
そこだけは写真を撮れませんでした。
写真はバスの車中から記録として撮ったけど今でも記憶のほうが勝っています。
みなさんもぜひ機会があれば被災地を訪れて欲しいと思います。
直接、現地の人の力にはなれなくても何か気付くことがあります。
弱者に対する日本の国のありかたや対応の遅さなど。
暑い中で電気が通っていて動いていた自販機には
のどの渇きを解消してもらえてありがたさも知りました。
現地でのボランティアはそれっきりになってしまいましたが
現地で偶然にも地元発で別の団体のバスに乗っていた知り合いに会いました。
連絡先を知っているほど親しいわけでもなかったのでお互いにびっくり(゜レ゜)