野に捨てて痩せたる犬の腹を肥やせよ -壇林皇后の辞世

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野に捨てて痩せたる犬の腹を肥やせよ -壇林皇后の辞世

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 これまでに何回も紹介したサイトに「人生のセームスケール」(略して「人セム」、ここです)がある。玉川和正氏(たまさん)がたった一人で構築されているサイトで、今もそのデーターは毎日増え続けている。翔年は「人セム」は今や「人類の文化遺産」と呼んでもおかしくないと信じている。
 何回も紹介しているから、多言は要しないと思う。(ためしに、このBlogの左欄のグーグル検索窓で「人生のセームスケール」と打ち込んでみてください。43件の記事タイトルが0.07秒でアッというまに提示されます)

 2004年に「人セム」のコンセプト(人がこの世に存在した生涯日数のみで再配置してみる)に魅せられてから、翔年はささやかなお手伝いをはじめた。

 具体的には
1 人物のリクエスト(本日で3644人を収録)
2 収められている人物の興味あるエピソードを探す
3 辞世のことばを探す
4 最期の言葉を探す
5 墓碑銘をさがす
6 その他、血縁関係、姻戚関係など興味ある事実を探す
など、書籍やネットから集めてきては、たまさんのBBSに報告している。その情報が人セムに採用されるかどうかは、だまさんにゆだねているが、たいていは採用してもらっている。翔年だけでなく、他の方のケースもそうなので、それが方針かもしれない。
 BBSには「人セム」のシンパが何人か集まっており、あらゆる「人セム」に関する情報交換をしている。なかなか面白い話もあるので、翔年は毎朝ここを覗くのを日課にしている。

 
 最近、興味を覚えたのはこんな辞世をを知ったことだった。古い順に並べてみよう。




○ 財物は亡びやすくして 永く保つべからず。ただ三宝の法は 絶えずして 永く伝うべし     聖徳太子(574-622)

 上は大安寺伽藍縁起竝流記資材帳が太子の遺詔として伝える。財宝や物品は消えやすく、永久に保つ事はできない。ただ、仏・法・僧の三つの宝はなくなるものではないから、後の世に永く伝えるようにという意味だろう。太子生前の「世間虚仮(セケンコケ)、唯仏是真(ユイブツゼシン)」(この世の現象はすべて虚構で、仏の教えだけが真実)と同じ思想である。何故、仏の教えが真実なのか翔年は分かりませんが……。



○ 我死なば 焼くな埋むな 野に捨てて 痩せたる犬の 腹を肥やせよ   壇林皇后(橘嘉智子=たちばなのかちこ、850年病没、享年65歳)

 びっくりした。何という激しい歌であろう。近代の唯物論者かと思った。よほどのことがなければ、死後とはいえ、自分の肉体を「犬に食わせよ」とは言えない。
 聞けば壇林皇后とは嵯峨天皇(第52代)の皇后と言うではないか。皇后が何故? と強い興味を覚えてWiqipediaなどで調べてみた。

 壇林皇后はまだ「人セム」には納められていない。何分、古いことなので伝説の域をでないが、知りえたことを書き抜く。

1 平安時代初期、嵯峨天皇の皇后であった橘嘉智子(たちばなの かちこ 786年-850年)は仏教の信仰が厚く、壇林寺を建立したことから「壇林皇后」と呼ばれた。

2 すばらしい美貌の持ち主でもあり、恋慕する人々が後を絶たず、修行中の若い僧侶たちでさえ心を動かされるほどであった。

3 この世は無常であり、すべてのものは移り変わって、永遠なるものは一つも無い、という事を自ら示して人々の仏心を呼び起こそうと、死に臨んで、自分の亡骸は埋葬せず、どこかの辻に打ち棄てよと遺言した。

4 皇后の遺体は辻に遺棄されたが、日に日に腐り、犬やカラスの餌食となって醜く無残な姿で横たわり、白骨となって朽ち果てた。

5 遺体が置かれた場所が、以後「帷子辻(カタビラノツジ)」と呼ばれた場所である。現在の京都市の「帷子ノ辻」付近と思われる。

 死体を捨てておいたのだから、これは「風葬」といっていいのだろうか? 烏が突いたから「鳥葬」ともいえるが。
 



○ 某(ソレガシ)、閉眼せば、賀茂川に入れて魚に与うべし    親鸞(1173-1262) 

こちらは「水葬」いや「魚葬」? ともいえる。
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