堅実さんのブログ
ベンハー(戦車レース)(6.11.29)10時07分
(相変わらず、斎藤知事と、女性社長のニュースが、多いですね。他のニュースは、無いのかと思う。)
ベンハー、ギリシャ戦車レース。この場面は何時見ても、凄いと思う。この頃は、CGが、無かった時代である。全て、実写である。
そしてこの場面は、もっとも、危険な撮影である。カーブでは戦車が少し、ドリフトしているようだ。この場面は20分間。あまりにもよく出来ているので、ニューヨークの、メトロポリタン美術館に、永久保存してるとか。
ベンハー戦車レース
https://www.youtube.com/watch?v=1LVp4tvl5O4
この当時は、CG画像は無く、全て、そのままで撮影している。改めて見てみる、よくぞ、ここまで丁寧に作ったものだと思う。おそらく、映画でこれ以上の作品を作ることは困難だろう。そして、今の私のかつての、職場でのいじめを受けた、恨みをこのように、解決しなさいと言っているようだ。
それは、「全ての恨みを、神にお任せしなさい。」という旧約聖書の教えである。この映画の中でも、老人がベンハーに、恨みは神にお任せしなさい。と言っている。この旧約聖書の神は恐ろしい神でもあり、神に祈れば、神は復讐をしてくれるというものだ。キリストが生まれてから、神は急に優しい神に変身している。
「映画ベンハーのあらすじ」
ベンハーはメッサーラと旧知の仲。再会後、メッサーラはベンハーに、ローマ帝国にユダヤが服従しろと迫る。ベンハーは断り、2人は仲たがいになる。そして、ローマから新しい司令官が着任した時、ベンハー一家の瓦が道路に落ちる。馬が驚き、司令官は馬から落ち怪我をする。ベンハー一家は捉えられる。
ここで、ベンハーはメッサーラに、単なる事故だと言い、刑を軽くするように頼む。しかし、メッサーラは聞き入れず、重罪となり、ベンハーはガレー船(当時の軍艦)の漕ぎ手(奴隷)にされ、母と妹は投獄される。
やがて、ガレー船と敵のガレー船の海戦があり、ベンハーを載せた司令官の船は沈む。ここでベンハーは司令官を海から助ける。この海戦はローマ軍の大勝利だった。命の恩人となったベンハーは、司令官の養子となる。
やがて故郷に帰ったベンハーは、復讐の鬼と化す。4頭の馬がひく戦車レースを知り、そこでメッサーラに戦う事を誓う。
戦車レースでの競争で、ベンハーは優勝し、メッサーラはこの競技中に、戦車に曳かれて死亡する。宿敵メッサーラに勝ったベンハーは、それでも心がすっきりしない。復讐したはずなのに、悲しみのどん底である。そして、母、妹が「らい病」に罹り、死の谷にいることを聞く。ベンハーは、嘆きの底に沈む。そして天を恨む。
こんなベンハーを見て、召使いが、ナザレのあの人(キリスト)の話を聞くようにベンハーを説得する。ベンハーが話を聞きに行くと、その時は裁判が終わり、ナザレのあの人は、裁判で死刑になる。「悲しみの道」から「ゴルゴダの丘」に向かう途中、ベンハーは、以前、砂漠で水をくれた人だと分かる。ここでベンハーは、イエスに水をやろうとするが、ローマ兵にその水は蹴飛ばされる。
「ゴルゴダの丘」ではイエスが息を引き取る時、「神よ、許したまえ。私を磔にした人はその罪を知らないのです。」その言葉をベンハーは、はっきりと聞く。この瞬間から、ベンハーの恨みは消えていく。この時に、天の神は怒り、世界を嵐と暗闇とする。しかし、そこで、罪の無い人の苦しみを解放することもする。
死の谷では母と娘が落胆の中に、突然、世の中が真っ暗となり、嵐と雷鳴が轟く。神が怒っているのである。キリストが磔になり、神が怒っているのと同時に、あの人(キリスト)が、天に説得する。
ここで、奇跡が起こる。母、娘の「らい病」は瞬時で回復し病気が治ってしまう。ここでの神は旧約聖書の神から、新約聖書の神に変わる、この時の神は、両方の性質を、持っている。
磔の刑を見終わったベンハーは、家に帰る。召使い、母娘が出迎えてくれる。そしてベンハーは言う。「あの人が亡くなるとき、こう言った。父よ、彼ら全てを許したまえ。彼らは罪を知らないのです。」そしてベンハーは言う。「その声で、わたしの頭から怒りが消えていった。」
そして、ベンハーは、母と妹に、神の奇跡が起こったことに、改めて気が付く。そしてベンハーは言う。「もう、恨みは忘れた。」
物語全体が壮大で、これはキリストの教えでもある。
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いつもお世話になっております。
>そして、ベンハーは、母と妹に、神の奇跡が起こったことに、改めて気が付く。そしてベンハーは言う。「もう、恨みは忘れた。」
私などは20・30歳代に勤務していた不動産会社社長・上司や賃貸マンションを破壊し尽くしたスリランカ人を一生恨み続けます。
恨みなど 忘れるものか 死んで尚 弘法
kouboudaisi さんへ
「そして、ベンハーは、母と妹に、神の奇跡が起こったことに、改めて気が付く。そしてベンハーは言う。「もう、恨みは忘れた。」
私などは20・30歳代に勤務していた不動産会社社長・上司や賃貸マンションを破壊し尽くしたスリランカ人を一生恨み続けます。
恨みなど 忘れるものか 死んで尚 弘法 」
お気持ち、わかります。
わたしも、今でも、パワハラ、共産党員の、
集団でのいじめを、思い出します。
人は、怨みを忘れることは、出来ないことが
わかります。
それでは、どうするかですが、
怨みの仕返しに、毎日をしっかりと、生きることだと、
思っておりますが。