堅実さんのブログ
笑って生きるも(6.11.22)10時43分
もう昔の、高校の旅行でのことです。東海道線ですが、昔の普通電車で、夜行の特別列車でした。わたしは、客車の通路に新聞紙を敷いた上で、横になっていました。とても、寝られるもんじゃないですが。
朝になり、名古屋駅から、三重交通の観光バスでした。トヨタ自動車の工場見学、伊勢神宮参拝、二見が浦を見て、その日はそこで宿泊しました。
三重交通のバスガイドさんが、最後の挨拶で、「笑って、生きるも一生は一生、泣いて生きるも一生は一生、皆さんはどちらを選びますか。」という挨拶だった。
それはもう、誰だって、笑って、生きたいものです。しかし、そうはいかないのが、この世の中です。会社に勤めて、どんな会社か経験し、その従業員には、意地の悪い人も、おります。会社の経営方針とかに左右され、つらい思いをした人も、大勢、いるでしょう。
同級生で、日本アスベスト(後のニチアス)で、石綿の工場で働き、肺がんになって、死亡した人もおりました。こんなことは、わからないもんです。
いろいろな経験をしていると、笑って生きることは、まず、出来ないことです。
ここで、「一日一生」という言葉があります。いろんな経験をしてきても、その日、その日が一生の中の一部分です。だから、一日、一日を大切にしたいものです。わたしは、昔から、遊ぶということを、それは、少しは遊んだですが、一般の人が、遊んだことを、しておりません。まあ、それでもよいと思っております。
また「日々是好日」というのがあります。毎日が晴れた日であって、生活がしやすいのが、よいのですが、台風や、雨、風で、生活しずらい日もあります。会社の通勤時間で、大変な人も、おります。そんな日々ですが、それを受け入れて、こんな状況でも、よい日であると、思って生きられたら、これはもう、最高の生き方です。
徳川家康の遺言で、「不自由を常と思えば不足なし」というのもあります。まあ、ほどほどで、よいということです。
わたしの人生も、嫌がらせや、パワハラやらで、大変でした。今は、仕事が無く、これが「悠々自適」かと、思っております。
まあ、毎日を、時間を大切にして、生きましょう。精神病の治療で、森田療法があります。これは、不安や不確かな事が有っても、今、現在、やるべきことをやってゆこうという治療法です。考えてみれば、当たり前のことを言っているだけですが、この単純な、当たり前のことを頭に描いて生きております。
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「>三重交通のバスガイドさんが、最後の挨拶で、「笑って、生きるも一生は一生、泣いて生きるも一生は一生、皆さんはどちらを選びますか。」という挨拶だった。
>徳川家康の遺言で、「不自由を常と思えば不足なし」というのもあります。まあ、ほどほどで、よいということです。
>三重交通のバスガイドさんが、最後の挨拶で、「笑って、生きるも一生は一生、泣いて生きるも一生は一生、皆さんはどちらを選びますか。」という挨拶だった。
>徳川家康の遺言で、「不自由を常と思えば不足なし」というのもあります。まあ、ほどほどで、よいということです。