時々、台所に置いてある丼を使ってみる。この丼は、20歳の時に、買ったものだ。形は悪い。歪んでいる。普通の大きさの丼より、小さいので、使いかっても悪い。外側は青と白のたて筋の模様で、青の筋が横に滲んでいる。いかにも、かけだしの、陶器職人が、練習用に作ったもののようだ。
その丼を使っては、いろいろの思い出がある。ガールフレンドが、遊びに来た時に、この丼で、一緒に、食事をしたこと。
また、朝忙しくて、卵かけご飯で、食べたこと。仕事で、忙しい時は「おじや」(味噌汁と、ご飯を合わせて、鍋であたためたもの)を食べたこと。
通信教育で、夜中に、ラーメンを食べたこと。様々な思いでがあり、今までの、苦労を、分かち合ってきた丼だ。
普通なら、こんな、汚い丼は、捨ててしまうところだが、苦労をともにしたので、捨てるには、忍びないので、そのまま使っている。
今の女房と、結婚してからは、ほとんど使わない。もっと、綺麗な、使いやすい丼で、食べている。
わたしが、死んだ後、子供が、家財を整理している時、何だ、この汚い丼はと言って、捨ててしまうだろう。それでいいと思う。その丼は、私と苦労を共にした、分身のようなものであるから、何時かは、消える時がくるのが、自然である。