堅実さんのブログ
弁蔵さんの奥さん(6.4.6)7時57分
(東京市場、日足がデッドクロス形成、MACDもデッドクロスを形成してから数日経過。前のブログで、しばらく、横ばいかと書いたが、今回は当たった。
持ち株を一部、売っておいたのが、よかった。)
時々、頭に浮かんでくることがある。それはまだ、4歳くらいの頃、お婆さんと、「弁蔵さん」の家の前で、奥さんとお婆さんが話した時の事だ。齢は同じくらい。それを、2回くらい、話したことを憶えている。私は、幼いし、黙って、聞いていた。
「弁蔵さんの奥さん」は、バセドウ氏病で、首の、のどが、ふくれていた。それと、かなり白内障が進んで、目が白く濁っていた。当時のことだ。白内障と言っても、手術する方法が、なかったかもしれない。
またバセドウ氏病といっても、これも、治療方法が無かったかもしれない。 何しろ、戦後の混乱期で、どの家にも、防空壕がある時代。物資は少なく、今のテシューなんてものは無い時代。道路の舗装など、前橋市でも、なかった時代である。日本全国、道路はじゃり道である。それでも、じゃり道は、いいほうで、ほとんどが、砂の道である。道の端には、雑草が生えている。
覚えているのは,「弁蔵さんの奥さん」が、鼻をかんだ。それは新聞紙を小さく切ったもの。それを、懐にしまった事である。この頃だから、もう一度、鼻をかんで、使いきれなく、なったら、捨てるのが、普通だった。私は、小さかったので、見上げて、二人の話を聞いていた。この頃のコミュニケーションと言えば、近所の家に行き、縁側で、お茶を飲みながら話すと言うのが、普通だった。
者を大事にすると言うか、物そのものが、無かった時代である。
今は、使い捨ての時代。なんでも、捨ててしまう時代。便利ではあるが、もう少し、物を大切にできないものかと思う。
コンビニの、弁当の廃棄を聞くと、ため息がでる。世の中には、その日の食べ物に、困っている人がいるのに。こういう弁当の廃棄を「こども食堂」に配ったらどうかと思うが。これもまた、余計な批判がでる。衛生管理はどうのとか、人権を軽視しているとかである。それよりも、腹をすかしている子供がいる。このことを、優先すべきではないか。このような批判は、無責任だと思うが。
道路に落ちている、「せんべい」のかけらを、蟻などがいると、払って、食べた人でなければ、分んねえかな。この煎餅を食べたのは、私です。
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りす栗さん2024/4/6 08:30こんにちは。昔の情景が思い浮かびますね。わたしとこも未舗装は多く、そういえば、地道の続きのたしか木製の橋を前の出っ張ったバスが走っているシーンも思い浮かびます。橋の路面はもちろん土なのですが、ところどころの地面が妙に凹んでいました。物が豊富な時代では、廃棄があるのは、こりゃもう仕方ないことかな、と思います。時間とともにいろいろ売り切れて手に入らなくなるというのはちと寂しいし。
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堅実さん2024/4/6 10:40りす栗 さんへ「昔の情景が思い浮かびますね。わたしとこも未舗装は多く、そういえば、地道の続きのたしか木製の橋を前の出っ張ったバスが走っているシーンも思い浮かびます。橋の路面はもちろん土なのですが、ところどころの地面が妙に凹んでいました。」これは、ボンネットバスですね。昔は、これが、普通でした。ところで、木炭バス(蒸気バス)を知っているのは、私くらいですね。蒸気機関車ではなく、蒸気を利用するバスです。薪をバスの後ろの釜で燃やし、蒸気の力で、走るバスです。「物が豊富な時代では、廃棄があるのは、こりゃもう仕方ないことかな、と思います。時間とともにいろいろ売り切れて手に入らなくなるというのはちと寂しいし。」今は、豊かな時代です。そして豊かなので、人は真剣に考えない。生活を豊かにしようと努力しない人が、増えていると、思います。株でも、我慢しない。我慢しなくて、大きな利益をあげようとする。その結果、株は塩つけになる。こんな人が多いのではと、思います。これから、みん株のブログで、儲かった、儲かったというのも、信用できないブログです。虚栄心が、大きすぎる人です。まじめに、本当の事を書けば、ブログを見るのですが、見る気持ちになれません。
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コ鉄さん2024/4/6 11:31今日は。堅実さん。こういうブログためになりますね。堅実さんが御いくつかはわかりませんけど、私より10歳位上でしょうか。ただ、私も物を大切にする世代ですよ。子供の頃は欲しいものが沢山あってもお小遣いを貯めないと買えませんでした。いまでも持ってい居る宝物は、高校生の時に買ったオリンパスの一眼レフです。なんでこんなのが欲しかったのでしょうね。挫折しましたけどカメラの通信講座も受けていました。GOROという雑誌(ちょっとエッチでした)篠山紀信さんがアイドルの写真を撮ってました。池袋のサンシャインに紀信展を見にいきましたね。テレビもステレオも車もねぇ。エアコンとクーラーってのが訳て売ってましたね。冷房だけならクーラーで良しとかね。車への装備もオプションでした。いつの間にか、欲しいものが無くなり、使い捨ての文化に。携帯やスマホはゼロ円や大型割引が当たり前の時代だったりと。二年ごとに10万円以上するスマホを買い替えるなんてのも異常かなとか。大画面化してちっともスマートじゃないスマホとか。ちっとも環境に優しくないEVとかね。壊れないように丁寧に扱うとか、壊れたら修理して使うとかという文化は風化していくのでしょうか。わかりませんけど。便利な物も増えたけど、なんか使ってて不便だなって思うもの多くなった気がします。パソコンでやれば簡単なのになんでもスマホで処理しようとするってのもね。
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kouboudaisiさん2024/4/6 11:47こんにちは!いつもお世話になっております。>株でも、我慢しない。我慢しなくて、大きな利益をあげようとする。その結果、株は塩つけになる。こんな人が多いのではと、思います。それは全く私の事ですw~!どうしたら 生きていけるか 分からない 弘法
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堅実さん2024/4/6 12:09kouboudaisi さんへ「株でも、我慢しない。我慢しなくて、大きな利益をあげようとする。その結果、株は塩つけになる。こんな人が多いのではと、思います。それは全く私の事ですw~!どうしたら 生きていけるか 分からない 弘法」お世話様になります。分っているじゃないですか。我慢が、足りなくて、少し、上がったら、直ぐ、売ってしまう。私の場合、今年は、利益が、600万くらいです。これは、含み益が有るのを、売ったからです。含み益が有るのを、売ったので、投資金額は、変わりませんが。
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堅実さん2024/4/6 12:33コ鉄 さんへ「堅実さんが御いくつかはわかりませんけど、私より10歳位上でしょうか。ただ、私も物を大切にする世代ですよ。子供の頃は欲しいものが沢山あってもお小遣いを貯めないと買えませんでした。いまでも持ってい居る宝物は、高校生の時に買ったオリンパスの一眼レフです。なんでこんなのが欲しかったのでしょうね。挫折しましたけどカメラの通信講座も受けていました。GOROという雑誌(ちょっとエッチでした)篠山紀信さんがアイドルの写真を撮ってました。池袋のサンシャインに紀信展を見にいきましたね。」おそらく、10から15くらいでしょうか。世の中には、悪がいるもんで、身の安全のために、それ以上は、言えませんが。おもちゃと言えば、ブリキのおもちゃが、全部でした。ゼンマイで動く自動車や、ぜんまいのない、電車などです。飛行機も、ありました。プラモデルは、そうとう、大きくなってから、出てきて、齢が上がってしまったので、過ぐに、飽きて、卒業しました。戦艦大和の、プラモデルが、好きでした。「テレビもステレオも車もねぇ。エアコンとクーラーってのが訳て売ってましたね。冷房だけならクーラーで良しとかね。車への装備もオプションでした。」テレビは無い時代。真空管ラジオだけでした。クーラーなんて、35歳をすぎてから、会社の寮に付けられました。「いつの間にか、欲しいものが無くなり、使い捨ての文化に。携帯やスマホはゼロ円や大型割引が当たり前の時代だったりと。」そんな事が、ありましたね。囲い込みですね。「二年ごとに10万円以上するスマホを買い替えるなんてのも異常かなとか。大画面化してちっともスマートじゃないスマホとか。ちっとも環境に優しくないEVとかね。」これは、携帯電話会社の激しい、獲得競争の結果そうなったのです。スマホ本体が、無料なんて、異常事態です。「壊れないように丁寧に扱うとか、壊れたら修理して使うとかという文化は風化していくのでしょうか。わかりませんけど。便利な物も増えたけど、なんか使ってて不便だなって思うもの多くなった気がします。パソコンでやれば簡単なのになんでもスマホで処理しようとするってのもね。」実は、私はスマホは、持っておりません。理由はスマホに生活を縛られたくないからです。そのために、外で、電話をかけるときには、苦労してますが。しかし、外から電話することは、ほとんど、有りません。わざわざ、女房に電話することも、ないからです。
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風車の弥吉さん2024/4/6 14:01こんにちは。懐かしい話ですね。そういえば、僕の子供の頃は道路は馬車が行き来していました。当然のこと、馬はところ嫌わず糞をしてゆきます。当時、肥料は貴重品、親父が馬糞を拾ってこいと命令口調で言いつけます。僕は、誰かに拾われる前に、馬糞めがけて殺到します。何か所から集めた馬糞の量で、親父から褒めてもらったものでした。僕の頭の悪いのは、馬糞集めが忙しくて勉強できなかったからと悔やんでいます。
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堅実さん2024/4/6 14:38風車の弥吉 さんへ「そういえば、僕の子供の頃は道路は馬車が行き来していました。当然のこと、馬はところ嫌わず糞をしてゆきます。当時、肥料は貴重品、親父が馬糞を拾ってこいと命令口調で言いつけます。僕は、誰かに拾われる前に、馬糞めがけて殺到します。何か所から集めた馬糞の量で、親父から褒めてもらったものでした。」この馬車は、農家の荷を運ぶ馬車だと思いますが。私の村の農家では馬はいなくて、牛がかなり、飼われておりました。村では、牛車と言っておりましたが、牛で、思い荷物を運ぶのです。牛も道路で糞をしますので、道路のあちこちに、牛の糞があり、通学する時には、踏まない様に、気を付けました。それと、リヤカーが使用されて、おりました。リヤカーというので、自転車の後ろにゴム製のタイヤを付けた車で、上に荷物が載せられます。これは、僅かな量しか載せられません。今では、農家は、軽トラックになりました。「僕の頭の悪いのは、馬糞集めが忙しくて勉強できなかったからと悔やんでいます。」これは、勉強が、嫌いだった、からではと、思いますが。参考までに言いますと、本家の家では、戦前、東京帝国大学(今の東大)の医学部に入学した人が、おります。本家では、家の中が、暗くて、とても受験勉強できる、環境では、無かったです。それでも、入学したのです。この頃は、群馬県は最高学府は、専門学校でした。今の群馬大学医学部は、戦後、この専門学校が、大学になったのです。
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小督さん2024/4/6 21:36こんばんはコンビニ弁当廃棄の件、私も同意見ですが、少し前に地域で食品を通じたノロウィルス感染騒動もありましたし、企業はリスクを取りませんからね昔はコンビニが廃棄用に置いたお弁当をホームレスが持って帰るのは暗黙の了解だったのが、今はそれも厳禁になっていると思います
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堅実さん2024/4/6 22:34小督 さんへ「コンビニ弁当廃棄の件、私も同意見ですが、少し前に地域で食品を通じたノロウィルス感染騒動もありましたし、企業はリスクを取りませんからね昔はコンビニが廃棄用に置いたお弁当をホームレスが持って帰るのは暗黙の了解だったのが、今はそれも厳禁になっていると思います」この問題、難しいですね。昔は、道に落ちている、煎餅のかけらを、拾って、食べた時代が、ありました。その頃は、食中毒よりも、食料難で、食べることの方が、大事だった、時代が、あったのです。