小さなプレイヤーを支え続けてきたcottaにしかできないことを研ぎ澄ます 黒須社長が体現する「1つも諦めない生き方」
~新morichの部屋 Vol.13 株式会社cotta 黒須綾希子氏~
福谷学氏(以下、福谷):「新morichの部屋」がスタートしました。
森本千賀子氏(以下、morich):なんと、今日は!
福谷:1周年記念です!
morich:おめでとうございます! 続いてしまいましたね。私は正直、3回ぐらいで終わってしまうのではないかと思っていました。
福谷:いろいろな方々とのご縁を大切にして、ご協力もいただき、なんとか1年経ちました。さらに今後また2年、3年と続けたいところです。
morich:本当にそうです。「徹子の部屋」VSですか(笑)?「徹子の部屋」は49年続いているそうです。
福谷:49年ってすごいですよね。それを超えていこう、目指していこうと思います。
morich:目指していきましょう。
福谷:ということで、1年間続けてきました。いろいろなことがあったのですが「新morichの部屋」として継続し、今回で第13回目です。
morich:あらためて、どのような会なのかを共有しておきましょうか。
福谷:「新morichの部屋」は、ゲストに上場企業の社長さまをお招きします。ふだん、上場企業の社長さまがフランクにお話しされる機会はなかなかないと思います。
morich:おそらく、広報の方から「ブブーッ!」とされるようなことも含めてです。
福谷:上場企業の社長さまにふらっとmorichの部屋へ立ち寄っていただき、フランクにお話をしていただくという会になっています。結果、スタートアップの企業さまなど、いろいろな方々に観ていただいているかと思います。
morich:おそらく「将来は起業したい」「社長になりたい」という方も、たくさん観てくださっていると思います。
福谷:スタートアップの企業さまの支援をされている方も多数いらっしゃるかと思います。社長さまからフランクにお話ししていただく内容をみなさまにお届けし、思いや知恵、知識などを踏まえて、学びとなれるような番組をお届けしたいと思っています。
morich:実は昨日の夜、これまでのゲストの方々を思い出してみました。本当に手前味噌なのですが、みなさまめちゃくちゃ素敵な方じゃなかったですか?
福谷:いやもう、素敵な方ですよ。
morich:本当にみなさま、もう1回リピートしたいくらいです。
福谷:みなさまも同じようにおっしゃっていまして、2回目があってもいいかとも思います。
morich:ゲストはある意味では特別な方ではなくて、本当に身近な方々です。しかし、ターニングポイントで、いろいろなジャッジメントやチャレンジをしてきた方々だという感じがしましたね。
福谷:私たちもご視聴いただいているみなさまもアップデートしながら、日本の経済を成長させていこうと、そのような思いで展開しています。
あらためてになりますが、初めましての方もいらっしゃると思いますので、morichさんのご紹介をよろしくお願いします。
morich:株式会社morichの代表、森本千賀子と申します。もともと新卒でリクルートに入社し、25年間リクルートの中でずっと人材紹介のビジネスをしていました。
私の転機はちょうど東日本大震災のタイミングで、次男が生まれたのと同じ時期でした。被災地の風景を見ながら、自分が明日どのようになっても後悔しない人生を送りたいと思いました。それまではずっとリクルートにおり、閉じていたキャリアでしたが、自分も何か外向けの貢献ができないかということで、副業を始めました。
スタートアップの支援や本を書いたり、セミナーに出たりというようなことを行っていたところ、リクルートが上場しました。それによって、いろいろな制約が課せられるようになり、自分の時間を自分がやりたいことに使いたいと思ったので、7年前に独立しました。
今もCxOといわれる経営幹部の方々のキャリアのご支援・採用支援を中心に行っています。私のライフワーク、ソウルワークになっているのが、今の「30年の空白の日本」を変えていこうということです。特にスタートアップを応援しようと、スタートアップの母、姉としてですね……。
福谷:そうですね。姫としてですね!
morich:姫として、取り組んでいます。そのようなミッションを担いながら、片一方で1ミリぐらいは母親業も行っています。
福谷:1ミリですか(笑)?
morich:1ミリですね。もう勝手に育ちましたので。もう見守るだけという感じなのですが、やらせていただいています。
福谷:ありがとうございます。そんなこんなで、morichさんとはこの1年、ご一緒しています。
morich:ありがとうございます!
福谷:こちらこそありがとうございます! 今日はなんとですね、初の女性ゲストになります。
morich:見た目は女子なのですが、おそらく「中身はおっさん」のような感じで、みなさまも楽しんでいただけるのではないかと思っています(笑)。1周年の記念日でもあり、初の女性ゲストとして、私の頭の中に一番最初に思い浮かんだのが今日のゲストです。実はけっこう長くお付き合いがあります。
福谷:出会いのきっかけのエピソードもすばらしいなと思っています。スタートアップらしいといいますか……。
morich:そうは言っても、昔の話については私が知らないこともたくさんありますので、今日は根掘り葉掘り聞いていきたいと思っています。
福谷:それでは、今日もシャワーを浴びてきたのですね。
morich:浴びようと思っていたのですが、ゲストの幼少期については意外と書いてありませんでした。
福谷:では、そのあたりを今日は深堀りするかたちですね。それではゲストの方をご紹介いただきましょう。
morich:株式会社cotta代表取締役社長の黒須綾希子さんです。
福谷:よろしくお願いします。
黒須綾希子氏(以下、黒須):お願いします。
morich:お待たせしました。
黒須:台本なしですよね?
福谷:まったくないです。打ち合わせもまったくないです(笑)。
黒須:息がぴったりすぎて笑ってしまいました。
morich:前世はおそらくきょうだいですかね?
福谷:そうですね。姉ですね。
黒須:最高でした。
morich:ふだんは「あこ」と呼んでいます。綾希子なので「あこ」です。綾希子さんとか社長とかでは言いづらいので、今日は「あこ」と呼びますね。
黒須社長の自己紹介
morich:最初は簡単に自己紹介をお願いします。会社のこと、自分のこと、少し触れてください。
黒須:株式会社cottaという会社で代表をしている黒須綾希子です。プライベートでは子どもが3人いまして、8歳と5歳の双子のママをしています。
福谷:私と一緒です! うちも小学校3年生と年長さんです。
morich:まったく一緒なんですね。
黒須:3姉妹のママです。会社は大分県にあり、父が25年前に創業した会社です。それを私が3年前から継いで、社長をしています。
「cotta」は通販サイトのブランド名で、お菓子とパンにまつわるあらゆることを行っています。主にお菓子屋さまとパン屋さま、ご家庭でお菓子作り・パン作りを楽しまれているみなさまに必要なお菓子の材料や、道具などを通信販売しているサイトになります。
morich:私の息子たちは大学生と高校生なのですが、なんと料理男子です。
福谷:おぉ、料理男子!
黒須:そうでしたよね。
morich:なんと、使わせてもらっています。
黒須:ありがとうございます!
morich:「cotta」から仕入れたパイ生地とか、調理器具でお菓子を作っていますね。
福谷:なるほど、料理男子。けっこう当たり前になってきているというか、自然体になってきているといいますか。
morich:おそらく新型コロナウイルスの影響で、巣ごもり期間中にお菓子を作ったり、パンを作ったりというご家庭が増えたというのもありますよね。
福谷:確かにそうですね。
いつも仕事の話をしている両親のもとで育った幼少期
morich:生まれも育ちも大分ですよね?
黒須:大分県です。
morich:そこから聞いていこうかと思いますが、どのような場所ですか?
黒須:飲みながら話していいですか? とりあえず乾杯しましょう!
morich:もちろん、乾杯! ようこそいらっしゃいました!
黒須:生まれは大分県津久見市という本社がある場所なのですが、今は人口が2万人を切っている過疎の町です。
morich:海に面していますよね。
黒須:海沿いの街なのですが山もあります。その山は石灰の山なのです。石灰が掘れるので、それを資源としてセメントなどにすることが津久見市の1つの産業です。そのような街で育ちました。
morich:会社はお父さんが創業されましたか?
黒須:父が25年前に創業したのですが、たどると私の祖父、お母さんのお父さんです。
morich:お母さん側のお父さんですね。
黒須:実は私たちの事業の祖業をやっている会社です。津久見市には太平洋セメントの工場もありますので、先ほどお話しした石灰はほとんどセメントになっていくのですが、祖父の会社は石灰を砕いて焼いています。それを小袋に詰めると乾燥剤というものになります。
morich:お菓子とかに入っていますね!
福谷:あまりわかっていません……。
黒須:おせんべいとかです。
morich:「これ食べないでくださいね」というやつです。
福谷:わかりました! 入ってますね。
黒須:乾燥剤は湿気ると袋がパンパンになります。海苔やおせんべいなどに入っていますが、あれを作っているメーカーがおじいちゃんの会社です。
福谷:すごいです!
morich:おじいちゃんが乾燥剤を発明したのですか?
黒須:発明しました。地元の資源を使って商品を作りました。
morich:すごいですね!
黒須:それが私たちの祖業になりますが、実は、私の父は布団屋の息子として生まれました。地元のしがない布団屋の息子として生まれ、お父さんが相当早くに亡くなりました。おばあちゃんが布団業で父を育ててくれたのですが、私の母をお嫁さんにもらった時に、石灰業をやっているおじいちゃんからすると、心配なところに嫁を出したわけです。
morich:娘ですものね。
黒須:本当に貧乏で、子どもの時はジャージ2本しか持っていなかったです。「黒のジャージか赤のジャージ、どっちにしようかな?」というくらいです(笑)。
morich:幼少期はけっこう黒歴史ですか(笑)?
黒須:今になってあれは貧乏だったなと思います。すごく貧乏な幼少期で、母も父も必死に布団屋で働いていました。
morich:布団屋さんのほうをやっていたんですね。
黒須:父も半纏や座布団を売っていたのですが、おじいちゃんが見かねて「店はお母さんに任せろ。うちの会社に営業マンとして採用するから来なさい」ということで、サラリーマンとして出稼ぎに行きました。ずっと家業をやっていたので、それが父の初めての社会人経験だったと思います。
morich:なるほど。あこは確か3人きょうだいですよね。長女として生まれて、幼少期はそのような貧乏な生活ながらも、どのような子どもでしたか?
黒須:布団屋は母が継いだのですが、母も商才があって、父と行っていた時よりも圧倒的に商売を伸ばしたのですよ!
(一同笑)
黒須:布団屋が儲からないものだから、宝石や着物などを扱い、最後にはすごく高い掃除機などを扱い始めました。地元のおばちゃまたちのコミュニティを作ったので、みんなお茶を飲みに来るのですよね。母がいつもなにかしらの展示会をしていたので、途中から「あれ? お金持ちかな?」と、勘違いするぐらいかなり食べられるようになりました(笑)。幼少期は母も商売をしていました。
morich:忙しいですよね。
黒須:いつも父と母が仕事の話をしているような感じでした。家が布団屋だったので、私はいつも店番をしていました。
morich:やはり商売感覚はそこで……。
黒須:レジを打ったりしていました。妹と弟がいますが、弟とは8つも年が離れており、母が本当に忙しかったので、私がずっと弟を育てていた思い出があります。
morich:あことは私の子どもが生まれて間もない頃に出会っているのですが、子どもをあやす姿が板についていました。本当に子どもが大好きなんだと思いましたし、妹と弟という話もありましたが、おそらくはその頃の体験が活きていたんですね。
黒須:そうですね。妹と弟を育てたと言うとおこがましいですが、家事もお料理もすごくしました。
morich:料理もめっちゃくちゃうまいです!
黒須:ありがとうございます(笑)。大好きです。
福谷:いろいろなビジネスがそこにつながっていくのですね。
黒須:小中高までは地元の学校に通いましたが、父は営業マンとしてすごく商才があったらしいのです。
おじいちゃんは父に給料をあげるために、会社で何か仕事を任せればよいと思っていたようですが、乾燥剤を全国に売り歩く営業マンに任命してみたら、売上を何倍にも上げてきました。そこで新しいプロジェクトとして会社を作り父に任せたのですが、その会社の売上が倍々で伸びたそうです。
父も商売がすごく楽しい、ビジネスが楽しいと思っていたようです。乾燥剤や脱酸素剤など、種類が違うものもいくつかありますが、菓子の鮮度を保つものを日本全国のお菓子屋さまに売って回る営業マンとして、私が小学生の時は日本中へ出張三昧でした。
morich:確かに、お菓子屋さんによく売っていますよね。
黒須:マドレーヌやクッキーなどに必ず入っているものです。1個1円ですが、お菓子1個に対して、乾燥剤も1個入っています。それを日本全国、365日ほとんど家に居ないで売り歩いていたのです。父ががんばって商売が伸びたので、おじいちゃんの義理の息子ですし、父としてはこの会社を継げると思いました。
morich:それはそうですよね。
黒須:成果を出し会社も大きくした、新規事業も成功させたということで、意気揚々と「次の社長だ」と、考えていたようなのですが、その後、実の息子が帰ってきます。
morich:なるほど…。ありがちですね。あるあるです。
黒須:おじいちゃんも父に任せようと思っていたのですが、自分の息子が近くに来てみると、やはり自分の子どもがかわいくて継がせたいと思ったそうです。
morich:かわいいですよね。
黒須:そこで、No.2として支えてくれないかという打診を父にしたらしいのですね。若かりし父が「そんなことなら自分でやる」と飛び出したのが、私が中1の頃です。
morich:覚えてる?
黒須:覚えてます! 「明日から路頭に迷うかもしれないぞ、お前ら覚悟しろ」と父に言われました。
morich:わぁ! 言われたのですね。しかし、お父さんは一念発起しましたね。
黒須:一念発起してこの会社、cottaを作ったわけです。
精神力が養われたバスケ部時代
morich:なるほど。cottaの前身となる会社ですね。高校時代はどのような学生だったのですか?
黒須:私は小学校で6年間、学級委員長に立候補してしまうような典型的な子でした。中学校ではバスケ部で、けっこう真面目に部活に励みました。部活は超スパルタで、今だとあり得ないのですが水も飲ませてもらえなくて。
morich:当時はそうですね。
黒須:「倒れるまで水を飲むな!」みたいな。信じられないことですが、4時間ぐらい水を飲ませてもらえないような、そんなバスケ部で3年間鍛えてもらいました。
morich:キャプテンですか?
黒須:キャプテンではなかったのですが、部員が6人しかいなくて、きつすぎてみんな辞めてしまいました。部活が本当に苦しくて。学校の前が坂道なのですが、坂道を降りていくと大通りにぶつかります。この大通りで1回信号を待って家に帰っていくのですが「この坂道をブレーキをかけずに行ったら死ねるんじゃないか?」と、思っていました(笑)。
morich:えぇっ!? そっち(笑)? そんなことまで覚えているんですね!
黒須:そう思うくらいに部活がきつかったです。その時の感覚は覚えてます。「今日ブレーキをかけなかったら、ダンプに轢かれて死ねる……」って。
morich:「こんな苦しい思いをしなくていい!」みたいな。
黒須:夢の中でも水を飲みたいと考えていたくらいでした。それくらい、私の精神力を作ってくれた最初のきっかけは、中学のバスケ部でした。
morich:いやぁ、本当に。経営根性の原点ですね。
黒須:部活は死にたいぐらいでした。しかし、その時は父も一念発起して新しい事業をやっているじゃないですか。家に帰ればやはり父が荒れているのです。
morich:うまくいかないのですね。
黒須:1人で孤独にスタートして、母は母で事業をやっているため、母の会社の経理は父がやっていたのですね。したがって、帳簿が合わないとか一晩中話していました。
福谷:いやぁ……。
黒須:数字の話が毎晩のように行き交い、父がお風呂場でブツブツと数字や今日の売上、KPIの話をしているような家に帰っていました。すごくピリピリした環境で育ったと思います。
morich:部活は部活で厳しいという状況ですもんね。
黒須:父と母も勝負している中で、私も死にたいぐらい苦しい思いで3年間部活動を続けました。
高校に入る時、父の言葉でなるほどと思ったことがあります。「受験勉強は時間が無駄になるから、受験勉強をせずにそこそこの大学に入る方法を考えたほうが良い」と、父は当時からそのようなことを言う人でした。
(一同笑)
morich:すごいですね! 今でこそ「教育ママゴン」はだいたいそのような話をしますが、当時はそんなことなかったですよね。
黒須:しかも超田舎ですし、公立の高校だったので、当たり前ですが国立志向なんですよね。みんな「大分大学バンザイ! 九大行け! 京大行け!」みたいな感じでしたが、父は「とにかく内申点だけ取っておけ。あとは適当に部活でも頑張っておけ。そうすれば、私立のまあまあのところの推薦に通って、受験勉強をせずに楽しく3年間遊べるぞ」と、言ったのですよ。
morich:お父さん天才ですね!
黒須:それを聞いて「真面目に実践しよう」と思うとともに、「だったら生徒会長でもやるか」ということになりました。
morich:生徒会長もやったんですね。共学ですよね? 共学で女子の生徒会長っていなくないですか?
黒須:立候補者は5人もいて、大人気ではありました。
morich:女子1人ですか? それで、生徒会長になったのですか?
黒須:女子1人です。当選して生徒会長になりました。それがすごく楽しかったのです。進学校ということもあって制服がダサかったので「制服の丈はこれくらいにしてよい」と校則を変えたり、「紺のハイソックスをは履いて良い」と変えたりしたこともあります。楽しくて「なんかおもしろいなぁ」と思っていました。
morich:そして推薦で明治大学に進学したのですか?
黒須:そうですね。「確かに何にもせずに、そこそこの大学に行けた!」という感じです。
morich:1つの戦略ですね。
黒須:受験を選択したら1年くらいは血眼で勉強しますよね?
morich:3年生であればそうですね。
黒須:その横で毎日のように「プリクラ」を撮っていました。楽しかったですね。
(一同笑)
morich:そこから上京したのですか? そう言えば、大学生活についてあまり聞いたことがなかったです。
黒須:それが、4年間塾の先生しかしてないんですよ。
morich:えぇっ!? 意外ですね。
黒須:1番時給のよいアルバイトを探していたら、塾の先生が出てきました。「やってみようかな」と始めたら、その塾はすごく権限委譲をしていました。18歳の何も知らないただの大学1年生に保護者面談を任せ、進学指導、後輩の指導、アップセル・クロスセルも任せました。すごくおもしろくて、大学4年間は週7で働きました。
morich:週7ですか!? 青春がないじゃないですか(笑)。
黒須:そうかもしれませんね。社員よりも働いていたと思います。
morich:働くことが好きだったのですね。
黒須:たぶん、すごく好きです。塾の先生とバスケサークルの往復でした。
人生初の挫折となった就職がmorichとの出会いのきっかけに
morich:私のファーストキャリアはリクルートですが、それと双璧をなすインテリジェンスに入られたのはなぜですか?
黒須:いや、リクルートエージェントに落ちたからです。
(一同笑)
morich:当時の人事部は見る目がなかった! 私の同期が、人事部の部長です。
黒須:私はなんとしてでもリクルートエージェントに行きたいと思っていました。「なぜ、当時あそこまでリクルートエージェントに行きたかったのか?」と自分でも思いますが。
morich:当時は大人気でしたからね。
黒須:私はリクルートではなく、リクルートエージェントに行きたかったんです。
morich:リクルートエージェントも大人気でした。
黒須:人材業界はかっこよくてスマートでしたからね。
morich:かっこいい人事を立てたのですよ。かっこいい、かわいい人事です。
福谷:なるほど。それは戦略的に行っていたのですか?
morich:おっしゃるとおりです。戦略的でした。
福谷:その中には、morich さんの姿もありましたか?
黒須:もちろんです! 当時から有名でキラキラでした。
福谷:そうですよね。今は、もうギラッギラですね(笑)。
morich:ギラギラになりました? 点々が付きました(笑)。
黒須:とにかく人材業界しか見ていなかった上に、morichさんのいるリクルートエージェントに絶対に受かるものだと思っていました。
morich:本当に受かりそうなものですけどね。
黒須:最終面接まで進み「これは受かる。私ってがんばったらなんでもできるんだ! 全部手に入っちゃう!」と思ったら、最終面接で落ちました。
(一同笑)
福谷:なぜなんですか?
morich:理由はわかりませんが、担当者に見る目がなかったのだと思います。本当に理解できません。
黒須:いやいや、おそらく生意気だったのだと思います。
morich:私から見たら、意外に従順だと思いますよ。あこはもしかしたら、いろいろな意見を主張するタイプだったのではないですか?
黒須:そうですね。
福谷:しかし、それは大事なことですよね?
morich:大事です!
黒須:当時は泣きましたね。それまでの人生で一番の挫折だったかもしれません。
morich:これまでずっと実現してきましたからね。
黒須:がんばったら手に入ると思っていたのに、がんばっても手に入らないことがあるのだなと思いました。
morich:しかし、インテリジェンスではモーレツ営業でしたよ。
黒須:そうですね。反動だったのかもしれません。リクルートエージェントに転職しようと思っていましたから(笑)。
福谷:それが、2人が出会ったきっかけになるわけですね?
morich:そうですね。
福谷:調べてみると、出会いのエピソードもすごいなと思いました!
morich:私は育休中でしたが、当時の社長で、Jリーグの元チェアマン、今もバドミントン協会の会長を務める村井さんという方から「お前、暇か?」と電話がありました。「暇といえば暇ですが、授乳しています」と返答しました。
そうしたら「インテリジェンスで講演をしてくれないか?」と言われたのです。競合ですが「そんな小さなことはいいから行ってくれ」ということで、その依頼をしに来たのが最初の出会いでした。
黒須:私はインテリジェンスで働くことになりましたが、リクルートエージェントを希望していたくらいなので、人材紹介の部署に配属されると思っていました。しかし、立ち上がったばかりのポンコツなdoda事業部にいくことになったのです。
(一同笑)
福谷:ちょっと! いやいやいや…。
黒須:当時はみんなに「完全にハズレだね」と言われていたのです。花形の人材紹介に比べて、超赤字で新規事業を立ち上げたばかりのdoda事業部ですから。現在はもちろん花形の部署になっていると思いますが、当時は求人媒体をただただ売るチームです。
福谷:生放送中ですよ(笑)。
黒須:しかし、「リクルートエージェントには落ちたけれど、よかった、丸ビルだ! 丸の内OLになれる!」と思いました。ハイヒールをたくさん買って「人材紹介の営業マンとして、丸ビルで花を咲かせるんだ!」と思っていたのに、doda事業部という謎の事業部に配属され、しかもそこは大手町の雑居ビルでした。
(一同笑)
黒須:「信じられない!」とがっかりしましたが、これも天命と考え、全うしようと思いました。結果的には、完璧なキャリアだったと思います。
福谷:ヒヤヒヤしながら聞いていました。それならよかったです。
黒須:1年経過した時、媒体そのものに力がなかったため、営業力で勝負するしかないと感じました。リクルート、マイナビ、エン・ジャパンに大負けしているのに、同じ価格で売らなければいけませんでした。そこで、営業力で勝つしかないというプロジェクトが立ち上がり、どうすれば営業力をつけることができるのか考える中で、なぜか「競合に聞いてみよう」となったのです(笑)。
morich:ロジックとしては誠実かもしれません。
黒須:プロジェクトチームで「競合のトップ営業マンに聞いたら、ヒントをもらえるのではないか」ということになりました。たまたまmorichさんの本を読んでおり、「この方に講演に来てもらえたら、私たちの営業力が上がり『doda』が売れるようになるのではないか?」と考え、本当に藁にもすがる思いで、社長経由でお願いしてもらいました。
福谷:すごく勇気のいることだと思います。
morich:講演では惜しみなく、フルオープンでお伝えしました。あの時はめちゃくちゃ盛り上がりましたよね。
黒須:そうですね。「『視座の高い人』というのはこういうことなのか」と、思いました。「業界の成長をここまで願い、私たちに惜しみなく教えてくれるものなのか」と、感銘を受けました。
morich:そこからのお付き合いになります。
福谷:ライバル会社ですよね? ライバル会社の方に「教えてほしい」とアプローチをしたのは大変なことです。
morich:依頼の熱意が本物でした。
福谷:morichさんに迷いはありませんでしたか?
morich:まったくありませんでした。頼んできた理由も自分のためではなく、会社や人材ビジネスを盛り上げようという視座だったので。当日の熱量も半端なく、盛り上がりました。「この人が競合なのは、ちょっとヤバいかも……」と思ったくらいです。
黒須:それを聞けてうれしいです…。
morich:かつ、めちゃくちゃポテンシャルを感じました。「そこらへんにいる女子ではないな」と思いました(笑)。まだバックグラウンドを知らないのに、ただものではないオーラがありました。
福谷:なるほど、それを継続していくと、冒頭にあった「おっさんかもしれない」になるわけですね。
(一同笑)
morich:そうですね。そこに行き着くと思います。そこからリクルートとインテリジェンスではありますが、営業の先輩後輩のような感じのお付き合いになりました。
「父の会社を手伝おう」と素直に選んだ次のキャリア
morich:ある時「会社を辞めようかと思っています」と相談に来ましたね。
黒須:そうですね。入社から丸3年が経過しても「doda」は商品力で勝負するのではなく、営業力とパッションで「売ってこい」という感じでした。ここだけの話ですが、朝9時になると太鼓を叩く音が鳴るのです。9時は就業開始時間で、朝会などは全部終わっている時間です。
morich:「戦いが始まる」といった感じですね。
黒須:そうですね。太鼓の「ドーンッ」という音が鳴ったら、会社を出なければなりません。営業資料と今日の名簿とフル充電の携帯電話を持ち、「走れー!」と言われるような感じで出ていくのです。
外の電話ボックスなどにこもってテレアポもします。本当に太鼓がなるんですよ。それで夕方6時になったら、もう1回太鼓が鳴ります。
(一同笑)
morich:「退陣!」のような感じですね(笑)。
黒須:そうです。それで「今日の収穫は?」という話になり、そこから「読み会」が始まります。
福谷:飲み会もあるのですね?
黒須:飲み会ではなく「読み会」です。
福谷:あぁ! 失礼しました!
黒須:2007年入社ということもあり、当時はブラック企業という言葉もありませんでした。
morich:「社会はこういうものか」といった感じですか?
黒須:そうですね。しかし今では、本当にありがたい環境だったと思います。それだけ仕事に没頭していましたので、まさか自分の会社のサービスに力がないということすら知りませんでした(笑)。
福谷:あの……、もう1回乾杯しませんか(笑)?
morich:当時のお話ですからね。今はもう変わっていますから。
黒須:いや、本当に感謝しかありません。しかし、3年が経過して、この会社でキャリアを積んでいくか、リクルートエージェントにいくか、それとも父の会社を手伝うかを考えた時に、スッと「父の会社を手伝おう」と思ったのです。
morich:なんの迷いもありませんでしたよね。
黒須:そうですね。しかし、父は義理のお父さんからはしごを外されたという思いがあり、当時はやはり恨んでいたのだと思います。今ではその気持ちはないですが「自分も頑張ったのに」と思っていました。そのため「世襲はしない」が父の口癖でした。
morich:私もそのように聞いていました。
黒須:父の会社は順調でしたが、創業から10年が経過し、環境の変化もあって少しずつ陰りが見えており、新しい挑戦をしなければ打破できないフェーズにありました。たまに父に会ってそのような話を聞くと「おもしろいな」と感じていたのですが、父から「新しい挑戦をするけど、手伝わないか?」と誘われ、素直に新しいことをしてみたいと思いました。
福谷:その気持ちに従うのが一番大切ですね。
黒須:「父のがんばってきた10年間を次のステップに進める」というタイミングだったので、「よし! 2、3年であれば手伝ってみよう」と思ったのが入社のきっかけです。
営業力を活かした施策で会社が大きく成長
morich:当初、私もそれくらいの年月だと思っていました。それで、現在のcottaの前身であるタイセイという会社に入られるわけですね。最初は一営業からですか?
黒須:一営業と言いますか、当時もカタログ通販事業を手がけており、全国のお菓子屋さまに乾燥剤や袋、箱を売っていました。アスクルのようなビジネスモデルのお菓子屋さん専業が当社の事業でした。
morich:まだtoCはないですよね?
黒須:そうですね。当時、順調ではありましたが、私が入社した2010年はコンビニスイーツがブームになった初年度です。
当社のお客様は大手チェーン店ではなく個店です。カタログ通販なので、アスクルで注文するように「今週だけ」といった具合で、小さなお菓子屋さまが少しずつ必要な分だけ購入できるビジネスモデルでした。しかし、その個店の近くにコンビニエンスストアができると……。
morich:売れなくなってしまいますね。
黒須:そのとおりです。そのようなブームが一気に来て、少しずつ淘汰が始まりました。お客さまは潰れないにしても、仕入金額が減るなど「これまでとは違う」という陰りがありました。
morich:数字の陰りも具体的に見えたのですか?
黒須:そうですね。「じゃあ、何をしようか?」というのが私のミッションでした。
morich:まず、何から手を打ったのですか?
黒須:当時は3,000万円くらいしか利益の出ない会社でしたので、大きな投資は難しいものがありました。まったくの新規事業というのは難しかったですし、会社の規模にしては在庫金額もなかなか大きかったので、「この資産を活用して、売る人を広げられないか?」「同じものをより小分けにしたら、BtoCで売れないか?」と考えたのです。
それまではカタログ通販でしたが「eコマースに載せ替えたほうが、個人のお客さまでも買えるのではないか」と考え、そこで新しく「cotta」という通販サイトを立ち上げたのです。
morich:しかし、ECの経験はありませんよね?
黒須:そうですね。父にしてみれば「インターネット広告を売っていただろう?」「俺よりはできるだろう?」みたいな感じでしたが、「そうかもな」と思うようになりました。
morich:見よう見まねで進めたのですか?
黒須:もう、完全に見よう見まねでサイトを作りました。最初にキーとなったのは、サイトのユーザビリティやきれいさ、使い勝手よりも「どうすればお客さんに知ってもらい、来てもらえるか」ということでした。
morich:集客力が大切ということですね。
黒須:集客にたいした広告宣伝費を使えず、自分のこれまでの経験からできることは営業しかなかったため、最初はインフルエンサーに営業をしました。
morich:今で言うところのYouTuberやインスタグラマーですね。
黒須:当時はカリスマブロガーたちが「ブログ村」でランキングを作り、上位に上がると雑誌に出たり、本を出せたりといったブームでした。その「ブログ村」のようなところで、食に関するカテゴリで上位の方々に、上から順番にアタックしていきました。
morich:そこで営業力が活かされるわけですね。
黒須:「cotta」のパートナーになってほしい、応援してもらいたいということで、営業をしたのが最初の仕事でした。
morich:それで手応えが出てきましたか?
黒須:出てきました。有名なインフルエンサーも口説いたのですが、それ以外にも有名なパティシエたちもどんどん口説き、さらに時の人たちを口説きました。
名もなき「cotta」でしたが、その人たちのおかげで「あのシェフが使っているのか」「あのインフルエンサーが使い勝手がよいと言っているのか」といった感じで、少しずつ口コミが広がっていきました。
morich:そこから代表を正式にお願いするということになったのですか?
黒須:そうですね。しかし2010年に入社してから1、2年は、継ぐ気などまったくありませんでした。
morich:周りからは「お嬢さん」のような感じですか?
黒須:一応はそうですね。しかし父は特別扱いを一切しませんでした。
morich:それは、お父さん偉いですね。
黒須:「東京の支社を作っていいよ」とは言われていましたが、私は東京にいる唯一の駐在員でした。
morich:東京支社を立ち上げて、新規事業としてECを手がけるようになったのですね。
黒須:そうですね。家を登記して始めました。その給料も大分県津久見市の給料と同水準に合わせられ、高卒の初任給と同じでした。「結果が出るまでそれでやれ!」ということです。
morich:本当に偉いお父さんです! 私なら息子にお金を出してしまいそうです(笑)。
黒須:そのような意味では、周りからそこまで変な目で見られませんでした。結果を出すまでの3年くらいはお金もなく、東京でひとりぼっちでした。
morich:孤独ですね。できることも限られると思います。
黒須:とにかく足で稼ぐといった感じでした。
母親業と同時に社長業をスタート
morich:そこからの大きなターニングポイントは何ですか? やはり新型コロナウイルスでしょうか?
黒須:私が手掛けて、BtoCへ転じた「cotta」の事業は、時流も時代も良かったためスタートダッシュを切ることができました。それにより、利益率も改善してトップラインも伸び、東京証券取引所のマザーズに上場できたのです。
morich:そうでしたね。
黒須:やはりこれが1つの転機で、3年くらい孤独に進めたこの事業が実を結びました。
morich:もともとは「福岡証券取引所のQ‐Boardに上場できたらいいよね」と言っていましたが、マザーズでしたね!
黒須:マザーズに認められたという成功体験を得ました。その時に、やっと「投資をして、次の事業を作っていかなければならない」という感覚ができ、東京に株式会社TUKURUを設立しました。
それまで本当にひとりぼっちでしたが、自分で仲間を集めることになりました。もともと人材業行っていたので、どうすれば人を集められるのかは得意でした。人事のみなさまと話していた頃のことを思い出しながら仲間を集めたのです。
自分の仲間とビジネスを作っていったのは1つのターニングポイントでした。1人で仕事をすることは簡単で「寝ずに働けばよい」というだけでした。
morich:女性社長というのは、どうしても1人社長が多いです。みなさまフリーランスや起業を志すのですが、組織で戦おうと転換するのはなかなか難しいことです。そこが本当に、あこのすごさの1つだと思います。
黒須:私は欲張りなのか、TUKURUを作ったタイミングで、結婚して子どもも作ってしまったのです。
morich:そのタイミングでしたね!
黒須:仲間ができて自分の仕事を任せられるようになったことや、20代で子どもが欲しかったこともあり「とりあえず1人産んじゃおう」という感じで産みました。
morich:3人欲しいと言ってましたね。
黒須:しかし、そんなに甘くはなく、権限委譲もしていなかったため、自分が先頭になってすべての実務をしていました。
morich:ついつい自分で行ってしまうのですね。
黒須:子どもができたため権限を渡していかなければいけないという試練もありましたが、渡しきれませんでした。家に帰れば一晩中授乳で眠れず、朝になってすぐ仕事です。子どもをおぶって仕事に行ったり、授乳しながら面接したりもしていました。
母親業も仕事もすべてやらなければいけません。時間の使い方などに対して「今この3つあるけど、私がやらなきゃいけないことはどれなんだ?」と考えるようになり、このあたりがターニングポイントでしたね。
福谷:なるほど、すごいことですね。
morich:白旗をあげるとパラダイムを変えなければいけなくなりますので、逆に良かったのかもしれません。その頃がちょうどコロナ禍前ですか?
黒須:そうですね。私は30歳で、ようやくお姉ちゃんを保育園に入れたところでした。その当時、事業のエンジンになったのは商品開発です。
morich:自社開発ですね。
黒須:プライベートブランドがないと勝てなくなり、競合も強くなってきていました。当社の「小ロットで早くお届けする」というモデルだけでは勝てなくなり、「cotta」にしかない商品を作るべく中国に行きました。
当時は、安く大量に商品を作ってくれるのは中国だと先輩に聞いており、まずは中国の展示会に行ってみて、たくさん飲んで、いろいろな工場に出掛けました。
福谷:やはりたくさん飲んだのですか?
morich:中国ではリレーションシップが重視されますからね。
黒須:そのようなことをしながら工場の開拓をし、自分たちで考えたアイデアを全部工場に作ってもらう、いわゆるD2Cの走りのようなことをしていました。それがまたうまくはまって、売上が伸びていくわけです。
morich:利益率もですか?
黒須:利益率がとにかく改善していきます。しかし、私は欲張りですので、35歳までにもう1人産んでおかなければ、と思ってしまうのですよね。
morich:もともと、本当に子どもが3人欲しかったんですものね。
黒須:そうですね。しかし「経営もしているし3人欲しいとはいわない」と思っていたため、とりあえず2人目です。またその頃、私が33歳の時くらいから、父が「世襲しろ」とうるさくなったのです。
morich:急にその気になったのでしょうか(笑)?
黒須:私は「話が違いますよね?」と思って無視していましたが、早くもう1人子どもが欲しいと思っていたら、授かった子どもが双子だったのです。
morich:もうびっくりですよ!
黒須:ありがたいことに2人授かりました。産んだ瞬間に父から「お前が産むのを待ったのだから、社長を交代しろ」と言われました。
morich:3人という約束でしたからね。
黒須:そうなのです。0歳児の子どもがいるのに社長を交代して、その瞬間に新型コロナウイルスが来てしまいます。これはターニングポイントでしたね。
違和感を抱えながらも拡大する事業
morich:その頃、実は旦那さまも会社を辞めたのです。
黒須:そうです。うちの会社に入る決意をしました。
福谷:いや、すごいですね!
morich:素敵な旦那さんです。
福谷:旦那さんが今入社されていることも、誰かのご縁と聞きました。
黒須:前職に入社させてくれたのがmorichさんです。
福谷:どこにでもいらっしゃいますね。
morich:旦那さんがまだ彼氏の時です。以前の会社では、彼はマーケットバリューが高くならないと思ったのです。「結婚した後は養ってもらわなければいけない」という話がありましたので、年収アップキャンペーンを張りました。
黒須:そうです。「マーケットバリューを上げてください!」と。
morich:レガシーな会社からコンサルティングファームに転身し、彼は見違えるように成長したのです。
黒須:本当におかげさまです。
morich:今のcottaを支えてくれる1人になりましたね。
福谷:No.2ですよね。
黒須:そうです。実質No.2です。
morich:皮肉なことに、コロナ禍が逆に良かったのですよね。
黒須:コロナ禍で「おうち需要」が高まりました。当時はD2Cが非常に伸びており、おうちでご飯やお菓子、パン作りをして時間つぶしたいという方々のニーズに合致しました。また、コロナ禍となる前に、たまたま私が代表になったタイミングでTVCMを用意していたのです。「今期は絶対投資するぞ」と、100億円くらいの投資をしました。
morich:コロナ禍になる前にですか? すごいですね!
黒須:TVCMを準備したことも、すべてがきれいにハマりました。その瞬間は良かったのですよ。信じられないほど受注が来て、お客さまをお待たせしても商品を作るのが間に合わないほどでした。
morich:想像を越えましたか?
黒須:越えましたね。ただ、その時は強い違和感がありました。「どこまでが本当の実力で、どこまでが特需なのか」それを見極められないままで計画を作っていかなければなりません。採用計画や社員の報酬を出さなければいけないのに、しかも、ひよっこ社長です。
morich:読み切れませんね。
黒須:読み切れないのです。「すごく怖いなぁ」と思いながらも、受注が来る、売上が上がるのはうれしいという状態です。
福谷:すごいですね。
黒須:これが、結果的に社長になって初めての試練となります。やはりすごい下駄を履かされていたわけです。
morich:特需だったのですね。
間違った判断をいなしてくれた父への感謝
黒須:しかもTVCMという大きな投資もしていました。
morich:コロナ禍の特需に加えて、さらにですよね。
黒須:そうなのです。しかし、当時の私たちは1年間くらいバブルでしたので、社内は「もうこれいけるんじゃない?」という空気になってしまいます。「実力だよ」「このブームは続くよ」と信じてやみませんでした。何か強い違和感がありながら、かなり強気の計画を出してしまうわけです。
morich:もともと、そのようなキャラでもありました。
黒須:当時はトントン拍子で92億円くらいまで成長しており、大変な強気です。「当たり前だけど来期は100億円だよね」「余裕でいくよね」という雰囲気でしたが、外出制限が解除された後はみるみると特需が離れていくわけです。
morich:可処分時間の使い道が広がったわけですね。
黒須:巣ごもり特需とEC特需の両方の恩恵を受けていたため、反動も大きかったです。当社はもともと数字に非常に厳しい、営業会社のような会社です。eコマースですが、月次、週次、日次で数字を追いかけており、日次どころか半日や時間単位で、「この時間でこの数字いかなかったら、今日の施策を差し替えないと厳しいよね」という文化でした。
福谷:すごいですね。
黒須:権限委譲はしましたが、特需が剥がれ落ちたものですから、数字が合わなくなります。
morich:「私が見なければいけない」という気持ちになりますね。
黒須:そうなのです。私はまた現場に戻って旗振りをしました。午後の施策をメンバーが考えているのに、午前中の数字が悪ければ「全部差し替えろ」と言うわけです。しかし、差し替えられることといえば安売りくらいなのです。
福谷:なるほど。
黒須:せっかく自分で作ってきた「cotta」というブランドをすべて安売りに変えて、「なんとか株主に約束した数字だけいけばいいから」という方針にしたのです。
morich:株主を見てしまったのですね。
黒須:とにかく血眼になって、お客さまのことも社員のこともまったく見ていませんでした。「代表に就任した1年目でコミットメントを外すのか?」と、怖くなってしまっていたのです。
morich:「それはないよね」と。
黒須:血眼になって現場の尻を叩いていましたが、これが3ヶ月間くらい続いて、現場は疲れ切っていました。
morich:そのような雰囲気だったのですね。
黒須:「社長いいんですか?」「こんな安売りだけのサイトにしちゃって」と。
morich:社員が言ってくれたのですか?
黒須:そうです。しかも、当社は数字だけ作ればよいのではなく、出荷をしなければ売上になりません。そうなると倉庫のメンバーも疲弊します。
morich:「労多くして功少なし」というわけですね。
黒須:おっしゃるとおりです。朝残業から夜残業、「土日出勤してでも出荷してね」と、ママたちに言うわけです。子育てしやすい会社と謳っているのにまったくの嘘で、「子どもそっちのけで働け」というようになっていました。
「なんかやりたかったこととぜんぜん違う」と、ハッとしました。しかし、父の代から連続増収してきた会社で、売上を一度も落としていないのです。
morich:落としていないのですか!? わぁ、それは……。
黒須:「私に変わった瞬間に落とすの?」というのは、私のわがままですよね。
morich:プライドですよね。
黒須:私の単なるエゴですので、非常に葛藤しました。最後はやはり父と相談し、連続増収も諦め、安売りもやめて、目標を置き直して立て直すことにしました。これが直近のターニングポイントです。
morich:そこで感じたことは何でしょうか?
黒須:私は昔から責任感が強すぎました。2代目として責任感はあっていいはずなのですが、父との約束よりも、今はお客さまや社員にとっての代表です。
福谷:なるほど。
黒須:判断を間違えたところを、いなしてくれたのはやはり父でしたので、感謝しています。
morich:しかし、おそらく普通のお父さまは「売上を追え」と言うのではないかと思います。私もお会いしたことがありますが、その誠実さはお父さまだからこそです。本当にすばらしい方です。
黒須:そうですね。そこでハッとしたという感じです。やはりサステナブルというか、せっかく2代目を務めていますので、できれば3代目、4代目と続けたいです。
morich:上から目線の言い方で大変恐縮ですが、本当に成長したなと思います。間近というわけではありませんが第三者として見ていて、社員のことを思う姿は本当に成長したなと見ていました。また、いろいろな経営者から学ぼうという姿勢、この1年ほどでそれを強く感じています。
黒須:ありがとうございます!
小さなプレイヤーを支えていくという責任
morich:2代目、3代目、4代目という話がありましたが、今後、cottaをどのようにしていきたいですか?
黒須:コロナ禍以降、とんでもないスピードで私たちの価値観も社会も変わりました。それにアジャストするために精一杯取り組んでいかなければと思っています。これまでのハッピーなcottaはもちろん守っていきますが、cottaを作るために積み上げてきた25年間の資産を活用し、次はスタートアップのようなことをしたいと思っています。
福谷:よいですね。
黒須:もちろん、cottaはこれからも大事に育てていきます。このアセットを活用し、ゼロベースで新しいことに挑戦することが私の来期のテーマです。
morich:私は実家が滋賀県で、そこに1軒だけケーキ屋さんがあります。小さい頃からみんなそこのケーキで育ってきましたから、そこがなくなってしまうと非常に寂しいです。
誕生日やクリスマスなど、小さい頃から地元でお世話になっていた場所がなくなってほしくないという、私と同じような思いの人はたくさんいます。そのようなところはやはり支えていただきたいです。
黒須:もちろん支えていきます!
morich:私個人としてもお願いしたいと考えています。そのような個店は世の中にたくさんあると思います。
黒須:私たちの趣味嗜好が非常に多様化している中、小規模事業主さまというプレイヤーは増えていくと思います。
福谷:確かにそうですね。
黒須:お菓子屋さんは本当にそうです。しかし、それを支えるプレイヤーはあまりいません。やはり儲かりにくいのです。
morich:個店だとね。
黒須:個店に少しずつ配送するというのは儲かりにくいです。しかし、私たちはその儲からないビジネスを25年、26年と、コツコツやってきました。
morich:スモールBに向けて継続してきましたね。
黒須:私たちは1円の商品を数えて出しているのです。
morich:すごいことですよね! 確かに小袋には1個ずつ乾燥剤が入っています。あことお付き合いしてから「これを詰めている人がいるんだな」と、思って愛しくてしかたがないです。
黒須:本当に1円、2円のものを「10枚欲しい」と言われたら、10枚数えて出します。当社は25年前から行っているので当たり前にできますが、新規参入などでは儲からなくてできません。
私たちはそのために業務改善を繰り返してきました。今はDXもありますので、最適化していきながら、私たちにしかできないことを研ぎ澄ましていきたいです。小さなプレイヤーのみなさまを支えていく立場として、責任を持ってやっていきたいと思っています。
福谷:すごいです!
morich:実は私もコロナ禍で、本当に久しぶりにお菓子を作ってみました。子どもたちはひどくビビっていました(笑)。
福谷:ビビっていたのですか(笑)。
morich:働くお母さんたちも忙しいだけで、別に作りたくないわけではないのです。cottaではそのようなお母さんたちが気軽に、手軽に作れるキットが売っています。「子どもたちにしてあげたいな」と思う気持ちはありますので、そのようなお菓子作りを支える会社でもあってほしいと思っています。
1つも諦めない生き方を目指して
morich:あこの個人の目標を聞きたいです。
黒須:まだ子育てが一段落していないんですよ。
morich:お子さんは自分のことは自分でできるようになりましたか?
黒須:5歳ですので、かなりできるようになりました。近ごろは経営者でかつ子育てができる私は、本当に幸せだなと思っています。私のようなキャリアを築く人は少ないかもしれませんので、1つのロールとして経営者に勇気を与えていけたらいいなと思います。
実際のところ、子育てをするなら経営者になるのが一番よいのではと思っています。
福谷:なるほど。
morich:自分でルールを決められますものね。
黒須:そのとおりです。サラリーマンでも管理職なら子育てしやすいと聞きますが、それよりも起業のほうが、時間がかからないのではないかと思います。
ただし、覚悟は必要です。私は子どもを3人持ち、自分の趣味があり、交友関係も広げてと、いろいろなことを欲張って叶えています。「1つも諦めないような生き方ができないかな」といつも思っています。
福谷:すばらしいです!
morich:あこはゴルフもうまいのです。
福谷:ゴルフもですか? morichさんは本当に詳しいですね(笑)。
morich:そうなのです。妹のように思っていますので、すべて叶えてほしいです。
福谷:その気持ちはひしひしと伝わってきます。
morich:「子育てするのなら経営者が本当におすすめですよ」と言いたいです。そこには家事メン、育メンの旦那さんが必要になります。そのような男性も増えていかないといけないという話ですよね。
福谷:今、目線がかなり強かったですね。なるほど。
(一同笑)
morich:社会を変えていくということを、ぜひ実現していってほしいと思っています。あこはいつもこの調子で、常にハッピーで明るい人です!
福谷:そうですよね。お話をおうかがいして、非常に明るい方だなと思いました。また、勇気もお持ちです。
morich:ぶれません。
福谷:私はいつもmorichパワーをいただいていますが、黒須さんからもいろいろといただいた気がします。
morich:今日は会場のみなさまも非常に真剣に、頷きながら聞いていただいていますね。本当にありがとうございます。
福谷:起業されていない方がいらっしゃれば、もう明日には「起業しよう」「サポートはします」という感じですね。
morich:間もなく終了時間になります。本日1時間しっかり聞いていただいた視聴者の方々に、あこから激励のメッセージ、エールをお願いします。
黒須:ご参加いただきありがとうございます。先ほどもお話ししましたが、みなさまと私の時間はフェアで、誰もが共通だと思います。例えば「子どもいるから諦めよう」「仕事が忙しいから趣味は後回し」とするのは簡単ですが、1つも諦めない方法は絶対にあると思っています。
福谷:そうですね。
黒須:「寝ない」とかではないですよ(笑)。
morich:私はすぐに睡眠を削ってしまいます(笑)。
黒須:私はこの1年間、1つも諦めたくないと思い、周りの人に協力をお願いしたり、「こういうスタンスでいけばよいんだな」「こういう人から力を借りればよいんだな」と工夫を重ねたりしてきました。もう40歳ですが、諦めずに自分らしくなってきました。
morich:そのようなことができる世の中にもなりましたよね。
黒須:なりました!
福谷:なるほど。ということは、誰もができるということですね。
黒須:本当にそう思います。
morich:制約はないです。
福谷:諦めずに、夢を持って、やりたいこともやって、みなさまに声かけてサポートしていただくと、そのようなことですよね。本日は1周年記念ということで、素敵な女性にお越しいただき、おそらく私が一番幸せ者です。
morich:そうですね!
福谷:お2人にお話いただきながらいろいろと学ばせていただいて、私が今一番幸せだと自負しながら、本日も「新morichの部屋」を締めたいと思います。あこさん、本日は本当にありがとうございました!
黒須:ありがとうございます。
morich:ありがとうございました。
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