―トランプの挑戦は株高、ドル高要因か―
選挙結果に予断は許されない。しかし、「もしトラ」に関するお問い合わせが余りにも多いので、以下に論点を整理した。
(1)トランプ優勢の不思議
世界最大の政治経済イベント、米国大統領選挙が早くも5カ月後に迫ってきた。驚くべきは天衣無縫のヤンチャものの印象が強烈なトランプ氏が再選される可能性が強い、と伝えられていることである。4件の刑事訴追を受けており、5月30日には大統領経験者として初めて有罪評決を受けたが、大統領選挙への悪影響は限定的と見られている。
前回の大統領選挙でのバイデン勝利を盗まれたものと全く認めず、現大統領の正当性を頭から否定し続けているトランプ氏は、1年前までは死に体とすら見られていた。それが刑事訴追が始まると、政治的迫害を受けているというキャンペーンが功を奏し、かえって支持率が高まった。
選挙勝敗の鍵を握る接戦7州(アリゾナ、ジョージア、ネバダ、ミシガン、ノースカロライナ、ペンシルベニア、ウィスコンシン)をみると、前回はバイデン氏が6勝したのに対して、今回は全ての州でトランプ氏が優勢との調査となっている。この情勢はメディアや専門家の予測を大きく覆すものである。何故であろうか。
雇用構造の大変化
米国の経済社会の底流で大きな構造変化が起きており、その変化に対するトランプ氏の果敢な挑戦が、有権者とかみ合い始めている、と考えざるを得ない。明らかに米国経済社会には2つの変化が起きている。その第一は、テクノロジーの進歩と国際分業の進展による雇用構造の変化と中間層の消失である。
かつての中間層を支えた製造業は、グローバリゼーションによって劇的に海外依存を強め雇用が減少した。50年前の1970年代まで米国は衣料、玩具などの軽工業から鉄鋼、造船、化学などの重工業、電気、通信、半導体などのエレクトロニクス産業、機械、自動車産業など全ての製造業分野で世界最大の規模を擁していた。米国の製造業製品(財)輸入依存度は1割に過ぎなかったが、今では8~9割を輸入に頼るようになり、圧倒的に雇用が失われた。
それを埋めた新規雇用は、高賃金のビジネスサービス、金融、情報通信産業と、スキル度が低く相対的低賃金の個人サービス、外食、娯楽、医療・介護など多様で格差がある産業群であった。その結果、労働分配率が60%弱から50%弱へと低下し、賃金上昇にもブレーキがかかり、家計は収入の多くを賃金ではなく社会保険や公的扶助と株式など資産所得に依存するようになった。それは資産保有者と持たざる者の格差を拡大させることとなった。
過度の少数派優遇への反発
第二の変化は、多様化(ダイバーシティ)、包摂化(インクルージョン)の浸透と過激化である。人権、弱者保護、公平性、多様なメンバーが違いを尊重されることで働き甲斐を共有できる環境づくり運動、SDGsやESGとも共通する理想の追求が過激化・左傾化した。
白人は生まれながらに差別という原罪を背負っているというCritical Race Theory(批判的人種論)、BLM(ブラック・ライブズ・マター)運動、人種によって合格点に差をつけるというような過度な弱者への配慮、建国の父たちを奴隷所有者として否定するといった反歴史主義など、左傾化、理想主義、建前主義の弊害が極まっている。
それによる逆差別の被害者意識も、マイノリティに転落する寸前にある白人の低学歴層で高まっている(白人比率は1965年の84%から2020年には58%へと急低下したが、2060年には5割を下回ることが確実視されている)。それは過激な脱化石燃料化に対する反発とも共鳴している。
格差は縮小している
白人と黒人、ヒスパニックなどマイノリティとの格差は、近年、失業率で見ても、平均賃金で見ても顕著に縮小している。また、コロナパンデミック以降、トラック運転手やウェイター、ウェイトレスなどあまり熟練度を求められない低賃金の大卒未満の職業分野で労働需給が逼迫し、全体として賃金格差が縮小している。その中で少数派優遇の声が強まっているのである。
(2) 敵を明確化することで立場を鮮明にしている
トランプ氏は敵を想定することで、これらの国民的不満に真っ向から応えるというスタンスを明確にしている。
第一の敵は米国の製造業の雇用を奪ったグローバリゼーションと中国、第二の敵は過度の弱者配慮、逆差別と歴史否定主義を推進する既得権益集団、官僚機構「ディープステイト(影の政府)」の解体である。この敵の想定は乱暴で必ずしも合理性があるとは考え難いが、選挙のスローガンとしては、国民心情に刺さるものになっているのであろう。
国民の心情に応えられなかった既存政党
既存の政治勢力である共和党、民主党がともにそうした国民の不満に応えられていなかった。かつての共和党対民主党は、富裕層対労働者、白人対有色人種、保守対リベラル、小さな政府対大きな政府、自由主義と保護主義、といったはっきりした党派対立軸があったが、今はそれがほとんど失われ、混沌の状態にある。
この民主党、共和党ともに再定義が必要な時期に、いち早く再定義を主張して飛び出したリーダーがトランプ氏であると言える。トランプ氏は共和党内で圧倒的支持を得ているが、その主張の多くは伝統的共和党の価値観からかけ離れたものである。トランプ氏は共和党の屋台骨を作り替えたと言えるのではないか。
大富豪で資本主義体制の受益者が、取り残された弱者の利益を代弁してアンチワシントン、アンチエスタブリッシュメントを唱え、権力を「ディープステイト」から取り戻すと主張している点に、分かりにくさがあるが、それこそがトランプ主義と言えるのではないか。それが単純な白色革命や復古主義などの反動的なものなのか、それとも改革を通して更なる発展をもたらすものなのか。反トランプ派は前者と言い、汎トランプ派は後者の立場に立つが、今はどちらの言い分にも一理がある局面と言える。
(3)トランプが再選されれば打ち出しそうな政策群
2つの敵、「対中」「対ディープステイト」に対する戦いを推し進める
それでは時期尚早ではあるが、トランプ氏が大統領になったとして、どのような政策が打ち出されるのか、考えてみよう。選挙用のレトリックと真に追及される政策を峻別する必要がある。
まず2つの敵に対する戦いは貫徹されるのではないか。米国の雇用だけでなく、覇権を奪おうとする中国に対する姿勢は一段と強まるだろう。中国からの輸入関税を60%に引き上げること、中国最恵国待遇の撤廃などの政策により、対中デカップリングは更に急速に進むだろう。これまでは先端半導体など一部の高度・軍事技術に限られていた高い障壁をより多くの分野に広げ、中国依存度は更に急低下するだろう。
また、「質の悪い官僚たちを排除し、腐敗したワシントンに民主主義を取り戻すこと」も実施される可能性が高い。今まで4000人程度に限られていた政治任用制度の適用範囲を5万人に広げ、中堅官僚を大きく入れ替えることを示唆している。トランプの意にそわない官僚の魔女狩りとの批判が高まり、メディアやアカデミズムを巻き込んで激しい対立を引き起こすかもしれない。いま起きている激烈なトランプ批判は、その前哨戦かもしれない。かつてのマッカーシズム、レッド・パージなど、米国は時としてラディカルな思想迫害をすることがある。
また、パリ協定からの離脱、EV(電気自動車)補助金の縮小や停止、パイプライン建設促進などバイデン政権が推し進めた環境政策を換骨奪胎することも間違いないだろう。更に国境管理の強化、不法移民対策の強化も進めるだろう。
金融資本、資本主義擁護の姿勢を鮮明に
その一方で、選挙レトリックを変えつつある政策もある。中絶禁止やウクライナ戦争支援反対などの主張は大きくトーンを緩め始めている。
また、口先では反国際金融資本と言いつつウォール街の利益を代弁し、株価フレンドリーの政策をとり続けそうなのは、第一期のトランプ政権時と変わらないだろう。前回はドット・フランク法の改正、ボルカールールなどの金融規制の緩和を実施したが、バイデン政権が導入した自社株買い課税の撤廃など、反市場政策を引っ込めるかもしれない。結局、トランプ氏は金融資本、ウォール街の利益を代弁し、資本主義を擁護する立場を鮮明にするだろう。
ドル安政策はとらないだろう
貿易赤字に焦点を絞っており、前回の大統領就任時にはドル安に言及したこともあり、トランプ氏はドル安論者かと思われているが、むしろ[[stock/0950/chart|ドル高]]容認の姿勢を打ち出すのではないか。
トランプ政権は保護主義の手段として高率関税を打ち出している。既に一律10%輸入関税、対中では60%の関税設定を提起しており、輸入関税にドル安が加われば米国の輸入物価が急上昇することは必至、だかそれは考え難い。むしろ高関税とドル高政策を併用してくるのではないか。米国産業の防御には関税政策を割り当て、米国が圧倒的に強く独占しているAI(人工知能)、デジタルの分野では強いドルを使って攻勢を強める、という選択が合理的である。
以上のような市場フレンドリー政策が想定される上、第一期トランプ政権を担ったロバート・ライトハイザー元通商代表部(USR)代表、ピーター・ナバロ元大統領補佐官、ラリー・クドロー元国家経済会議(NEC)議長などが政策準備に参画しており、経済通商政策の一貫性はほぼ確かであろう。
2016年と同様、事前の懸念とは裏腹に、株式市場は「もしトラ」を歓迎する可能性が高いと思われる。
(2024年6月3日記 武者リサーチ「ストラテジーブレティン355号」を転載)
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