時は1960年。日米安全保障条約の反対運動。国会議事堂の上を、シコルスキー型の軽ヘリコプターが飛ぶ。このヘリコプターは2人乗りで、私が4歳とか5歳の頃、低空をゆっくりと飛行しているのを、何度もよく見た。周りが透明なので、運転席に、座っているのが、よく見えた。
ユーチューブです。
https://www.youtube.com/watch?v=ttyL7DcfcJM
時の総理、岸信介の、記者会見。岸総理は、この騒乱の責任をとって、辞任した。今、画面を見て、この時の反対運動は、凄まじかった。
日本全国で、「安保、反対」のデモ行進が、行われた。通っている小学校の、女の先生も、前橋市のデモに参加した。3か月くらいだったろうか。日本全国で、何度も「安保反対」のデモ行進が行なわれた。
太平洋戦争の、悲惨な状況から、年月が浅いので、もう戦争は反対だという国民感情の強い時だった。
国電が止まった、都営の電車が止まった。病院の休業が、相次いだ。
首相官邸前の騒動、官邸からの放水。議事堂前の広場の、集団。この頃は、柵がなく、誰でも、気軽に議事堂の広場に、入れた。この後、議事堂の周りに、柵を張り巡らしたのだ。
この時は、新左翼と呼ばれる、中核派、核丸派といった政治団体は、存在しない。自然と盛り上がった国民感情だった。そんなことで、このデモ行進を非難する人は、いなかった。僅かであった。右翼団体くらいか。
新左翼は、ベトナム戦争が、始まった辺りから、誕生した。それが下火になったのは、赤軍派による、内部の兵士を次第に殺しているのが、分かる辺りから、新左翼は怖いという印象で、国民からも、支持を失ってゆく。
西田佐知子の「アカシアの雨がやむとき」はこの頃、大ヒットした歌だ。この頃は、未だ、テレビが普及していない時代。小学校にテレビが1台あった程度。幻灯機で、映像を見たくらいだ。