(私の人生は、裏街道の、そのまた裏街道。表街道の人生は、歩めませんでした。誰かに聞かれた。堅実さんは、どうやって、車で通勤しているのですか。答えました。裏道のそのまた、裏道を通ってくるのさ。表街道は、とても歩めないのさ)
ふっと、思い出したことです。1時間は、誰でも1時間ですが、若い時の1時間は、老後の1時間と、価値が違う。それは、この1時間をどう使うかにより、その後の、人生に大きく影響するからである。
大体、20歳頃になると、自分がどうするか、大体決まってくる。遅い人は30歳くらいか。その時の時間の使い方で、その後の、数十年が決まってくるのである。だから若い時の、1時間は、中年後の1時間よりも、その後の方向を決めるので、価値が高いのである。この価値ある時間を浪費することなかれ。
この時こそ、真剣に生きよ。私の経験からも、病気を抱えながらも、真剣に学んだ。朝に花が咲き、夕に、枯れるとも、一日を、精いっぱい生きているものもある。
先の事は、わからない。これをやったからと、いっても、どうなるものでもない。しかし懸命にやっていると、例えば、1週間でも懸命にやれば、その後、その時の1週間は、充実したものに、なるであろう。
これは中年後でも、同じである。いくら真剣にやっても、ダメなことはある。しかし、ダメであっても、その時は、頑張ったという、「心の財産」は必ず残ってくる。この財産が、その後に、生きてくるのである。だから、やはり、真剣に、生きるべきである。
そして、工夫して、少しずつ、やり方を修正するのも、これも重大なことである。少しずつ、やり方を工夫して、修正するのである。これも、その後に、影響する。
とにかく、愚直になれ。阿呆になって、勉強すべし。目を、いたわりながら。