人は、その人が、考えているような人になる。これは、長年の試行錯誤から言える。下らないことを、考えていると、やがて、下らない人になる。生活習慣が、その人を、つくる。
少しの高きを、目指すと、やがてその人は、高き人になる。これも習慣である。よい文章を、書きたいと思って、書いていると、よい文章になる。
このようなことだから、つまらないブログを書いていると、やがてその人は、つまらないブログしか、書けないことになる。いきなり、よいブログは、書けないのである。
良い文を書いていると、書きながら、その書いている文が、書いている人に影響を与え、その人はよい人になる。このように、文と人は相互に影響しあっている。
人の心の不思議といおうか。人の価値観は、その人の行動の影響を強くうける。マインドコントロールとでも言おうか。
人が、つまらない新興宗教に、熱中するのも、このためである。試みに、新興宗教にはいり、その中で、生活していると、人は、新興宗教に、影響をうけ、やがて、強く新興宗教を信じるようになる。習慣が、人の心に影響したのである。
心は、外見を作り、外見は、心を作る。これも、生活と心の相互に、影響しあった結果である。だから、少しは、つまらなくても、外見がきちんとしていれば、少々、困難なことが、あっても、心は外見に支えられる。
生活が、心を支配しているとも言える。人は価値観があって、生活していると、錯覚している。しかし、影響しているのは、生活と心が相互に強く、影響しているのである。このことを、人々は、気が付かない。
心や価値観が、生活に影響すると考えている人が多いが、そこで、深く影響しているのは、心の方より、生活である。考えているよりも、生活している時間の方が長いからである。だから、よい生活習慣を行っていることは、よい生活になると、考えるが。いかがですか。