堅実さんのブログ
昨日の生活 元年12月22日(日)17時14分
(喪中の葉書、毎年、出さないと、いけないな。なぜなら、毎年、死んだと同じ生活だから)
そうか、もうクリスマスか。毎年、季節は廻ってくるけれど、変わっているのは、世の中か。それと、いよいよ、終末か。
昨日、久しぶりに、ベイシアに行った。このベイシアは、赤城山の麓にあり、農家の、爺ちゃん、婆ちゃんが、来ている。服装でわかる。しかし、日本の殆どが、この服装である。よく都会的というけれど、それとは関係ない、田舎の服装である。気取らない、普段の生活着で、きている。
女房が、18時から、詩吟の忘年会があると言うので、早めに帰った。そして、かつ丼弁当(300円)を、食べていたら、女房が帰ってきた。
言うには「18時からだと、言っていたので、行ったら、15時30分から初めて、閉めたところだったとか。」そこで、女房は、残り物を持ってきた。「つばが付いているかもしれないので、食べないとか。」まあ、酒が入って、大声で話すので、その可能性はある。ここで、何時もの、物を粗末にすることはないと思い、私一人で食べた。
鉄火巻は、直ぐに食べて、後は、今日食べた。経験則では、鶏のから揚げなどは、1日、2日おいても、冷蔵庫では、何ともない。こんな生活をしているが、この10年間、食中毒をおこしていないのだから、平気である。
それと、北朝鮮では、それどころではない。食べ物にも困っている。それと、日本でも、沢山の人が、食べ物で困っている。こんなことを考えると、とても贅沢をする気持ちになれない。自分だけよければ、よいという気持ちにとてもなれない。
それと、私の小さい頃は、粗末な食事だった。マグロの、刺身は、5歳頃、初めて食べた。筋があり、どう食べたら分からず、隣の大人が食べているのを、見ながら食べた。
変な味だった。魚は、切り身でなく、秋刀魚が魚だと思っていた頃だ。その後、中学生まで、刺身は食べなかった。何しろ、冷蔵庫の無い時代で、保存が出来なかったのである。
その後、池田勇人の「貧乏人は、麦を食え」の、間違った受け方がある。今では麦は、健康食として、米よりも高い。
「もはや、戦後では無い」「私は嘘を申しません。所得を10年で2倍にします。」の発言どおり、朝鮮戦争、1960年の安保反対闘争などを経て、高度経済成長期に入った。
サラリーマンの給料がどんどん、上がっていった。小学2年生の頃、流行歌で「1万3千800円」と、言うのがあった。この金額で結婚できる給料である。
そんなことから、数十年が経過した。その頃より、今の方が、殺伐としている。どうしてかと、何時も考えるように、なった。
それは、孤独社会であり、世の中の全体の、幸福を考えない。あるいは、考えようとしない風潮が、強くなっていないか。
生活は豊かに、なったのに、世の中でその日の生活に困っている人が沢山いる。私の狭い生活範囲でも、ひと月に5万とか10万とかの生活をしている人が10名くらいいる。
何とかしてやりたいと思うが、その人達に援助したら、今度は自分が、破綻してしまう。これが地方都市の現状である。この事からも、食べ物は粗末にできない。日が暮れてしまった。何となく、今年のジングルベルは、寂しい。
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